My little Emperor
翌日は朝食を終えてからアンジェリークは厨房に篭りっきりとなった。 手持ち無沙汰なレヴィアスは懸命な少女を興味深げに眺め、時には手伝ったりもしながら 菓子達が出来上がっていくのを見守っていた。 全てが完成したのは昼をいくらか過ぎた頃。 「ごめんね、レヴィアス。 お昼ごはんお預けになっちゃって……」 「気にするな。 我も時間が過ぎるのを忘れていたしな」 「サンドウィッチも作ったからアフタヌーンティーにしよう?」 そして名案とばかりに手を叩いた。 「今日お天気良いからお庭で食べようか。 テーブルと椅子出して……うん、そうしようっ」 春の訪れを感じさせるような気候の中、外で食べるのは気持ちが良いことだろう。 「姫君の仰せのままに」 レヴィアスは顔を輝かせる少女に微笑むとぱちんと指を鳴らした。 一瞬で室内にあったテーブルセットが外に移動される。 「ありがとう、レヴィアス」 皇帝である自分が小さな主人にここまで仕えているのも、 願い事以外で気安く魔法を使っていることも、配下の者が見たら 驚いたり良くない顔をするかもしれないけれど。 この笑顔が見られるのなら……これくらいのことは安いものだった。 「お茶は何にしようかなぁ。 あ、そうだ。レヴィアスを呼んだ時のお茶、久しぶりに飲もうかな」 あれはもったいなくて大事に大事に飲んでいたが、今日みたいな日には良いかもしれない。 「本当に不思議なお茶よね」 辺りに香る紅茶の香りは相変わらず心当たりのないもので……。 どこの茶葉が使われているのかも分からない。 「それは特殊だからな」 「特殊?」 「一般に店先に並ぶ物ではない。 お前にそれを渡した男がいただろう?」 「ええ。旅の行商人さんね」 長い金の髪を束ねた朗らかな人を思い出しながらアンジェリークは頷いた。 今はどこにいるのだろう? 「………………」 「どうしたの?」 「いや、なんでもない。 この紅茶はその者しか扱っていない」 だから少女が知らないのも無理はない。 「じゃあ、あの日あの人に会えて本当にラッキーだったのね」 無邪気に微笑む少女にレヴィアスは複雑な気持ちを隠して微笑んだ。 「あ」 ふいにサンドウィッチを口に運んでいたアンジェリークの動きが止まった。 何事かと視線を向けるレヴィアスにアンジェリークは浮かんだ疑問を投げてみた。 「もう一度、新月の晩に同じことをしたらレヴィアスはまた来てくれるの?」 期待に満ちた瞳に応えてやりたかったが、現実はそうもいかない。 「いや、我を呼び出せるのは一人につき一度だけだ。 我の方が忙しければ初めて試みたものでも召喚には応えてやれないしな。 ……我とて万能ではない」 「ふぅん……そうか…。そうだよね。 皇帝なんだもの。自分のお城のこともやらなくちゃだよね」 おとぎ話のような不思議な力を使う不思議な存在。 魔法で何でもできそうなのに…… そんな彼でもどうにもできないこともある。 「だったら……それはそれでいいか」 アンジェリークは一人なにやら考えてなにやら完結したようである。 不思議そうに見つめるレヴィアスに微笑んだ。 「最後の願い事を叶えてもらう日まで楽しもう?」 「ああ、そうだな」 この少女は潔い。 どんな状況でも受け入れて、自分の取るべき方向を考える。 今もがっかりした表情を見せたのは一瞬で、すぐに相手の気持ちが和むような笑みを見せた。 ただ、その執着のなさが見守っている身としては心配の種でもあるが。 自分の本当の望みさえ、状況に応じて諦めてしまいそうで……。 一つ目の願いは緊急事態のため、助けを求めた。 そんな状況にならなければ、願わなくても済んだことだった。 二つ目の願いは屋敷を出るならやってみたいことがある、と店を開く手伝いを願った。 屋敷を追い出されるような事がなければ、願わなかったことだろう。 とても楽しそうに準備を進めているから、悪いこととは思わない。 だが、心底夢見て、どうしても叶えたかった願いではない。 最後の願いくらいは少女が本気で望むものを叶えてやりたい。 「最後の願いは……ゆっくり考えてお前が本気で望むものを言え」 「? 私、一つ目も二つ目もホントにそうしてほしいと思ったけど……?」 首を傾げる少女にレヴィアスは苦笑した。 「絶対に譲れぬものがお前にはないような気がしてな……」 「……?」 「他人が困っていれば、お前は躊躇わずに譲るタイプだろう。 そんなお前を一人残すのは少々心配だ」 「レヴィアス……」 真摯な瞳にアンジェリークは言いようもない気持ちになる。 かなり正確に自分の性格を解ってくれていた事は嬉しい。 本気で心配してくれているのも嬉しい。 なのに……どこか悲しかった。 どうしてだろう、と考えてすぐに思い当たる。 レヴィアスがもうじきいなくなることを前提とした話だからだ。 あの晩からずっと一緒にいてくれた彼がいなくなる。 