My little Emperor
そうして慌しくも楽しかった準備期間が過ぎ、ようやくの開店当日。 「これで準備万端」 開店前に作ったお菓子をショーケースに並べたアンジェリークは 後ろで見守っていたレヴィアスを振り返った。 意外にちゃっかり者のアンジェリークは屋敷で着ていたメイド服を ここの制服代わりに着ていた。 スカートの裾がふわりと舞う。 「レヴィアス」 「なんだ?」 「ありがとう」 「くっ、突然どうした?」 「あなたがいたからここまで来れた。 私一人でお店をやろうなんて思えなかったし、実現も出来なかったと思う」 きゅっと抱きついて気持ちを伝える。 「本当に感謝してる」 甘いクリームの匂いがする少女を抱き止め、レヴィアスは笑った。 「我は少し手伝ってやっただけだ」 「これからもよろしくね」 「ああ」 「アノー……入っても良い?」 突然聞こえた少女の声にアンジェリークは慌ててレヴィアスから離れた。 「レイチェル!」 「へへ〜。フライングで来ちゃった」 「レイチェルなら開店前でも大歓迎よ。 来てくれたんだ。ありがとうっ」 「アンジェの記念すべき日だもんね。 お客さん第一号はこのレイチェル様じゃなきゃ☆」 「うれしい〜。何が良い? レイチェルからならお金はいらないよ」 「それじゃお客さんにならないヨ」 きゃっきゃと嬉しそうにケーキを選んでは話していたが、新しい客達が入ってきたので レイチェルは気を利かせて退散することにした。 帰り際に意味ありげに囁いた。 「カレとも仲良くやってるみたいだし、安心したよ☆ でも、お店でいちゃつくのはどうかと思うけど〜?」 「れ、レイチェル……」 「あはは、照れない照れない」 真っ赤になった親友をからかい、忘れ物に気付いて立ち止まった。 「アンジェ」 「ん?」 「ここ、大きいケーキも注文できる?」 「どのくらいの大きさ?」 「ウェディングケーキ。 あ、もちろん式にも参加してよ?」 「うわ〜、おめでとう。 とうとう結婚するのね」 「うん。どうせどこかに注文するならアンジェにお願いしたいナーって思って」 良いお客さんデショ?とレイチェルはにっこり微笑んで言った。 「喜んで! 腕によりをかけて作るから!」 「ありがと。 他のお客さんもいることだし、また詳しいことは後でね」 アンジェリークの心配をよそに店の評判は良く、客も連日途絶えることがなかった。 最初はあのコレット家の令嬢が面白いことを始めた、と 物見遊山で来た者も少なくなかったが、実際に来店して商品の質の高さと 少女本人の人当たりの良さに常連となる者が続出だった。 リピーターが多く、口コミで店の情報が広まっていった。 レイチェルという心強い常連客がいるのも原因の一つかもしれない。 彼女の為に作ったウェディングケーキも評判が良かったし、 彼女の屋敷で開かれるお茶会にも出張してケーキを届けている。 今ではかなり立場は違ってしまったのに…… いつも気にかけてくれる親友に感謝してもしきれないほどだった。 元クラスメイトや貴族達にも注目されるようになった。 あのキャロルとおばですら「コレット家の者が菓子職人になるなど……」と言いながらも 客として来てくれたのは嬉しい驚きだった。 朝早く起きて身支度を整えて……。 リビングのソファで眠る妖精姿のレヴィアスを見て思わず微笑んで厨房に入る。 「今日はどうしようかな……。 いくつくらい作っとこう?」 ボウルの中身を混ぜながらアンジェリークは窓の外の様子を見た。 天気や気候によって売れ行きは大分変わるし、その辺を読み間違えると 売れ残りが多くなってしまう。 そうなったらなったで自分で食べたり、いつも世話になっている農場や牧場に おすそ分けに行くので無駄にはならないが……。 「アンジェリーク」 「あ、おはよう。レヴィアス」 もうちょっと寝てても良いのに、と言いかけてぴたりと止まる。 レヴィアスが近付いて……ずいぶん近付くなとのんびり見上げていたら ぺろりと頬を舐められた。 「っ……」 「考え事をしながら作業をしない方が良いぞ」 耳まで赤くして反応できない少女に喉で笑い、視線で周りを示した。 「そこら中に跳ねている」 「あ、あ〜〜……」 言われて見てみると生クリームが転々と飛び散っている。 