この項目、できれば新興宗教のパロディ風に書いてみたいのですが、本当に信者ができてしまうといけないので、普通に書くことにします。これも私個人の価値観に基づく考えなので、客観的な倫理学の理論ではなく、一つの倫理的な主張と考えてください。
倫理・道徳の原則で有名なものに「他者危害の原則」というものがあります。平たく言うと、「他人に危害を加えなければ何をしようと自由である」というものです。全然倫理的じゃない、と思われるかもしれませんが、自由主義社会は基本的にこういう考えで成り立っている、と言ってよいと思います。J.S.ミルがこの主張の代表者です。
この原則だけで道徳がうまく組み立てられるだろうか、というのが私の疑問です。
そこで自分なりに考えた、道徳の3原則を述べてみましょう。「きずつけない」、「いつわらない」、「むさぼらない」、この3つです。どうですか、何となく新興宗教ぽいでしょう。
まず、「きずつけない」ですが、「他者危害の原則」と同じようなものです。ただし、傷つけなければ何をしてもよい、というのではなく、できるだけ他者を傷つけないようにする、という考え方です。
次に、「いつわらない」というのは、他者だけでなく自分も偽らない、正直に、誠実に行動するということです。ちなみに、これを倫理規範の原則に置いたのはカントです。
最後の「むさぼらない」は文字通り貪らないこと。貪欲であってはいけないということです。ストイックという言葉のとおり、古代ギリシャのストア派がこれを主張しました。
さて、少し考えれば分かるとおり、この3つはすぐに矛盾を生じます。
加藤尚武氏が挙げている例題で、「アンネ・フランクをかくまって、ナチスに嘘をつくべきか」という問題は、「きずつけない」と「いつわらない」が真っ向から対立します。「嘘も方便」ということわざがあるくらいで、日本では比較的後者が軽く見られるように思いますが、どうでしょう。
「いつわらない」と「むさぼらない」は、ほとんどいつでも対立すると言ってもいいくらいです。おいしいものを食べたい、というのは自然な欲望であり、それ自体を否定する人は少ないでしょう。しかしそれが自然破壊につながっていると言われれば、考えてしまうのもまた人間です。またこの場合、「きずつけない」との対立も広い意味で含まれてきます。
「他人に迷惑をかけない限り」「自分の気持ちに正直に」「好きなことをやる」というのが、現代の私たちの周囲で普通に考えられている現実の倫理原則のように思えます。私はこれを、「できるだけ他者を傷つけずに」「自分にも他人にも誠実に」「自分の欲望に引きずられないで」生きるようにしたい、と思うのですが、うーん、やっぱり新興宗教みたいでしょうか。