そういえば同じような気持ちになったことが前にもあった。 卒業パーティーに参加できて、レヴィアスも一緒でとても楽しかったのに……。 (あれ?) 言葉にしようもない寂しさを覚えて……。 (その後、どうしたんだっけ?) 何かが引っかかったのだが、記憶が曖昧になっていた。 レヴィアスによると自分はカクテルに酔ってたらしいから そのせいなんだろう、とアンジェリークは納得してしまった。 「では、試食してもらおうかな。 この為にサンドウィッチはちょっと少なめに作ったんだよ」 気分を切り替えてアンジェリークは冷やしていたデザートをプレートに並べて レヴィアスの前に持ってきた。 「まるでメインがこっちでサンドウィッチは前菜みたいな言い方だな」 「ふふ、そうかも」 小さく舌を出して、プレートの端から説明していく。 「まずは基本のショートケーキでしょ。 それからチーズケーキ、その隣がちょっと工夫をしてみたチョコレートケーキ。 ケーキ以外も必要かなって思ってフルーツタルトとアップルパイ。 あとは簡単に大量生産できるクッキー」 今の時点で店に並べようとしている商品の一部をアンジェリークはあげていく。 「試食用に小さく作ったけど……。 それでも二人で食べるには多いよね」 「さすがにな」 「余ったら挨拶代わりにご近所にでも配ろうかな。 宣伝にもなるかも……。 あ、ゼフェルとランディの所にも持っていこうっと」 手際よく食べやすいサイズに切ってレヴィアスの皿に盛り付ける。 「どうぞ」 「ああ」 控えめな少女が腕に自信があると言うだけあって、 それは確かに美味しい部類に入るものだった。 「ほぉ……さすがパティシエに認められただけあるな。 これなら充分売り物になる」 「えへへ、十年以上もやってるもの。 それに甘いものって食べてる時、幸せになるよね〜。 ごはん作るも好きだけど、お菓子作りの方が好きだな」 アンジェリークはにこにこと自信作のチョコレートケーキをぱくついた。 「でも太らないように気をつけなきゃね……」 「くっ……」 年頃の少女らしい発言に思わず笑ったレヴィアスはアンジェリークに睨まれた。 「笑い事じゃないよ〜。 毎日たくさん作ってたら、味見だけでもけっこうな量になるんだよ?」 切実な悩みを笑われたアンジェリークは可愛らしく膨れながらもケーキを食べていた。 それがレヴィアスには愛しくも微笑ましかった。 しばらく試食を兼ねたティータイムを楽しんでいた二人のところに珍しい訪問者が現れた。 アンジェリークはそれに気付いて目を丸くした。 「あれ〜。黒猫さんだ」 レヴィアスの後ろにある門の格子の隙間からするりと入ってきたのはあの黒猫だった。 アンジェリークは立ち上がり、黒猫の方へと近付いた。 「どうしてこんなところにいるの? お屋敷からはけっこう距離あるのに……」 黒猫は逃げることなく、差し出された手に挨拶代わりに首の辺りを擦りつけた。 「アンジェリーク?」 その様子を見ていたレヴィアスの所にアンジェリークは黒猫を抱き上げて戻った。 「おねがい、大人しくして〜」 従順だった黒猫は抱き上げられるのは嫌なのか、 最初は抵抗していたが少女の声に大人しくなった。 「レヴィアスは初めて会うんだよね」 彼に見えやすいように抱き直してアンジェリークは微笑んだ。 「お屋敷の近くでよく見かけてて……ミルクとかあげてたんだ。 レヴィアスを呼ぶ時も直前までこの子一緒にいたんだよ。 ね、黒猫さん?」 少女に覗き込まれてみゃあ、と鳴く黒猫をレヴィアスは面白くなさそうに眺める。 心なしかその視線はどこか怖いものがあった。 「ほぉ……」 「飼い主は知らないし、この子の名前も知りようがないから 呼んであげられないんだけどね」 「勝手に名付けようとは思わなかったのか? けっこう可愛がっているようだが……」 「私の猫さんじゃないもの……」 寂しそうに黒猫の頭を撫でる少女にレヴィアスは提案した。 「またミルクでもやったらどうだ?」 「あ、そうね。 レヴィアス、ちょっとこの子見ててね」 「ああ」 片手で黒猫を受け取ったレヴィアスは少女が家の中に入ったのを確認して地面に下ろした。 「どういうことだ? 説明してもらおうか……カイン?」 名を呼ばれ、低い声で問う人を見上げて黒猫は答えた。 彼が不機嫌な理由を察しながら。 「本来ならば彼女に抱かれるなど恐れ多いことと承知していますが…… お許しください」 抵抗して傷を付けるわけにもいかない。 「彼女とはこの姿の時に何度かお会いしてました。 というよりは『彼女に呼びかけられて無視できなかった』ですけれど」 本物の猫のフリをするなら無視して通り過ぎれば良かったし、 実際そうしていたのだが、なぜかあの少女にはそれができなかった。 意外に大人気ない主に新鮮な驚きと喜びを覚えながらカインは苦笑した。 今までレヴィアスがこんな嫉妬めいた感情を表したことはない。 本人に言えば冷たい顔をして否定されそうなので言わなかったが……。 