「もしかして、ここにも……?」 自分の頬に触れ、未だに頬を染めながら確認する。 「ああ」 「うぅ〜……ありがとう、って言うべきなのかなぁ」 心底戸惑いながら言う少女が可愛かった。 そこへ咳払いの声が聞こえ、アンジェリークは慌てて開けてあった勝手口を振り返った。 「あ、ゼ、ゼフェル……とランディ。 ……ごくろうさまです」 どうしてこうタイミング悪い時ばっかり人が来るんだろう、と 穴があったら入りたい思いでアンジェリークは朝の配達に来た二人を出迎えた。 レイチェルよりはよほど純情な彼らの顔を見れば、 さっきの場面を見られていたのは明白である。 「お、おー。確かに届けたぜ」 「じゃあ、今日も頑張ってね」 「はい、ありがとうございます」 いつも通りのアンジェリークの笑顔に見送られ、ランディがぽつりと呟いた。 「そうだよね。 アンジェリークには婚約者がいるんだよね……」 「がっかりさせたかもしれんな」 レヴィアスの呟きにアンジェリークはオーブンの蓋を閉じて首を傾げた。 「え?」 「あの者達がマメに来るのはお前のためだろう?」 本当は二、三日分まとめても良いのに毎朝新鮮なものを配達してくれて、 自分の手が空いている時は様子を見に来てくれる。 「きっと私がまだまだ頼りないからなんだよね……」 苦笑するアンジェリークにレヴィアスは真実は告げなかった。 きっと言ってもこのとてつもなく鈍い少女は分からない。 好きな人の役に立ちたい、と言う純粋な彼らの気持ちを自分が伝えるのは躊躇われた。 彼女が主で自分がその忠実な僕だと理由を付けなければ、 一つ目の、または二つ目の願い事の延長上だと……自らを騙さなければ 優しくできない自分にはその資格はない。 一段落ついて、お客が途切れた時にアンジェリークが呟いた。 「順調すぎて怖いくらいだわ……」 「くっ、何を怖がる?」 「こうあまりにも順調だと……後で大きな波が来そうじゃない?」 「順調なのはお前の努力の結果だろう? 努力を怠らなければ今の状態が続くか、さらに良くなる。 気を抜けば失敗する。それだけだ」 当たり前のように言われてアンジェリークはまじまじと彼を見上げた。 「……レヴィアスって魔法使えるのにとっても現実的よね」 「妙な感心の仕方をするな」 呆れたようにレヴィアスは笑った。 「あ、そうだ。今度の日の曜日。 出張してくるね」 「またレイチェルのところか?」 「ううん、今度は別。 レイチェル以外の所って初めてだからちょっと緊張するよ〜」 「くっ……」 「だって失敗できないんだよ〜。 代わりにレヴィアス行く?」 「断る」 分かり切っていた返事に苦笑しつつアンジェリークは説明した。 「依頼人はオスカー様なんだけれどね。 その想い人とのお茶の席に出すお菓子を用意するの」 「別にお前が緊張するまでもないだろう。 あの男の想い人など星の数ほどいる」 「それがどうやら本気の本気な人みたいでね……」 彼もレイチェルのように自分を気にかけて何度かここに足を運んでくれた。 せめてものお礼がしたい。 「よしっ、今から新しいケーキ考えようっ」 「ほどほどに頑張るんだな」 「うん」 そして出張当日。 アンジェリークは荷物を迎えの馬車に運んでもらっている間、 レヴィアスに心配そうに留守を頼んでいた。 「ごめんね。 今日はゼフェルもランディも手伝いに来れないって……」 「気にするな。 ほんの数時間の店番くらいはやれる」 「できるだけ急いで帰ってくるから」 基本的に人前には出ないレヴィアスだが、 アンジェリークだけでは手が回らない時には彼も働いた。 あまり愛想が良いとは言えない接客だが……それでも、女性客を増やすには十分だった。 アンジェリークのケーキも魅力だが、彼会いたさに通う女性が多いことも事実だった。 彼一人にしたら、かえってお店が混むかもしれないとは言えなかったアンジェリークだった。 帰り道も送るとオスカーが用意してくれた馬車に揺られながら アンジェリークは満足そうな笑みを浮かべていた。 お菓子も気に入ってもらえたし、二人の雰囲気もなんだか良い感じみたいだったし……。 オスカーの想い人である少女がアンジェリークの作ったケーキをとても気に入って アンジェリークと話がしたいとまで言ってくれた。 「今度はあなたが私のお茶の相手になってね。 