My little Emperor



豪奢な宮殿の中にあるにしては華美な装飾がされていない一室。
レヴィアスは一瞬で自分の書斎へと転移した。
シンプルな造りだが、モノ自体は一級品の机へと着地する。
主の気配を感じたのか、すぐにノックの音が響いた。
「入れ」
「お早いお帰りですね。レヴィアス様。
 やはり外の人間の相手は耐えがたかったのでしょう?」
「キーファー、別に帰ってきたわけではない。
 少々知りたいことがあってな」
自分の主であるレヴィアスがどこの馬の骨とも知れない人間に仕えるなど、と
最後まで反対していた部下に肩を竦めて見せる。
「アルカディア地区のアンジェリーク・コレット……。
 我の主となった少女だ。
 詳しく分かるのは誰だ?」
「アルカディアですか……。
 ということはカインの担当地区ですね。
 少々お待ちください」
「ああ」
頭を下げ、退室しようとした部下にレヴィアスは付け加えた。
「ああ、そうだ。
 ひとつ言っておくが……」
「なんでしょうか」
「思っていたよりも楽しそうだぞ。
 『紅茶の妖精』は」
「………それはけっこうなことです。
 紅茶の妖精……ですか」
口の端を持ち上げ笑う主にキーファーは複雑な気持ちを抱えたまま答えた。



しばらくして再びノックの音が響いた。
「カインです」
「入れ」
「どうなさいました?
 もう願い事を叶えられたのですか?」
「いや、まだひとつも叶えていないが……。
 気になることがあってな」
レヴィアスは一呼吸分、間を置いて部下に訊ねた。
「アンジェリーク・コレット……。
 なかなか面白い境遇のようだが?」
異色の瞳が真っ直ぐに部下を捕らえる。
「そのようですね……」
「正確な情報を知りたい。
 あいつに直接聞いても良いんだが……」
実際に途中までは聞いたのだし、また訊ねても良いのだが……。
あの少女の口からだと、どれだけ大変な状況でも
それほどたいしたことではないように聞こえてしまう。
彼女があまりにもおっとりしているから、というのも原因のひとつだろうが
あまり弱音は吐かないタイプなのだということも大きな原因だと考えられる。
自分が耐えられると思っているうちは泣き言も愚痴も零さない。
耐えられなくても何も言わないかもしれない。
昨夜だって風呂場でのぼせたのかと思えば、事実は違った。
過労で倒れたのだと本人ですら気付いていないことだろう……。
「それでは我が困る」
「レヴィアス様……」
呼び出しに応じる前まではちっとも乗り気でなかった主が真剣に少女のことを考えている。
やはり自分が全てを賭けてもついていくと決めた人物だと安心した。
「大体のことは分かったが……。
 昨日は昨日で何かあったらしいしな。
 しかしあいつは自分からは言わないだろう」
机の端に置いてある大きな水晶球を視線で示す。
それはただの水晶球ではなく、部下の最年少コンビ、ショナとルノーが作ったもの。
科学技術と魔法を織り交ぜたこの世にひとつしか存在しない神秘の水晶球。
「映せるか?」
「はい」



水晶球の中に人影が映る。
レヴィアスにも見覚えのある屋敷の一角だった。
「アンジェリーク。
 今日はオスカー様がお見えになるのよ」
仕事中のアンジェリークはキャロルに呼び止められていた。
「私に会いに来てくださるの」
華やいだ声にアンジェリークは微笑んだ。
従姉がオスカー伯爵に憧れているのは前々から知っていた。
「それは良かったですね」
「だから、あなたにはお茶の時間にお出しするお菓子を用意してもらうわ。
 唯一のあなたの取り柄ですものね」
屋敷のパティシエに命令すればよいものをわざわざアンジェリークに指名する。
「でも、私は今……」
おば……キャロルの母に言いつけられた仕事の最中だし、
その後に買い物も行かなければならない。
そう伝えたのだが……。
「私の言うことが聞けないの?
 そんなのは後からやれば良いでしょう?」
結局は取り合ってもらえなかった。


