魔法の薬 -中編-
午前中のうちにゼフェルと共にオートマターの件を解決させた アンジェリークは可愛らしいワンピースに身を包んで鏡の前に立っていた。 これから領主邸の庭園で開かれるティーパーティへ行くところ。 夜の部である舞踏会とは違って正装する必要はないが、戦いの衣装で 行くのも躊躇われた。よってアンジェリークは着替えることにしたのである。 「こんなに早く着る機会が来るとは思わなかったわ」 にこりと鏡の中の自分に微笑んで大丈夫なはず、と身だしなみをチェックする。 そして部屋の外で待っている彼のもとへと向かった。 「お待たせ。……どうかな?」 ついさっき部屋の中でチェックしたばかりなのに尋ねるそれは不安でいっぱいだった。 珍しい彼のラフな服装が素敵だったのでそれに拍車がかかってしまう。 自分は彼の隣にいておかしくないだろうか…。 「俺が買ってやったんだ。すさまじく似合わねぇもんは選ばねぇよ」 くっと喉を鳴らして、アンジェリークの緊張を解くかのように額を弾く。 「っ〜〜〜」 彼の指先が触れた箇所を押さえながらアンジェリークは何か言いたげに見上げる。 この街で彼と歩いていた時に見つけたお店で買ってもらった服。 彼にとっては子供にお菓子を買ってあげる感覚だったのかもしれないけれど アンジェリークにとっては特別で…。 「なんだよ?」 可笑しそうな表情で言ってみろよ、とアリオスが笑う。 「別に…なんでもないもんっ」 甘い言葉なんて期待するだけムダなのは分かっている。 アンジェリークの考えそうなことはお見通しなアリオスはいつもの 皮肉げな笑みを浮かべたまま彼女の肩を抱き、囁いた。 「男が女に服を贈る意味、知ってるか?」 「?」 指輪みたいに特別な意味があるのだろうか、という顔でアンジェリークは 間近なアリオスの顔を見つめ返す。 そんな少女の耳元にアリオスは答えを与えてやった。 それを聞いてアンジェリークは耳まで赤く染まる。 「…っ」 「あいつから贈られたドレスなんか着て舞踏会行ってみろ。 先は見えてんぞ」 「……まさかぁ…」 そんなこと考えたくないといわんばかりにアンジェリークが引きつった笑みをみせる。 「まぁ、とりあえず俺以外の野郎からの服には袖を通さないことだな」 「…うん」 軽く顎を持ち上げられる『合図』にアンジェリークは瞳を閉じた。 会場である広い庭園はすでにたくさんの人がいた。 きれいな緑の芝生にはたくさんのテーブルが並んでいる。 その上にかかる白いテーブルクロスがよく映えていた。 アンジェリークはまずティーパーティーに招待してくれたマリーを探した。 「アンジェリークさん」 幸い彼女の方から声をかけてくれた。 「マリー。招待してくれてありがとう。 明日にはここを発つ予定だから、会えて嬉しいわ」 「そんな…こちらこそ来てくださってありがとうございます」 マリーは隣のアリオスをちらりと見て、本当にすまなそうな表情をした。 アンジェリークも少女の視線を追って両手に荷物を抱えているアリオスを見る。 「あの…せっかくの贈り物だけど、こんなに高価な物は頂けないと思って…」 アリオスだけでなく、アンジェリークも荷物を持っていた。 「本当にごめんなさい」 「お兄様が強引すぎるだけです。気になさらないで」 マリーは苦笑すると人を呼んで、豪華なプレゼント達を引き取った。 「あとは純粋にお茶を楽しんでもらえると嬉しいのですけれど」 「ええ」 「安心して。お茶会は私が、舞踏会はお兄様が仕切っているの。 今夜の準備で昼間はあまり表に出ないと思うわ」 あなたがお茶会に来ることお兄様には知らせてないのよ、と 舌を出してマリーは笑った。こういう表情をすると年相応に見える。 立場がそうさせるのだろうが、見た目はまだまだ子供なのに普段は ずいぶんと大人びて見える。 「マリーったら…」 実の兄に対して手厳しい態度にアンジェリークは苦笑する。 「だって、こんなに素敵な彼氏がいたら他の方なんか目に入らないでしょう?」 