My little Emperor



放課後の教室は庶民の学校と同じく活気があった。
話に花を咲かせる生徒達、一緒に遊びに行く生徒達。
話す内容や出かける場所が庶民にはあまり縁のないものだったりするが……。
また、生徒達の心を浮き立たせるひとつの要因として
来月に控える最後の学校行事があった。

「ねぇ、卒業パーティーどうする?」
「私はもうドレス用意したわよ」
「早いわねー。私はこれから布地を見に行くんだけど……」
「あ、私も一緒に行っていい?」
「ええ。一緒に行きましょう」
「ただ、ドレスは用意できるけれど……問題はエスコート役よね」
「そうよねぇ」
女生徒のグループが楽しそうにはしゃいでいる。
こんな光景がここしばらくスモルニィでは当たり前になっていた。
「アンジェリークも一緒に行く?」
聞き役に徹していたアンジェリークにもお誘いがかかったが、
せっかくだけど……と断ってしまった。
それに寄り道をせずに帰って仕事をしなければならない。
「アンジェリークは行く必要ないものね」
離れた所で別のグループの輪の中心にいたキャロルが口を開いた。
「どういうコトよ?」
レイチェルがムッとした表情で応戦する。
「だってあなた卒業パーティーに出られるの?
 ドレスとエスコート役の人、用意できて?」
見下すように笑うキャロルとその取り巻きの少女達がくすくすと笑う。
「できるに決まってんじゃない。
 アナタ達こそエスコートしてくれる人いるの?
 ドレスだけ立派なもの用意しても、パートナーいなかったら一人前と認められないヨ?」
図星を指された数人の少女達が勝気なレイチェルの言葉に怯む。
「ご心配ありがとう。
 エスコートを申し出てくれる方はたくさんいるわよ」
「それは良かったネ」
「レイチェル……」
言われた本人よりも好戦的なレイチェルの袖をアンジェリークは引っ張る。
「だって!」
「本当に私、卒業パーティーに出席するかどうかわからないもの……」
「アンジェ……」
レイチェルは悔しそうに唇を噛みしめて、とりあえずは舌戦を止めた。
「だって、だって!
 アンジェのエスコートしたい人なんてたくさんいるんだよ?
 キャロルなんかよりよっぽど希望者多いんだよ?
 あんなこと言われて悔しいじゃない」
「まさかぁ。
 私、誰にも誘われてないわよ?」
気を遣わなくても良いのに、とアンジェリークが笑うと
レイチェルはこれ見よがしな大きな溜め息を吐いた。
今はアンジェリークをエスコートする権利を巡って、水面下の戦いが繰り広げられているのだ。
最終的に勝った人物がアンジェリークを卒業パーティーに誘うのだろう。
レイチェルはここしばらくの間、あの少女のエスコート役は誰に決まったのかと
様々な人から問われ続けている。
「クラスメイトはもちろん、オスカー様だってアナタのこと誘いたがってたみたいだし、
 ティムカ様だって……」
「あ、レ、レイチェル……オスカー様の話題は…」
できればキャロルの前では避けたい。
昨日、激怒させたばかりなのだ。
「それに、もし誘ってくださっても着ていくドレスがないわ」
「アナタをエスコートできるなら皆ドレス持参で申し込んでくると思うけどね。
 それよりも最後のイベントなんだもの。
 ワタシはアナタと一緒に参加したいよ」
「レイチェル……」
親友の言葉にじんときてアンジェリークは嬉しくなる。
「ありがとう。
 前向きに考えとくわ」
それでも参加を確約することはできなかったけれど……。





