倫理規範といっても、明確な形をとっていることは珍しいのです。私たちが日常生活の中で意識している倫理規範は、普通「道徳」と呼ばれますが、その具体的な内容をはっきり言える人は少ないでしょう。
「人のものを盗んではいけない」「嘘をついてはいけない」「人には親切にしよう」……どこかの団体のコマーシャルか、と思ってしまいそうです。しかしこれらは確かに道徳であり、倫理規範の一部と考えていいものです。これらの出所を考えると、たいていは宗教や道徳思想の伝統に行き着きます。
日常的には、私たちはこれらの道徳を「常識」という形で身につけています。嘘をつくのは悪いことだ、それは常識である、というふうに。ただ、私たちの常識には「嘘も方便」というような不道徳(?)なものも含まれています。
私は倫理規範という言葉を次のように定義したいと考えています。
定義「倫理規範とは体系化された倫理命題の集合である」
この定義に照らすと、漠然と考えられた道徳や、常識という形での倫理感は倫理規範とは言いづらい感じがします。ただ、例えばある宗教が教える倫理というものを考えても、それほど整然とした体系を持っているとは限りません。宗派の内部でも倫理的な解釈には揺れや幅があるほうが普通でしょう。私としては、ここに揚げた定義よりはもう少し広い意味でも倫理規範という言葉を使っていきたいと思います。
さて、私たちが日常生活の中で常識として考えている善悪の基準というものを、広い意味での倫理規範と呼んでいいとしましょう。そうすれば私たちは皆、自分なりの倫理規範を持っているということになります。そしてその倫理規範は、細かく見れば一人ひとり全部違うことがわかります。
ここで、今までに述べてきたことの繰り返しになりますが、私の倫理学に対する基本的な姿勢をまとめておきます。
人は皆、それぞれに異なる倫理規範を持って生きている。倫理規範が衝突するところに争いが起きる。ところが倫理規範同士を比較したり、通訳する方法が一般化されていないために、誤解や擦れ違い、不要な争いが生じている。これを改善するためには、特定の倫理規範を前提としない、中立的な倫理法則を研究しなければならない。
私が(さしあたっては)倫理規範の構築を目指しているのではないということも、もう一度確認しておきます。私の考えでは、倫理法則に関する了解がないところへ新しい倫理規範を持ち込んでも、争いの種を一つ増やすだけなのです。