「お嬢様、私どもが作っておきますので奥様に言いつけられたお仕事に
 戻られても良いですよ」
厨房ではアンジェリークを気遣う使用人達がそう申し出ていたが、
アンジェリークは首を横に振った。
「大丈夫よ。私、お菓子作りは好きだし。
 ……本当に私の取り柄ってこれくらいしかないし……」
のんびりやな上につい先日まではお嬢様だったアンジェリークに
テキパキとしたメイドの仕事が出来るわけもなく、
なんだかんだと二人にお小言を言われていたが
これならアンジェリークは自信を持ってできると言える。
「お嬢様……」
「ほら、それより皆ちゃんと自分のお仕事しないと私みたいに怒られちゃうわよ」
複雑な表情で返答に困る皆にアンジェリークは笑って言ったのだ。
そしてお菓子を焼き上げた後、自分の仕事へと戻ったアンジェリークは
再び廊下で呼び止められた。
今度はキャロルではなく、その客のオスカーだった。

「お嬢ちゃん」
「オスカー様。お久しぶりです」
学校行事で何度か会ったことのある彼にアンジェリークはお辞儀をした。
「どうしてこんな所に……?」
応接室は別の方向にある。
アンジェリークが首を傾げるとオスカーは苦笑した。
「帰る前にちょっと寄り道をしたくてね……」
「どちらへ?
 ご案内しますよ」
そこへ行く途中でたまたま会ったのか、とアンジェリークは納得すると彼を見上げて笑った。
「いや、いいよ。
 もう目的地には着いたから」
「え?」
ますます首を捻る少女に彼は女性なら誰もが見惚れる甘い微笑を見せる。
「お嬢ちゃんを探してたんだ」
「私、ですか?」
きょとんとするアンジェリークにオスカーは頷いた。
「あのパイを焼いたのはお嬢ちゃんだろう?」
以前彼と話した時、甘いお菓子は得意ではないと聞いていた。
「オスカー様、レモンパイがお好きだって言ってましたものね」
ちゃんと覚えてましたよ、と無邪気に笑うアンジェリークをオスカーは真剣な表情で見つめた。
「今日はアンジェリーク、君に会いに来たんだ」
「またオスカー様ったら……。
 キャロル姉様にお会いに来たのでしょう?
 私に社交辞令は必要ないですよ」
「アンジェリーク」
笑って受け流そうとする少女にオスカーは真摯な瞳でその名を呼ぶ。
いつもの『お嬢ちゃん』という呼び方ではないことに
今更ながらアンジェリークは気が付いた。
「コレット家の噂は聞いている。
 最初はタチの悪い冗談かと思った。
 君がこんな格好をしてこんなことをする必要はないはずだろう?」
「……オスカー様……」
「まぁ、お嬢ちゃんのメイド姿もなかなか魅力的だがな」
困った表情を浮かべるアンジェリークにオスカーは冗談めかして笑ったが、
アンジェリークは沈んだ表情のまま呟いた。
「だって……働かないと……ここにはおいてもらえない…」
「君がどうしてもここにいなければならない理由があるのか?」
「え?」
「君が育った屋敷だ。思い出が詰まっている。
 離れがたいのも分かるが……
 こんな目にあってまで居続けなければならない場所か?」
「………………」
返事に困る少女の栗色の髪を一房梳き、恭しく口付ける。
「オ、オスカー様?」
瞬時に真っ赤に染まるアンジェリークを優しく見下ろしオスカーは言った。
「いつでも相談事には応じるぜ。
 遠慮なく屋敷に来てくれ」
そんな二人のやりとりを見ていた者がいるなど気付きもせずに、
アンジェリークは呆然とオスカーの後姿を見送った。



