幸せになるためにはどんな条件が必要か

 人間は幸せを求めて生きています。一見、不幸に甘んじて、それどころかわざと不幸を求めているようにしか見えない生き方でも、結果が皮肉なだけだったり、あるいは他人から見た「不幸」の中に、その人なりの「幸福」がある、という言い方もできます。

 ここではしかし、客観的な分析はやめて、私自身の価値観を述べてみましょう。どうしたら幸せになれるだろうか、という問題に対する私なりの答えです。結論はとても簡単です。

 幸せの条件は3つあります。「健康な体」、「やりがいのある仕事」、「喜びを分かちあえる仲間」、この3つの内、一つだけでもあれば人は幸せになれる、というのが私の結論です。とても簡単でしょう。

 まず、健康な体、というのは問題ないと思います。とにかく体が調子よくて、食欲を満たし、ぐっすり眠るだけでも人は幸福感を味わえます。これはほとんど動物と変わりがないように思えますし、余計なことを抱え込んでしまう分、人間の方がかえって難しいかもしれません。

 次の、やりがいのある仕事、というのは少し説明したいと思います。仕事とは言っても、お金を稼ぐ仕事だけとは限りません。家事も立派な仕事ですし、あるいは個人的な趣味であってもいいのです。要は、なにがしか努力や苦労を伴うことであって、それをやり遂げることによって充実感が得られる、そんなことを「仕事」と呼んでいます。

 これは逆のことを考えるとわかりやすくなります。「やりがいの感じられない仕事」というのはどんなものでしょう。それこそ人によって違うでしょうが、例えば興味をまるで持てない作業を毎日繰り返す。給料をもらうためだけに、と考えると、やりがいは感じられないかもしれません。ところがある日、子供の顔を見ていて「この子のためにがんばろう」と思い、気持ちが満たされるかもしれない。

 これは価値観の問題です。生き方とか人生の悩みとか、大部分がこの問題をめぐるもののように思えます。ですから同じような仕事が、人によって全く違った意味を持つかもしれないし、同じ人の中で、視点を変えただけで意味が変わってしまうこともあるでしょう。

 満員の通勤電車に乗ることはなぜ苦痛なのか、考えてみたことがあるでしょうか。肉体的にしんどいからというだけではありません。それが誰からも尊敬されず、逆に軽んじられていると思うから、耐え難い苦しみになるのです。

 最後の、喜びを分かちあえる仲間ですが、これも広い意味で使っています。家族、恋人、友人、総て含みますし、どんな時に幸せを感じるか、説明する必要はないでしょう。

 さて、3つの条件が何一つ満たされないとき、人は必ず不幸でしょうか。体をこわし、何もやる気が起きず、孤独にさいなまれている……私がこんな風になったなら、確かに不幸だと思います。


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