My little Emperor



翌朝の空は昨日の嵐が嘘のように晴れ渡っていた。
「いい天気!
 よぉし、今日もがんばろうっ」
昨日の嵐と一緒に心の中にあった曇りも通り過ぎた。
気持ちを伝えても、拒絶されたりはしなかった。
昨日のことを思い出すと、まだ顔が熱くなるけれど……
想いを隠して悩んでいるよりはよっぽど幸せだった。
「おはよう、レヴィアス」
「ああ、おはよう」
もう躊躇わずに触れることができる。
レヴィアスの頬にキスをして、ちょっと驚いたように眉を上げる彼にはにかむ。
彼も微笑んで、キスを返してくれた。



「今日は遅いね……」
アンジェリークは時計を確認し、窓の外を見て、首を傾げた。
朝の配達がなかなか来ない。
いつも届けに来てくれる時間は過ぎたのに。
「昨日の嵐は大きかったからな……。
 後片付けに手間取っているのではないか?」
「あ、そうかもね……」
本当ならここだって、そんな状況になっていたのだ。
レヴィアスがいなければアンジェリークの部屋はめちゃくちゃになっていただろうし、
他の部屋だって、庭だって大変なことになっていたかもしれない。
「残ってる材料で作れるもの作っとこうかしら……」
しかし一昨日に試作品作りをしていたため、あまり残っていない。
「しばらく待って、来ないようだったら臨時休業だな」
「かな……?
 午後になっても連絡なければ、こっちから行ってみようか」



目安にしていた午後を少し過ぎた頃。
出かけようとしていた時にゼフェルがやってきた。
「わり、今まで来られなくて。
 これから出かけるところだったのか?」
「うん。ゼフェルのとことランディのとこに……。
 なんとなく理由は想像できたから、様子を見に行こうかと……」
「ったく、最悪だぜ……」
俺も作業を抜けてきたからすぐに戻らなきゃなんねーんだけど、と前置きして
彼は話してくれた。
昨日の嵐のせいで、もうすぐ収穫できそうなものは枝から落とされたり
傷ついたり、成長途中のものも今期の収穫は諦めなければならないかもしれない。
「天気に文句言っても仕方ねーんだけど、
 うちなんか被害が直にくるからな」
畑や果樹園を守ろうと努力したが、生き残ったものの方が少ない。
「数日分は倉庫に入れておいたのがあるから、
 おめーんとこに持ってこれるけど……」
言いにくそうに視線をさ迷わせた後、悔しげにアンジェリークに告げた。
「しばらくうちは商売できそうにねーんだ。
 他を探しておいてくれ」
「そんなに……被害大きかったの……?」
「立て直すのにけっこうかかりそうだな……」
「………………」
深刻な局面にアンジェリークはかける言葉も自分がどうすれば良いのかも
思い浮かばなかった。
「ランディのところはもっとひどかったぜ」
「え?」
家畜達の小屋がいくつか壊れてしまったという。
怪我をした動物や死んでしまった動物も少なくない。
「……そんな……」
「おめーんとこは無事だったみたいだな。
 軒並み被害にあってるみてーだけど、ここだけでも無事で良かったぜ」
「ゼフェル……」 
急いで戻っていく彼を見送り、アンジェリークは立ち尽くした。
「レヴィアス……」
自分だけが守られていた。
他の人は大変な目に遭っているのに。
立て直すために必死に働いている。
「……見に行くか?」
部屋でじっとしているのも辛そうな少女にレヴィアスは問いかけた。
「うん」





様子をこっそり見に行って、帰ってきてからアンジェリークは黙り込んでいた。
窓の外をぼんやりと見上げる。
昨日の嵐で雲が流されたのか綺麗な夜空だった。
支えるように側にいてくれるレヴィアスに身体を預けてその体温に触れていた。
「レヴィアス……」
ずっと黙っていたアンジェリークが口を開いた。
繋いでいた手を、絡めていた指先を離す。
「あの農場と牧場を元に戻せる?」
「アンジェ……」
レヴィアスは驚きはしなかった。
この少女なら言い出すだろうと予想していた。
レヴィアスが状況を見ておくかと言ったのもこのためだった。
被害の規模を確かめておこうと考えたのだ。
だから、答えもすでに用意できていた。
「死んだものは生き返らないが……。
 それ以外なら」
「私のお店やあの人達だけ、なんて不公平は承知だけど……」
全ての人を救えなんて言えないから。
そんなことはできないから。
自分の店に関しては、二つ目の願いとして無条件で守ってくれる。
しかし農場と牧場は……。
「いいのか?」
「え?」
「最後の願いはお前の為に使え、と言った」

『お前が本気で望むものを言え』

もう遠い昔のようだった。
彼とお茶を飲みながら、そんな話をした。
何かに執着を持つことのない自分を心配してくれていた。

『絶対に譲れぬものがお前にはないような気がしてな……』
『他人が困っていれば、お前は躊躇わずに譲るタイプだろう』

彼の言葉をよく覚えている。
「………」
アンジェリークは唇を噛み締めた。
結局、彼の心配した展開になっていないだろうか。
だけど少しは違う。
違うと思う。
彼と過ごして変わった。
自分は躊躇っているし、譲れないものもできた。
だけど……。
アンジェリークは深呼吸をひとつして、レヴィアスを見つめた。
「私のための願いよ。
 私がお店を続けていくには必要な人達だもの」
「そうだな……」 
「最後の願いよ……。
 あの農場と牧場を助けて」 
「……わかった」
溜め息混じりに頷く彼の手をアンジェリークは取った。
「レヴィアス……好きよ。
 ずっと大好き」
たとえ、二度と会えなくても。
「あなたに会えてよかった……」
背伸びをすれば、レヴィアスは背を屈めてくれた。
彼の首に腕をまわして、届くようになった唇に触れる。
キスを重ねて強く抱きしめられて、泣きそうになったけれども必死で堪えた。
彼を呼び出した時の強い光を閉じた瞼の向こうに感じる。
瞳を開けても真っ白な光で何も見えなかった。
光が消えた後にはレヴィアスの姿は見えなかった。










