大井町にお住まいのNさんから、「倫理学で議論の対象となる価値とは何ですか?」という質問が寄せられました。直接「価値」を定義することは現状では無理ですが、価値という言葉を私がどのように使うかは、この部屋の中を覗いてもらうときに重要なことだと思いますので、いくつか思うことを書いて見ます。
まず最初に、私の中で動かない(と思っている)定義を掲げます。
定義「倫理学とは価値を論ずる学問である」
論理学や物理学は価値を論じません。「三角形の内角の和は2直角」とか、「質量間には重力が働く」などの命題は、その真偽だけが問題なのであって、それが善いことなのか悪いことなのかは問いません。
これに対し、「人を殺してはいけない」という文はどうでしょう。これが真であると言うことは、即ち、人を殺すことは悪いことだ、という価値判断を主張していることになります。
善悪の判断をしなければその真偽が決められない、このような文を「倫理命題」と呼びます。倫理命題は、論理学で言う「命題」とは、ちょっと違いますが、形式的に真偽を与えれば論理の規則に従います。(と思うのですが、どうでしょう)
論理の規則というのは、例えば三段論法のようなもので、私たちは日常的にこれを使っています。「悪いことをしてはいけない」「人を殺すのは悪いことである」「人を殺してはいけない」とあって、最初の二つが真であれば最後も真です。
さて、前に倫理学の目標の一つとして、倫理規範の構築ということを挙げましたが、倫理規範の根本にあるのは「善とは何か」「人はいかに生きるべきか」という問いです。これを「本当に価値あるものとは何か」と言い替えてもいいかもしれません。
また、「人は何のために生きるのか」という問いも根源的なものです。「人は幸福を求めて生きる」「人は快楽を求めて生きる」「人は自己満足を求めて生きる」「人は理想を求めて生きる」「人は真理を求めて生きる」「人は生きがいを求めて生きる」……この「幸福」や「快楽」などは「価値あるもの」の言い替えというふうにも考えられます。
では、「価値」を「人が求めるもの」と定義するのはどうでしょうか。これはどうも循環論法になってしまようで、面白くありませんね。
もう一つ、「価値」を論ずるのが倫理学だとすれば、貨幣という価値を研究する経済学も倫理学なのでしょうか。私は最も広い意味で、そう考えてみたいと思っています。
これに関連して、「価値」は物理学から導き出せないか、ということについて。例えばおにぎり1個の価値はカロリー数で表わせるでしょうか。
これらの問題は別なところで考えてみたいと思います。