「卒業パーティーとやらで随分盛り上がっているようだな」
屋敷に帰って着替えると、すぐに言いつけられた部屋の整理や掃除を始める。
そんなアンジェリークの傍のテーブルに座ってレヴィアスも魔法で手伝っていた。
彼女一人でやるには多すぎる仕事量である。
「え? うん、そうね。
 学校行事最後にして最大のイベントよ」
「ほぉ……」
手は休めないままアンジェリークはレヴィアスに説明をした。
「スモルニィってこの国のほとんどの貴族が通うトコじゃない?
 だからだと思うんだけど……。
 スモルニィを卒業したら一人前の紳士淑女として社交界に顔を出せるようになるのね。
 まぁ、よっぽど上流貴族とか他国の方と交流があったりすると卒業前にも
 社交界に出ているらしいけれど。
 要するに、ほとんどの生徒にとっては卒業パーティーが社交界デビューみたいなものなのよ」
クラスメイト達が「王子様が私達と同世代だったら玉の輿のチャンスだったのに〜」と
悔しがっていたくらいに、様々な人物達がお祝いと称して参加する。
「それであんなにざわついているのか」
「やっぱり皆楽しみにしてるもの。
 それにね、エスコートしてもらったりとか……
 そういうのがあると盛り上がるじゃない?」
雰囲気にのまれてこの時期はカップル発生率が非常に高くなる。
「わからんな。パーティーなど退屈なだけだぞ?」
心底不思議そうにレヴィアスが呟くと、アンジェリークはくすくすと笑った。
「そっか。レヴィアスも一応『皇帝』だものね。
 やっぱりパーティーとかには慣れっこなんだ?」
「一応は余計だ」
レヴィアスの文句は気にせずアンジェリークはにこにこと笑っている。
「いいなぁ。一度レヴィアスのパーティー見てみたい。
 可愛いんだろうなぁ」
「………………」
少女の最後の言葉が引っかかり、レヴィアスはしばし考えた。
そしてようやく答が思い当たり、その浮かんだ答にげんなりとする。
「……アンジェリーク」
「ん?」
「お前、どんなパーティーを想像した?」
「え、妖精さん達のパーティーでしょ。
 レヴィアスみたいな人達がいっぱい集まって……あ、料理とかもミニチュアサイズだよね。
 楽団もダンスの輪も小さくて……皆ちょこまか踊ってて。
 おとぎ話みたいな可愛いパーティーなんだろうなぁって。
 あ、あれ? レヴィアス?」
「なんでもない……好きに想像してろ」
なんとも言えない表情で脱力する小さな妖精にアンジェリークは首を傾げたのだった。
「で、お前はそれに出ないような話をしてたな?」
どうしてだ?とレヴィアスがアンジェリークを見上げると少女の顔が曇った。
「本当は……私の誕生日にパパとママからドレスをプレゼントされて……。
 それ着てパーティーに参加するつもりだったんだけれど……」
アンジェリークの誕生日を迎える前に彼らは亡くなってしまった。
「自分で用意するのもちょっと無理そうだし……」
おば達が全権を持っている今はドレスなどという高価な買い物は
アンジェリークにはできそうもなかった。
お金など持ったことのない自分が自由にできる額はどのくらいなのかもわからない。
「ふん……。お前にはお前の取り分があるはずだがな。
 まぁ、あいつらがそう簡単に渡すはずもないか……」
「最初で最後だと思うから、パーティー行ってみたいとも思うんだけれどね」
諦めるしかないかなぁ……と溜め息をつく少女をレヴィアスは呆れたように見上げた。
「お前、何故我がここにいると思う?」
「え?」
「我はお前の願いを叶えるためにいるのだぞ」
「あ、そうか」
のんきなアンジェリークは今初めて思い出したようにぽんと手を叩く。
「じゃあ……」