あれはどういうことだろう…?
でもオスカー伯爵が女性に親切だったりするのはいつものことだし……。
アンジェリークはそんな事を考えながら言いつけられた仕事をしていた。
部屋に飾る花を立派な花瓶に生けながら、ぼんやりと思う。
そんなに可哀想に見えるかな……。
確かに立場が急に変わってしまって……
慣れない事もいっぱいだし、辛いこともいっぱいだけれど……。
「アンジェリーク」
「あ、キャロル姉様」
「オスカー様がお帰りになったわ。
 あなたの作ったパイを随分気に入ったみたいだった……」
「喜んでもらえたなら良かったです。
 お話にも花が咲いたのでは?」
アンジェリークがにっこり笑うとそれとは対照的な冷めた笑みを返された。
「ええ。だからぜひお礼がしたいと思って、ね」
「そんなお礼なんて……。
 そう思ってもらっただけで十分です」
一生懸命頑張ってもなかなか通じず、唯一残った親戚同士なのに
いつもいつも皮肉や怒りの言葉ばかりが投げられていた。
やっと認めてもらえたようで本当に嬉しかった。
「そう言わずに受け取ってもらうわ」



最初は何が起きたのか分からなかった。
随分と近くで刃物の音がした。
それが先程まで花を生けるために使っていたハサミだと気付くのと、
切られたのが自分の髪だと気付くのに数秒のタイムラグがあった。
さらに後から気付いたのだが、それはちょうどオスカーが口付けたあたりだった。
「キャロル……姉様?」
当然のことに呆然と瞳を見開いて呟くアンジェリークにキャロルは苛立たしげに言った。
「本当に腹立たしい子!
 どんな時でもそうやって素直で無邪気な良い子のフリをして!
 いつもにこにこ笑っているだけで!
 そうやってオスカー様にも取り入ったんでしょう?」
「なっ……」
違うと言いたかった。
フリなんかしたことは一度だってない。
そんなに器用な性格でもなければ、計算で動ける性格でもない。
オスカーにだって学校行事でほんの数回会っただけなのだ。
話した時間なんて数分程度。
キャロルの方がよほどオスカーに積極的に会っている。
しかし、それは続けて発せられた従姉の言葉に遮られた。
「あなたに私の気持ちが分かる?
 ようやくあの方が私に会いに来てくれると思ったら
 あなたの様子を見るためだったなんて!
 お誘いしたのは私だけれど……こんな屈辱ってないわ」
どんなに意地悪をしても、決してめげない。
その名の通り天使のような清らかな心の少女を慕う男が多いのも分かる。
どうやっても自分はアンジェリークに勝てないのだと見せつけられるようで腹立たしい。
「………………」
だからオスカーは応接室に話し相手として自分を呼び出すのではなく、
帰り際に捜し歩いていたのかとアンジェリークは心のどこかで納得した。
彼が来ることを本当に楽しみにしていた従姉を知っているから
アンジェリークは言い返す言葉を失くしてしまった。
だけど……。
「キャロル姉様……」
「なによ」
怒りに燃える瞳を負けじと真っ直ぐに見つめ返した。
「オスカー様に認められるようなレディはこんなことしません」
彼女の手にあったハサミを静かに奪う。
「……っ」
「ご自分の評価を下げるような真似はコレット家の令嬢としても
 誉められることではありません」
「わかってるわよ!
 でも絶対あなたなんかに謝らない!」
この騒動を聞きつけて駆けつけたものの、かつてこの屋敷の主人だった少女と
現在権力を持つ少女との間に入ることもできず、見守るだけだった使用人達を
かき分けてキャロルは部屋を出て行った。
アンジェリークは小さく息を吐き出すと集まってきた人々に言った。
「お騒がせしてごめんなさい。
 あと……謝りついでにもうひとつ頼んでいいかしら?」
「なんでしょう?」
アンジェリークはよく見知ったメイドに苦笑を向けた。
「髪、切り揃えてほしいのだけれど……」