「え…」 「まぁな。浮気なんかさせねぇよ」 マリーの問いにアンジェリークはうろたえて頬を染めるだけである。 代わりにアリオスがこれ見よがしに抱き寄せ、不敵に微笑んだ。 「とってもお似合いですもの。お兄様には諦めていただかなくてはね」 しばらく話をして、マリーは主催者としての用事があると席を外した。 「一度失礼させていただきますね。お2人ともごゆっくり」 「ありがとう、マリー」 アンジェリークは彼女に手を振った後、小さく溜め息をついた。 「どうしたんだよ?」 「ん…私、不自然じゃなかった?」 時々ふられる恋人としての話題。 「ちゃんとできてたかなぁ…って。恋人なんて…なった事ないからわからないもの。 アリオスはなんでも余裕でこなすのにね」 「くっ、そんなこと考えてたのかよ。お前はそのまんまでいいんだよ。 俺が適当に合わせてやるから」 優しく髪を梳く指先と魅力的な微笑みにぼんやりしていたら、まだ続きがあった。 「不器用なお前に芝居なんて無理だろ?」 「アリオスっ…ひどい!」 そんなやりとりが周囲には十分仲の良いカップルに見えることなど 気付いていないのは当人ぐらいだった。 「! アンジェリーク…!」 レオンは邸の窓から見えた光景に目を見張る。 庭園の端の方で楽しそうに笑っている少女。 傍らには先日の気に入らない青年。 時折じゃれるように寄り添っているその姿はどこから見ても幸せなカップル。 「お兄様ったら!」 声に振り返ると妹のマリーが腰に手を当てていた。 「何度もノックしたのに…。 お茶会の進行状況の報告と舞踏会の準備の様子を聞きに来たのですけれど」 そして彼女は兄の視線を辿り、納得する。 「アンジェリークは舞踏会に招待したはずだが…?」 「私がお茶会に招待しましたから」 にっこりと微笑む妹にレオンは大きな溜め息をついた。 「ちなみに明日の出立なので舞踏会は遠慮なさるそうですよ」 「…行ってくる」 「お兄様っ」 窓から庭園を見下ろし、マリーは呆れたように呟いた。 「もう…諦めるということを知らないんだから…」 今まで手に入らなかったものはないから仕方がないのかもしれないが…。 「現実を見ればいいのに…」 庭園の端で目立たないとはいえ、上からは見下ろせる場所。 そんな場所でのキスシーンに頬を染めながらマリーは苦笑した。 「アリオス…こんなところで…」 非難めいた瞳を彼は笑って受け流す。 「『恋人』ならこれくらいしても大丈夫だろ」 「そう…なの?」 簡単に丸め込まれそうになったアンジェリークはふと浮かんだ考えに アリオスを見つめる。 「アリオスは…そういうふうにしてたの?」 詮索しようとかいう気持ちではなく、純粋な疑問を投げかける瞳に アリオスは止まってしまった。 その反応にアンジェリークの方が慌てた。 「あ、あの…今のナシっ。気にしないで。深い考えがあったわけじゃないし…」 わたわたと手を振る少女を見ながら彼は苦笑した。 「そう言えばこういう雰囲気じゃなかったな…。 お前相手だからこうなるんだろうな」 彼の言葉を聞いてアンジェリークは複雑な気持ちを抱く。 分かってはいたがかつてそういう相手がいたんだな、という気持ちと 現在は自分をちゃんと見てくれている嬉しさ。 「アリオス…」 しかし、シリアスになりつつあった空気は第三者のおかげでどこかへ消えた。 「お飲み物はいかがですか?」 トレイにいくつものドリンクを乗せた使用人の言葉にアンジェリークは頷いた。 「ありがとうございます」 受け取ったアイスティーに口を付けようとした時、アリオスに腕を掴まれた。 「なに?」 使用人の後ろ姿を見送りながらアリオスはアンジェリークからグラスを取った。 「気付かなかったか?」 「?」 「まぁ、お前じゃしょうがねぇか…」 アンジェリークの周りには『?』が飛び交っている。 「あいつ、何種類もの飲み物を持ってたくせに 何も訊かずにこれを渡した。