「アンジェリーク!」
一つ目の願い事を言おうとした時に、青年の声が聞こえた。
「今帰ったよ。アンジェリーク。
 母上やキャロルにひどい目に遭わされていなかったか?」
「アラン兄様」
「……ということはキャロルの兄か?」
レヴィアスの言葉にアンジェリークは頷く。
「しばらく旅行に行ってたのよ」
「お帰りなさい。
 お久しぶりです」
キャロルやおば同様、整った顔立ちだけれどもきつい印象を与える雰囲気。
でも、彼はアンジェリークには優しかった。
「キャロルに聞いたよ。
 卒業パーティーを欠席するかもしれないんだって?」
「え、えーと……」
そのつもりだったのだが、でもレヴィアスのおかげで行けそうで……。
しかし、どう説明したら良いものか、アンジェリークはとっさに言葉が出てこなかった。
その沈黙をやむを得ず欠席するのだと解釈した彼は何も言わなくていい、と手で制した。
「まったく、母上も冷たいね。
 ドレスくらい君にも用意してあげればよいものを……。
 心配いらないよ、アンジェリーク。
 私が用意してあげよう」
「でも……」
「エスコートも私がしてあげよう。
 風の噂で嫌なことを聞いてね」
「嫌なこと?」
アンジェリークが首を傾げると彼は眉を顰めて話を続けた。
「あのオスカー伯爵が君をエスコートするかもしれない、とね」
「アラン兄様までそんなことを……?
 私、オスカー様に卒業パーティーのことなんて何も言われてませんよ?」
ただ他の事は言われたけれども……。
「可愛いアンジェリークをあんな男の毒牙にかけるわけにはいかないからね」
毒のあるその言い方にアンジェリークは少々引っかかり、つい口を挟んでしまった。
「オスカー様は優しい方です。
 そんな言い方は……」
「アンジェリーク!」
遮るように名を呼ばれ、アンジェリークはびくりと肩を竦めた。
「もしかして君はすでにあの伯爵に……」
「ち、違いますっ。
 とにかくオスカー様とはなんでもありません」
二人のやりとりを傍観するしかないレヴィアスは「似たもの兄妹だな……」と
思いながら、成り行きを見守っていた。
「本当か?」
「はい」
「ならば、私が卒業パーティーのエスコートを務めても問題はないね?」
強引に話をまとめる彼にアンジェリークは頷けなかった。
「でも……アラン兄様、婚約が決まったばかりじゃ……?」
今回の旅行もそれに関する取り決めを行うためのものだったのだ。
彼が父兄として卒業パーティーに参加してもおかしくはないが、
彼がエスコートするべきなのはその婚約者の方だろう。
「親同士が決めた政略結婚の相手に興味はないね。
 向こうもそんな感じだったよ」
「………………」
「それより、アンジェリーク」
「はい?」
急に話題を変える彼をアンジェリークは不思議に思いながらも見上げた。
「これからどうするか、決めたかい?」
「………………」
学校を卒業するまでは屋敷で働きながら学校に通うこととなっていた。
卒業後は……ずっとこの屋敷で働くか、屋敷を出て自立するかを選ばなくてはならなかった。
「次期当主として育ってきた君にはどちらも酷な選択だよね」
「………………」
「私がもうひとつの選択肢をあげようか?」
「もうひとつ?」
「私の第二夫人になれば、今まで通りこの屋敷で暮らせるよ」
「え?」
突然のことにアンジェリークは何も反応できなかった。
「……や、やだ、アラン兄様ったら…。
 タチの悪いご冗談を」
婚約者が決まったばかりのくせに愛人になれなど笑えない。
「冗談なんかじゃない。
 婚約して思ったんだよ。君にこそ傍にいてほしいとね」
「……それなのに愛人ですか?」
「仕方がないだろう。あの母上が決めたいいとこのお嬢様だからね」
プロポーズされているのだか、バカにされているのだか分からない。
アンジェリークにしては珍しく、むっとしながら返事を返した。
「その選択肢は聞かなかったことにします。
 お互いの為に」
「何故だ? 最善の案じゃないか?」
断られるなど思ってもみなかった彼は不満そうにアンジェリークの肩を掴んだ。
「私以外の誰が君を助けられると言うんだ?」
「貴方に助けてほしいなんて頼んでません」
素直に頷いてくれると思っていた従妹の反発に彼は苛立たしげに言った。
「じゃあ、これからどうするか聞かせてもらおうか?
 私達に使われるのか?
 それとも君の僅かな財産を持って一人でここを出るか?
 今までのような暮らしは望めないぞ」
「………………」
言い返せないアンジェリークに彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「大人しく私の傍にいればいい。
 それが君のためだ」
「っ!」
嫌悪のためか、怒りのためか背筋がぞくりとした。
肩にかかる彼の手を振り解こうとしたが、逆に壁に押し付けられた。
涙の滲んだ瞳で真っ直ぐ従兄を睨み、アンジェリークは拒んだ。
「絶対にいやっ」
「アンジェリーク。
 今、君がこの屋敷になぜいられるのか分かっているのか?」
「知ってます。
 アラン兄様がおばさまとキャロル姉様を説得してくれたから……」
本当はすぐにでも追い出されそうだったところを彼の取り成しで
卒業まではいられることになったのだ。
「そのことに関しては感謝しています……」
「だったら!」
「でもっ……その提案は受け入れられません」
「では君が何を選んだのか、言ってごらん。
 アンジェリーク」
「………………」 
挑むような従兄の問いに、一瞬の間にいろいろと考える。
ずっとずっと考えてきたこれからのこと。
本当はまだ口に出す勇気はなかったけれど……。
ひとつ深呼吸してからアンジェリークは静かに言った。
「この屋敷を出ます」
「!?」
そっちの道を選ぶとは思わなかった彼は目を見張った。
「お嬢様育ちの君が一人でやっていけると思うのか?
 私の誘いを蹴ってまでっ」
「痛っ……」
押さえつけらた肩の痛みにアンジェリークは眉を顰めながら答えた。
「一人じゃない。
 一人じゃないから……その人からここを出る勇気をもらえた」
「それがあの伯爵か?
 スモルニィの誰かか?」
「ちがいます」
激昂する従兄をどう静めたら良いのか分からない。
でも彼の望み通りの返事は絶対にできない。
アンジェリークは困惑しながらテーブルの上にいるレヴィアスを見つめた。
「レヴィアス……」
真っ直ぐに見返してくる金と翡翠の瞳になぜか安心した。
彼がここにいてくれる。
それだけでほっとする。
「レヴィアス?
 どこの家の者だ? 聞いたことがないな」
アンジェリークの小さな呟きを聞き逃さなかったアランはアンジェリークに詰め寄った。
「それが君の選んだ男か?」
(ごめんね、レヴィアス。
 一つ目のお願い、変更させて)
レヴィアスを見つめて心の中で謝った。
本当は彼のことは誰にも言ってはいけないはずだけれど……。
思いが届いたのか、レヴィアスはいつも通りの不敵な表情で頷いた。
レヴィアスに勇気付けられてアンジェリークはアランに向き直った。
「はい。私はレヴィアスと一緒にここを出ます」
(レヴィアス……助けて)
「どうせくだらん男だろう。
 何の後ろ盾も持たない君の面倒を見るなんてよほどの物好きか……。
 顔を見てみたいものだね」
「っ……」
あからさまに彼を見下したように吐き捨てる言葉にアンジェリークは言い返そうとした。
しかし第三者の声が聞こえてきたので、それはできなかった。
「そんなに見たければ見せてやる」
アンジェリークの肩を掴んでいた腕を振り払い、庇うように抱き寄せた青年を
二人して呆然と見つめる。
「レヴィアス……?」
ぱちぱちと瞬きながらアンジェリークは自分を抱く相手を見上げた。
見上げるほどの長身。
だけどその漆黒の髪も金と翡翠の瞳も偉そうな雰囲気も覚えがあって……。
アンジェリークの知っているレヴィアスではないけれど、間違いなく彼で……。
「遅い」
「え?」
「もっと早く我を呼べ」
憮然と紡がれた低い声にくすくすと笑いが零れる。
「ごめんなさい、レヴィアス。
 ありがとう……」