翌日、まるで何事もなかったかのように朝の配達に訪れた
彼らを見てアンジェリークはさりげなく訊ねてみた。
「嵐の被害の方は……大丈夫?」
「おー。うちは特にないぜ。
 一応被害を避けるためのカバーとかしてたし。
 まっ、これも日頃の行いが良いせいだな」
「うちも運が良かったみたいだね。
 問題なかったよ」
「そう……よかった」
さすがレヴィアスだと思った。
一夜にしてあの状況を元に戻したりしたら、周りの人は不思議に思わないかと
少々心配していたのだが……記憶自体も操作していたらしい。
「お店一人で大変だろう?
 また俺も手が空いたら手伝いに来るよ」
「ありがとうございます」
荷物を受け取ってお礼を言って……
家に入ってから、涙が溢れて止まらなかった。
もうレヴィアスを知っている人はいない。
偉そうでちょっと意地悪で、でもとても優しい妖精はどこにもいない。
「後悔はしていない……」
泣きじゃくりながら言い聞かせるように呟いた。
「……これでよかった」
店を続けるためにはこれでよかったのだ。
この育ちつつある店を守ることを考えれば良い。
本当に望む願いはレヴィアスにも叶えることができないのだから……。
二人のいるべき場所は違うのだから。





アンジェリークはそれからもともと真面目に取り組んでいた仕事に
さらに打ち込むようになった。
朝早くから夜遅くまで働いて……。
ストックの砂糖を取り出そうとして上の棚に手を伸ばす。
「レヴィアス、お砂糖……」
取ってくれる?と言いかけて止まる。
いつも上にある物や重い物は彼が取ってくれていた。
「や、やだな……私ったら……。
 レヴィアスはもういないのに……」
無意識の言葉にアンジェリークは苦笑して、用意した踏み台を使った。
「一人に慣れなくちゃ……」


レヴィアスと過ごしていた時間は
彼がいなくなってからは研究に使ったり、友人と出かけたりしていた。
家で一人きり、のんびり過ごす時間ができるのが怖かった。
思い出す余裕なんかないくらい忙しくしていないと耐えられなかった。
それでも、眠れない夜は続く。
「久しぶりにあのお茶を飲もうかな」
どうしても眠れなくて……
開き直って仕舞い込んでいた思い出のお茶を引っ張り出した。
良い香りが辺りに漂う。
「レヴィアス……」
会いたくて、会えなくて、心が痛い。
久しぶりにその名を呼べば、胸は痛むけれど優しい気持ちになれる。
窓から夜空を見上げて、彼とした夜の散歩を思い出す。
こんな風に綺麗な夜空の時は、散歩したりもした。
道が暗いからと言って手を引いてくれた。
「……っ……」
涙が枯れるんじゃないかと思うほどたくさん泣いた。
それでもまだこんなに溢れてくる。


気付いてた?
こんなにも あなたのこと好き。
いつまでも……愛してる。








「レヴィアス様」
部下の声でペンが止まっていたことに気付く。
「お戻りになってから集中力がないようですね」
カインの言葉を否定も出来ず、苦笑する。
「そうか?」
「はい。
 アンジェリーク様のところを抜け出して仕事をしていた時の方が
 よっぽど集中していましたよ」
「短時間でこなさなければならないと思えば集中もするだろう。
 それと比べられてもな……」
数ヶ月も城を放り出すわけにもいかず、時々は戻っていた。
アンジェリークが店に出ている時間や眠った後。
抜け出したことに気付かれないような短時間で。
「……またご覧になりますか?」
「いらん。
 あれは仕事の一環として見ただけだ」
彼が水晶球のことを指しているのを悟り、レヴィアスは首を振った。
「今更見たところでどうしようもない」
彼女が泣いていても、抱きしめて涙を拭うことはできない。


強い酒を飲んでも酔いもしなければ、眠れもしない。
テラスに出て自分の治める国を見下ろす。
アンジェリークに訊かれたことがあった。
「レヴィアスの国ってどういうところ?」
今夜のように星空が綺麗な夜。
散歩しながらのことだった。
詳しく話すことは出来なかったので誤魔化したら、頬を膨らませて拗ねられた。
「アンジェリーク……」
その名を呼べば、苛立っていた気持ちが優しくなる。
出逢った頃はずいぶんとのんびりした娘だと思った。
諦めやすい性格なのだと思っていた。
しかし、共に過ごしてそれは間違いだと分かった。
どんな状況でも自分なりに最善を尽くそうとする。
一見ぼんやりしていそうだが、芯はしなやかで決して折れない。
いつの間にか惹かれていた。
少女を抱かなくて良かったと思う気持ちと
抱いておけばよかった思う気持ちが交錯する。
離れられなくなるから、離れた時に辛いから、思いとどまった。
離れなければならないからこそ、抱いておきたかった。
らしくもなく、矛盾する自分がいる。


気付いていた。
この胸焦がすほど 恋焦がれている。
こんなにもお前を……。





                                    〜 to be continued 〜







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