「私がここへ伺ったのはあの方に様子を見てくるように言われまして……」 「あいつか……」 「予想していたよりも長引いているようなので、心配なさったのでしょう」 「我はアンジェリークと上手くやっている」 心配無用だと口の端を上げるレヴィアスに黒猫カインは首を横に振った。 「私が主と心に決めた貴方です。 そんな心配はいたしませんよ。 心配だったのは……城の生活よりもここが気に入ってしまわれたのではないかと……」 帰りたくないと思うようになっているのではないか……。 「ふっ、それこそ心配無用だ。 我はいるべき場所を見失うことはない」 胸中を隠していつもの不敵な笑みで部下の心配を一蹴する。 その為に自尊心の高い自分が、卑怯だと知りつつ少女の記憶を操作したのだ。 「あと一つ。アンジェリークの願いを叶えたら城に戻る」 「……お待ちしています」 少女が戻ってきそうな気配を感じ、レヴィアスは最後にひとつ付け加えた。 「ああ、そうだ。 アンジェリークが店を開くために入り用な物を揃えたがっている。 商人を寄こしてくれないか?」 レヴィアスの力で一式揃えることも可能だが、そこまでしてやる気もなかったし アンジェリーク自身も望んではいないと分かっている。 「承知しました」 黒い小さな頭がぺこりと下がり、話が終わったタイミングで アンジェリークがミルク皿を持ってやってきた。 「おまたせ〜。 あら、レヴィアス下ろしちゃったの?」 「ああ。我の膝の上は居心地が悪いのだろう」 主の上に乗るなど例え猫の姿でも恐れ多くてできない部下を見下ろしながら 彼は口の端を上げた。 肯定するように黒猫もにゃあ、と鳴いた。 アンジェリークはこの二人の間にある不思議な空気を感じ取り、首を傾げていた。 ここ数日恒例となりつつある、庭での午後のお茶のテーブルで アンジェリークはノートを開いて考え込んでいた。 「ん〜……メニューはこんなところかな。 定番商品と日替わり商品一、二品。 レヴィアスのおかげで商品には自信が持てるようになったわ」 「練習して味も安定してきたし、大丈夫だろう」 彼の味覚とアドバイスは信用できる。 ゼフェル達にも教わりながら経営に関する知識も身に付けつつある。 「問題は備品とかよね……。 周りの人に聞いてみたんだけど、収穫はあんまりなくって……」 「そう思って人を頼んでおいた」 「え?」 「そのうち商人が来る」 「ホント?」 少女の顔がぱっと明るくなる。 「ウワサをすればなんとやら……グッドタイミングやなー」 門に肘を付くように寄りかかった青年が笑顔でひらひらと手を振っていた。 妙な喋り方をする明るい青年をレヴィアスは眉を顰めて見やった。 「なぜお前がここに来る?」 「お知り合い? ということは彼も妖精さん?」 門を開け、招き入れながら首を傾げると、彼は一瞬きょとんとした後に笑い出した。 「あーちゃうちゃう。俺はこのお方とは違うからなー。 俺はチャーリー。普通の人や。 商人を探してるって聞いたんで顔出したまで」 どこが普通の人だ……と言うレヴィアスの不機嫌そうな声は無視して にこにことアンジェリークに勧められお茶の席に着く。 「今、新しいお茶を淹れますね」 「カインといいお前といい……暇なヤツが多いらしいな。 我が戻ったら仕事を増やしてやろうか」 「ひどいお人や。 激務の合間に駆けつけたモンに向かって」 大げさに嘆くフリをする彼にレヴィアスは動じず投げやりに言った。 「顔に好奇心、と書いてあるぞ」 「あはは〜。バレましたか」 大方レヴィアスの主となった少女と、それに仕えるレヴィアスを見たいが為に来たのだろう。 「ふふ、仲良しなんですね」 「どこがだ」 「そらもー、皇帝陛下には目をかけてもらってますわ」 アンジェリークの言葉に二人同時に正反対の返事をした。 「ふんふん、なるほどねー。 ちゅーことは必要なのは……」 必要だった備品だけではなく、農場や牧場から仕入れられない材料も彼から 取り寄せられるらしいので、色々と追加注文が増えた。 それらをさらさらとメモを取りながら、チャーリーは意外にてきぱきと話を進めていった。 「ケーキも美味いしお茶淹れんのも上手や。 なのにカフェにはせえへんの?」 「ええ。一人じゃ手が回らないし、そんなにスペースもないし……」 「もったいないな〜」 「ありがとうございます。 常連さんだけここでお茶してもらっても良いかもしれませんね」 ここなら適度に緑もあって落ち着くことができそうである。 レヴィアスと自分ですでに実践していることでもあるし……。 「余裕ができたら考えてみますよ」 「そやな。まずは店始めてみないとわからんか」 本人が言った通り忙しい身なのか、彼は話が終わるとすぐに席を立った。 「すぐに手配しとくわ。 お茶ごちそーさん」 「ありがとうございます、チャーリーさん」 〜 to be continued 〜 |