もちろん手作りケーキ持参よ?」 「お嬢ちゃん。 俺よりもこっちのお嬢ちゃんとの次の約束を取り付けるほうが先か?」 「もちろんよ。 あなたとならいつでも会えそうだけど、 こちらのアンジェリークとは前もって約束しとかなきゃ」 優先順位をアンジェリークに取られてオスカーが苦笑する。 その彼に花のように微笑む少女もアンジェリークという名前だった。 「帰ったらレヴィアスにお話しよう」 一方そのレヴィアスはと言うと……アンジェリークの予想した通りいつも以上に 多かった客をさばいて、顔には出ていないが疲れきっていたところだった。 「あら、これしか残ってないのね。 お嬢さんもいないの?」 人波が引いた後にやってきた女性が残念そうに呟いた。 「あいつは出かけている。 選択の余地はないが、これで良いか?」 「ええ」 商品を受け取っても彼女は帰る気配がない。 「他に何か?」 無愛想なレヴィアスに怯みもせず、彼女はにっこり笑って訊ねた。 カウンターに身を乗り出し、小声で話しかけた。 「ねぇ、あなた、あのお嬢様の婚約者なんですってね」 「ああ」 「どこの若様かしら?」 「あまり詮索されるのは好きじゃない」 話す気はないとばかりにショーケース内などを片付ける。 「じゃあ、遠回しな言い方はやめるわ。 今度お食事でもいかが?」 先程まで相手していた女性客達より正直すぎる誘いはある意味気持ちよかった。 レヴィアスは思わず苦笑した。 「せっかくだが、アンジェリークの料理で満足している」 「まぁ……のろけてくれるわね。 本当に不満な点なんてひとつもないみたい」 どこか感心したように彼女は言った。 「ないな」 「本当に?」 探るような瞳に少し考える。 「ああ……禁酒を言い渡されているのが少々残念なくらいか?」 「幼い婚約者を持つと大変ね。 お酒なら誘えば来てくれるのかしら?」 「諦めるんだな」 取り付く島もない返答に彼女が肩を竦めた時だった。 「ダメ〜っ」 アンジェリークが慌てて飛び込んできた。 「アンジェリーク?」 レヴィアスを彼女から庇うように立つ少女を少々驚きながら見下ろす。 「おねーさん、ケーキは売ってあげられるけど レヴィアスは渡せないの……」 今にも泣きそうな子犬の瞳が真っ直ぐ彼女を見つめる。 「レヴィアスは私の……大事な人なの」 婚約者とも僕とも言えなかった。 一番真実に近い言葉は別にある。 「そういうわけだ。お引取り願おう」 レヴィアスは後ろからふわりとアンジェリークを抱きしめた。 呆然とそれらを見ていた彼女はやがてくすくすと笑い出した。 「?」 「あーもー、熱いわねー」 どうしたのだろう、と見ていると彼女は涙を滲ませて教えてくれた。 「ごめんなさいね、お嬢さん。 心配しないで。私はちょっと人に頼まれてきたのよ」 「頼まれて……?」 「あなた達が本当の婚約者なのか。 もし違うようならあなたを連れ戻したい、という人からね」 その言葉から依頼人が誰だかわかった。 「アラン兄様ってば……」 「諦めの悪い男だな」 「とにかくそこらの恋人達よりよっぽど仲良しよ、って報告しとくわ」 お邪魔さま、と手をひらりと振って彼女は出て行った。 「珍しいな。 お前が血相変えて飛び出してくるとは……」 腕の中にすっぽり収まる少女を抱きしめたままレヴィアスは囁いた。 「だって……」 アンジェリークは彼の体温を感じて真っ赤になって俯いた。 「レヴィアス……笑ってたんだもん。 あの人綺麗だったし……」 いつもなら話しかけられても、最低限の受け答えで会話を終わらせてしまうような彼なのに。 自分を見てくれていた彼が他の人を見るようになってしまうかもしれない。 不安になった。 「あれは媚びる目じゃなかったからな」 「?」 「本気で我を口説こうとは思ってなかった。 それが分かったから、つい話にのってみただけだ」 まさか、あんな裏があるとは思わなかったが。 「アンジェリーク。遅くなったが……」 「ん?」 「お帰り」 「レヴィアス……」 振り向いて自分もレヴィアスを抱きしめたかった。 「ただいま」 ドキドキするけれどもほっとする腕の中で しばらく瞳を閉じていたアンジェリークが口を開いた。 「ねぇ、レヴィアス……」 「ん?」 「私、レヴィアスにお酒飲んじゃダメなんて言ったっけ?」 