「キャロルお嬢様はあんまりです。
 アンジェリークお嬢様は何も悪くはないのに……」
背中の中ほどまであった髪を肩先あたりで
切り揃えてくれたメイドが涙を零しながら悔しがっていた。
心配して駆けつけた使用人達も同様の表情を浮かべている。
だからこそ、アンジェリークは皆を励ますことしかできなかった。
「私は大丈夫。
 キャロル姉様ももうこんなことはしないだろうし……」
本当は泣きたいけれど、自分まで一緒になってそうすることはできない。
「あんまり私の心配ばかりしてるとおばさまやキャロル姉様のご不興を買うわよ?」
自分を心配するあまりに彼らがクビにされることは避けたい。
生活がかかっている人達も多い。
「そうだ。私、言われていたお使いがあったのよ。
 暗くなる前に行ってくるわ」
「お嬢様……」
アンジェリークは明るく言って立ち上がった。





買い物を済ませたアンジェリークは公園のベンチで一休みしていた。
ちょっとここで気分転換をしていかないと屋敷に戻れそうもない。
さすがに今日のことは堪えた。
「卒業パーティーの為に伸ばしてたんだけどなぁ……」
俯いた拍子にさらさらと零れ落ちてくる、短くなった髪を見つめて溜め息を吐く。
「あ、でも卒業パーティーに出られるかどうかもわかんないか……」
再び溜め息を吐きそうになった時、上から明るい声が降ってきた。
「お嬢さん、隣に座ってもよろしいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
見渡しても他のベンチは埋まっているし、彼は大荷物を持っているしで
アンジェリークは躊躇いもなく頷いた。
「すごい荷物ですね」
「旅の行商人だからね」
長い金髪を後ろで束ね、優しい表情で笑う彼にアンジェリークも微笑んだ。
「どんな物を売っているんですか?」
それから、商品を取り出して説明してくれたり……と話が弾んでいくうちに
落ち込んでいた気持ちもどこかへ行っていた。
不思議な雰囲気を持った人だな、とアンジェリークは思った。
「さて、一休みしたし、そろそろ行こうかな」
「あ、私も帰らなきゃ……。
 楽しかったです。ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。
 こんなに可愛いお嬢さんと話せて良かったよ」
さらりと誉め言葉を言われ、アンジェリークは真っ赤になった。
そんなアンジェリークの様子を楽しそうに眺めながら、彼は思いついたように鞄の中を漁った。
「楽しい時間をくれたお礼をしたいな」
「いいですよ。
 そんな……」
アンジェリークの言葉はあっさり無視して彼はごそごそと中身を取り出した。
それは先程の会話の中には出てこなかった品物だった。
「お嬢さんにはこの紅茶が良さそうだね。
 幸せを運んでくれるお茶だよ」
「い、いいですよ。
 だって、頂くようなことしてないんだし……」
「遠慮せずに受け取ってくれるとありがたいな。
 俺の気持ちばかりのお礼だから」
「じゃ、じゃあ……いくらですか?
 私、買います」
「それじゃお礼にならないじゃないか」
子供のように笑う彼にアンジェリークもつられて笑う。
「あ、えーと……じゃあ、半額で買わせてください。
 これ以上は譲りませんよ?」
「よし、いいだろう。
 本当に面白いお嬢さんだね」
依然と笑い止まないまま彼は楽しそうに頷いたのだった。


屋敷に戻ってから、またアンジェリークは働き通しで仕事が終わったのは深夜だった。
過労で倒れるのも仕方がないと思われるほどの仕事量。
ましてや、お嬢様育ちの少女には相当キツいはずだろう。
そして使用人棟に帰ってきて……レヴィアスを呼び出したのだ。





「あれはどうにも変わった少女だな……」
水晶球から目を逸らし、レヴィアスは溜め息と共に言葉を吐き出した。
それしか感想が浮かばなかった。
「レヴィアス様……」
「参考になった。
 そろそろ授業とやらが終わる頃だろう。
 カイン、留守は頼んだぞ」
「はい。いってらっしゃいませ」





                                    〜 to be continued 〜







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