「お前、どこから入ってきた?」
突然現れたレヴィアスは自分が敵う相手ではない。
それを感じ取り、文句の付けようがないのを悔しがりながら険しい表情で睨むアランを
レヴィアスは笑って一蹴する。
「周囲も見えぬほど、熱くなっていたと見えるな」
最初からいたと本当のことを言うわけにもいかず、適当な挑発の言葉で誤魔化す。
「っ……まあいい、質問を変えてやる。
 何者だ?」
「聞いたはずだろう。
 アンジェリークの選んだ男だ」
「しかし、今までお前の名など聞いたことがないぞ」
食い下がる彼にレヴィアスはひとつ息をついて面倒臭そうに答えた。
「正式に婚約する前にこれの父上が不幸にあったからな。
 仕方がないから我が直接迎えに来た」
「……っ……」
「今度は我が質問をしたいが?」
切れるような鋭い視線がアランを射抜く。
「なんだ?」
「我のアンジェリークに何の用だ?」
問いかけておきながら、どんな返答も許さないと言わんばかりの威圧感に
勝てる者などそうはいないだろう。
「……用などない」
そう言い捨てて彼が部屋を去った後、アンジェリークはずるずるとしゃがみこんだ。
「どうした?」
「怖かったし……びっくりしたぁ。
 いろいろと……」
「そうか」
レヴィアスはくっと喉で笑い、アンジェリークの手を取って立たせた。
「レヴィアスがこんなに育つなんて知らなかったよ。
 大きくなったねぇ」
「………これが本来の姿だ。
 この姿でお前の周りをうろついていては何かと不便だからあのサイズになったまでだ」
突っ込みたい気持ちを抑えてレヴィアスは不本意そうに答える。
「そうなんだ?」
「とにかく、これで一つ目の願いは叶えたからな」
「うん、ありがとう。でも……良かったの?
 その……婚約者……なんて言っちゃって…」
口篭りながら訊ねる少女にレヴィアスは苦笑した。 
「ああ言うのが一番だと思ったんでつい、な。
 嫌だったか?」
「う、ううん。
 どうせフリだけなんだし、嫌じゃないけど……」
「ならば問題ないだろう。
 これからよろしく頼むぞ。婚約者殿?」
「あ、はい。こちらこそ。
 よろしくね」
白い指先に口付ける彼にアンジェリークははにかみながら頷いた。



それからアンジェリークの婚約者話はあっという間に広まっていった。
この話を聞いてがっかりした者がいったいどれほどいたことか…。
しかし、その相手がどこの誰なのかは相変わらず謎のままだった。
「噂のカレ、卒業パーティーで会わせてくれるんデショ♪」
卒業パーティーを目前に控えた日、レイチェルは嬉しそうにアンジェリークに囁いた。
「え、うーん……多分…」
嘘でも婚約者として名乗ったのだから、ドレスも用意するしエスコートもしてくれると
レヴィアスは言っていたが……あまりパーティーは好きではないようだった。
その彼を引っ張り出しても良いのかな、とちょっと躊躇ってしまう。
「ま、当日を楽しみにしてるヨ」
レイチェルの言葉にアンジェリークは曖昧に笑うしかなかった。





                                    〜 to be continued 〜







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