「ああ、言ったぞ。 ……そうか、覚えてないか……」 では自分がその記憶も消したのだ。 レヴィアス一人で納得しているのをアンジェリークはじっと見つめる。 「うん、覚えてないくらいなんだから我慢しなくて飲んでいいよ。 きっと私も冗談で言ったんだよ」 でも私は弱いから一緒に飲めないかもなぁ……と拗ねる少女が可愛らしい。 週に一度の定休日は二人で公園に行ったり、のんびり過ごしたり 新メニューの研究日でもあった。 今日は研究日だったらしい。 アンジェリークは厨房でなにやら作っていたが、それにしてはやけに時間がかかっている。 様子を見に来たレヴィアスは現状を把握し、長い前髪をかきあげた。 「アンジェリーク……なにを作っていた?」 「レヴィアスだぁ〜。 ん〜とね、お酒のケーキ、今まであんまり作ってなかったからね……」 菓子作りによく使うラム酒やブランデー、ワインや様々なリキュールが並んでいる。 厨房のテーブルに突っ伏してうたた寝している少女と並んでいるビンを見れば 聞かなくても分かったが……聞かずにはいられなかった。 「レヴィアスはぁお酒使ったケーキ好きかな〜って思ったの」 テーブルにはいくつかの試作品があった。 残っているビンを見る限り、味見だけでも相当の酒を口にしたことだろう。 「でも〜味見してたらふわふわしてきちゃった……」 それでも完成させるまではちゃんと作業していたあたり さすがだと感心しつつアンジェリークに水を渡した。 「レヴィアスもどうぞ」 赤い顔でアンジェリークは水の代わりに出来たてのケーキ達をレヴィアスに差し出す。 「ああ。もらおうか」 酒を染み込ませたパウンドケーキを一切れ手に取る。 アルコールが弱すぎず強すぎず、ちょうど良いバランス。 お世辞抜きで美味いと言える物だった。 「美味いよ。アンジェリーク」 「えへへ、良かった〜」 その一言を聞くためだけに作ったのだろう。 満足そうに微笑むとそのまますーすーと眠ってしまった。 レヴィアスは呆れにも似た微笑を浮かべると熱い少女の頬に触れた。 「まったく……」 一瞬で厨房の後片付けを済ませて、アンジェリークを抱き上げる。 「……ん〜?」 先程までのふわふわとは違う感覚にアンジェリークは重い瞼を持ち上げた。 「どこ行くの〜?」 「しばらく大人しく寝ていろ」 「……? だって〜、まだ……昼間よぉ…?」 「その昼間から酔いつぶれているお前が問題なんだ」 溜め息を吐きつつ、アンジェリークをベッドへ押し込む。 「や〜、寝ない〜」 「起きてどうするんだ。 何もできんだろう」 さっきまで寝ていたくせに……と呆れながら 起き上がろうとするアンジェリークに布団を再び被せる。 しかし、アンジェリークはまるで駄々をこねる子供のように言うことを聞かない。 「起きるの〜」 「アンジェリーク」 諭すように名を呼ぶとアンジェリークはぽろぽろと涙を零しながら言った。 「起きてるの。 レヴィアスと一緒にいるの〜」 泣きじゃくりながら主張する。 「あと……何回お休みの日に一緒にいられるの? あとどれだけ一緒にいられるの? 私が寝たら……この部屋から出ちゃうでしょ? いや……だから、起きてるの…」 今まで抑えていた別れの不安に泣きじゃくる少女を抱きしめてやるしかなかった。 「アンジェリーク……」 落ち着かせるように震える肩を抱き、背中を撫でる。 「忘れたか? お前が望む限り、いつでも側にいる。 今の我はお前だけのものだ」 「でも……だって……」 それは期限付きの約束。 レヴィアスには帰る場所がある。 最後の願い事をずっと言わないわけにはいかない。 「一人にしないで……」 「お前が眠ってもここにいてやる。 今は先のことなど考えずに眠るんだ」 泣き疲れて眠るまで抱いてやっていたレヴィアスは そっとアンジェリークの身体をベッドに横たえた。 腫れた瞼に手をかざすと淡い光が優しく注ぐ。 「アンジェリーク……」 約束したように部屋から出ず、ソファに座り考え込むように肘を付く。 物分りの良すぎる少女がやっと見つけた手離したくないもの。 それがこの店になれば……と思っていたのだが。 この状態が喜ぶべきものなのか、レヴィアスには分からなかった。 〜 to be continued 〜 |