普通どれが良いか訊くもんだろ?」 「…そうなんだ…」 こういうパーティーの経験が少ないアンジェリークは感心して聞いている。 そんなどこか抜けた少女にも分かるように、アリオスは溜め息を抑えつつ 説明を付け足した。 「しかもあいつは他の客には見向きもせず、真っ直ぐお前のところに来た。 つまり、どうしてもお前にこれを渡したかったわけだ」 「うん…?」 なんでだろうねぇ…と首を傾げていた少女はぽんと手を打った。 「あ。マリーから、とか…」 「だったら渡す時にそう言うだろうが…」 呆れ顔でアリオスが突っ込む。 そして側にいる猫に視線を向ける。 パーティーのお菓子や料理などのおこぼれを狙っているその猫に アンジェリークは先程からいろいろと食べさせてあげていたのだ。 「見てろよ?」 アイスティーを染みこませたパンをやると、猫は喜んで口に入れる。 その次の瞬間にはすーすーと寝息を立てていたが…。 「えーと…?」 ぱちぱちと瞬いているアンジェリークにはっきりと言ってやった。 「睡眠薬、だな。やってくれるじゃねぇか」 「!」 アリオスの言葉にアンジェリークが凍りついた。 「すごいねぇ…どうして気付いたの?」 自分が狙われていたのにも関わらず、アンジェリークは感嘆の溜め息を つきながらアリオスに尋ねた。 「……周りの状況よく見てればわかるだろ」 「注意力足りないってこと…?」 む〜、と口を尖らせる少女の頭を叩き、誤魔化すように笑った。 「だから俺がついてるんだろ?」 「………うん」 はにかむ少女を見下ろしながらアリオスは苦い過去を思い出した。 こういった事態に自分が慣れすぎているだけなのだ。 直接的に命を狙われるだけではなく、密かに紛れこんでいる殺意もあった。 自分の場合、睡眠薬のような生易しいものではなかったが…。 「まぁ、最悪な経験がここで役に立ったんだからいいか…」 「なに?」 「なんでもねぇよ」 少しして別の使用人が2人に声をかけた。…と言うよりはアリオスに、だが。 「マリーお嬢様がお話があると…」 できればアリオスだけに来てほしいという言伝に アンジェリークは少しだけ不安そうな顔をした。 アンジェリークの表情を見て、落ちつかせるようにアリオスは言った。 「すぐに戻ってくる。勧められたからって飲んだり食ったりすんなよ? あとは人目のあるところにいろ」 諸注意をしてくれるアリオスに向かってアンジェリークが言ったのは まったく別な内容だった。 「…アリオス、一応私の恋人なんだからね。 マリーが可愛いからって浮気しちゃダメだからね」 「あ?」 狙われている自分自身よりもそちらの方が気になるらしい。 使用人が微笑ましいアンジェリークの心配に笑みを洩らした。 「…お前、もう少し危機感持て…」 「アリオス…何話してるんだろう…」 自分には聞かせられないようなことってなんだろう…と考える。 「アンジェリーク」 「レオンさん…」 思考を中断させたのは問題児レオンだった。 「隣、座ってもいいかな」 「はい、どうぞ。…あの…」 少々警戒しているアンジェリークに彼は話しかけた。 「君が好きなのは一緒にいた彼なのかな?」 「…はい」 アンジェリークは真っ赤な顔で頷く。 恋人かと訊かれたならば、正直な彼女はぼろが出ただろうが この質問には嘘をつく必要がなかった。 だからその表情と答は説得力があった。 「ずいぶん怖そうな人だけどね…意外だな」 確かに彼は悪く言ってしまえば悪党面で…けっこう容赦ないけれど…。 「それでも優しい人なんですよ」 穏やかな笑みでアンジェリークは言う。 「そうか…だったら仕方がないね…」 「レオンさん…」 意外にあっさりと認めたのが今までの彼からは信じられなくて… アンジェリークはきょとんとしていた。 「あ、そうだ…。飲むかと思って持ってきてたんだ」 どうぞ、とハーブティーのグラスを渡されてアンジェリークは躊躇う。 グラスを受け取ったもののなかなか口に出来ずにいた。 「さっきは悪かった。これは大丈夫だよ」 苦笑する彼の言葉にアンジェリークは微笑んだ。 一方、アリオスは広い邸の一室へやっとのことでたどりついた。 「お呼び立てしてごめんなさい。 でも…アンジェリークさんには聞かせない方が言いと思って…」 「やっかいな薬のことか?」 アリオスの揶揄するような声にハッとマリーが顔を上げた。 「もしかして…遅かった…ですか?」 「とりあえず庭の猫が一匹犠牲になっただけだ」 「そうですか」 「ちょっとあれは度がすぎますよね…。 お兄様の部屋で見つけて…慌ててあなたにお知らせしようと…」 困ったようにマリーは俯いた。 「サンキュ。じゃあ、俺は姫の護衛に戻るぜ?」 「本当にご迷惑をおかけしてしまって…帰りたくなったらおっしゃってくださいね。 最後までいてくれとは言えませんし。馬車を用意しますから」 「ああ」 アリオスが出ようとしたところへ、慌しくドアが開いた。 「マリーお嬢様!」 「お客様がいるのですよ?」 「申し訳ありません…。ですが急ぎの用件で…」 「なんでしょう?」 「アンジェリーク様が…」 アリオスとマリーがはっと顔を見合わせる。 「どこだ?」 「1階の客室の…1番奥になります」 「ちっ…あのバカ…」 すでにアリオスは走り出している。 その後をマリーが追うが子供の、しかも女の子の足で 彼に追いつくことなど無理である。 「アリオスさんっ! 絶対、絶対あなたが彼女を起こしてください!」 声だけは届いてほしいと叫んだ。 「どっちだ…?」 1階の1番奥と言われてもこんな巨大な邸の造りなど分かるわけもない。 気配を探りながら歩いていると全力疾走してきたマリーが追いついてきた。 「こっち、です」 「さっき妙なこと言ってたな…?」 肩で息をしている少女はまだ喋れないから一枚の紙をアリオスに渡した。 「!?」 ざっと紙面に目を走らせたアリオスの目が見開かれる。 「…あの野郎…。ただの睡眠薬じゃなかったのか」 この私がそんな単純なものを使うわけないだろう、と笑うレオンの姿が目に浮かぶ。 アリオスは握りつぶしそうになった薬の取扱説明書をマリーに返した。 「急ぎましょう、アリオスさん」 目的地のドアを開けるなり、アリオスは剣を構える。 「己の不運を呪え…」 部屋のベッドに寝かされているのはアンジェリーク。 その側にいる人影が2つなのに気付いたが、この際どうでも良かった。 少女に手を出す方が悪い。 「…ゼロブレ――」 「わーっ、ちょっとたんま!」 「待て、アリオス! お嬢ちゃんも危ないだろうが」 聞き覚えのある声にアリオスは動きを止めた。 「お前ら…」 聞き覚えがあるのも当然のこと…。 そこにいたのはチャーリーとオスカーだった。 ちなみにレオンは部屋の隅で縛り上げられている。 「どういうことだ?」 「俺達もお嬢ちゃんが心配でな…密かに見守っていたわけだ」 「で?」 アリオスの冷たい声が先を促す。 「したらこのにーさんが…まぁ、それを俺らが止めたっちゅーわけや」 「ほぉ? それだけか?」 さらに冷たい、相手を凍らせるような空気を放ちながらアリオスは尋ねた。 「あんた達の様子見てると薬の効果を知ってたと思えるんだが?」 「助けた礼はもらってもいいだろう?」 どうやら薬の効果はレオンから聞いていたらしい。 開き直るオスカーにチャーリーが文句を言う。 「だからってオスカー様がもらう決まりはありませんって」 互いに自己主張をする2人に向けて 発動しかけていたゼロブレイクが今度こそ炸裂した。 〜to be continued〜 |
ちなみにパーティーがあるという設定は オリヴィエ様イベントからヒントをもらいました。 今回はバカップルっぽさが出てたでしょうか…? でもアリオス、あんまりのんびり いちゃついてもいられなくてちょっと気の毒かな…。 アンジェはぼけぼけしてるし 注意されてるくせに薬飲んじゃうし…。 だからって室内でゼロブレイクかましちゃいけません(苦笑) |