Fairy Tale



「あんたにはずいぶんとかわいらしいご主人だね」
「ガキとも言うけどな」
ある日の英語科応接室。
アリオスはオリヴィエと向かいあっていた。
授業中なのでアンジェリークはいない。
オリヴィエは空き時間なのである。
「そんなこと言っちゃって…とっても楽しそうだよ?」
「まぁからかって飽きねぇのは確かだが」
せっかく珍しいことにこちらの世界で会ったのだから遊びにおいでという彼の誘いがあった。
アンジェリークが授業を受けている間、アリオスは暇なのでこうやって訪れたわけである。
下手な喫茶店よりは飲み物も充実しているし、味も確か。
オリヴィエは付き合いにくい相手ではないので退屈しのぎにはちょうどよかった。
「あまりからかいすぎるんじゃないよ」
「言われなくても分かってるさ」
くるくる変わる表情は面白いが泣かれるとやっかいである。
オリヴィエはうそぶく彼を微笑ましく思った。
(アリオスにこんなカオさせる人間がいるとはねぇ)
しかし、それもアンジェリークが相手ならば納得できてしまう。
「不思議な子だねぇ、本当に」
「は?」
「なんでもな〜い。それよりあんたはいいよね。
 私みたいに仕事に就いたりしてないようじゃない?
 あの子の傍にいるだけでいいなんて美味しすぎるじゃない」
「あ? 俺もこれから働くぜ?」
「おや珍しい?」
この姿で生活する以上、仕事は持っておいた方が良い。
「いい年した男が無職なのも周りに紹介しにくいかもしれねぇし」
俺自身は体裁なんぞどうでもいいんだけどな。
本気でどうでもよさそうに言うアリオスにオリヴィエは苦笑する。
それでもアンジェリークのことを考えて、仮そめの仕事を持つわけだ。
今まで気の乗らない事は決してしてこなかった彼にしては珍しい。
オリヴィエは驚きながらも興味津々な様子で尋ねた。
「なにやんの?」
「すぐそこに手頃な物件があっただろ。
 喫茶店をな」



  ☆  ★  ☆



「え? お店、明後日から始まるの?」
リビングのソファでウォッカを飲んでいたアリオスに聞かされて、
アンジェリークはお風呂上りの濡れた髪のまま瞳を輝かした。
「…でも、一週間で準備できちゃうもの…?」
じっと見つめるアンジェリークの頭の上にタオルを放り投げながらアリオスは笑った。
「細かいことは気にすんな」
「魔法って便利だねぇ」
「俺が使い手だから便利なんだよ」
「?」
「人間は俺達全員が万能だと思ってる節があるが、
 俺達は自分のレベルと同等の魔法しか使えねぇんだ」
「そうなんだ…。
 で、アリオスはかなり上のレベルなんだね…」
「だから最初にお前はラッキーだって言っただろ。
 大抵のことは叶えてやれるぜ?」
「ふふ…期待してます」
次が三つ目の願い。
それを叶え終わったらアリオスは帰ってしまう。
「どうした?」
髪を拭く手が止まってしまった少女の様子を見にアリオスが立ち上がる。
「っ!」
ぼうっとしていたアンジェリークは突然の端整な顔のアップに思いっきり驚かされた。
「な、なんでもないよ」
赤くなった顔を俯いて隠す。
やっぱり大きな彼と一緒にいる時は平常心でいられない。
「そうか?」
それに気付いているのかいないのか…。
「ならいいけどな」とアリオスは話を元に戻した。
「明日、店を見に来ないか?」
「いいの?」
アンジェリークは嬉しそうにぱっと顔を上げた。
花のような笑顔。
やはり彼女にはこういう表情が似合う。
アリオスはその笑顔を満足そうに眺めながら頷いた。
「俺の店ってことはお前の店でもあるんだぜ」
「アリオス…」
「放課後にでも行こうぜ」
「うんっ」



  ☆  ★  ☆



「うわ〜。素敵なところね」
学校から近い大通りの一角。
そこのビルの一階がアリオスの店だった。
抑えた照明にそれほど大きくはないスペース。
カウンター席とテーブル席が十前後。
だけど店内の雰囲気がとても落ちついていて一目で気に入った。
インテリアもシンプルなのにお洒落で彼のイメージによく合う。
「へぇ。らしいと言えばらしいんじゃない?」
「どうしてお前まで来るんだよ…」
アリオスはちゃっかりついてきたオリヴィエに眉を顰めてみせる。
「いいじゃない。
 遅かれ早かれ遊びに来るんだしさ」
「どうせ冷やかしだろ。歓迎しねぇぞ」
アンジェリークは二人の会話を聞き、くすくすと笑いながらカウンター席に座る。
「それで、何をご馳走してくれるのかしら。
 マスター?」
「確か春摘みのダージリンが入ってたな。
 それでいいか?」
「うん」
アリオスの店はやはりと言うべきか紅茶専門店。
その種類の豊富さは見事だった。
「毎日通っていても全種類制覇するのに時間かかりそうね」
手際の良いアリオスを見つめ、そしてカウンター奥の壁一面を埋める棚と茶葉に
アンジェリークは瞳をきらきら輝かせる。
「楽しみだわ。
 アリオスが淹れてくれるお茶とっても美味しいし」
「本当に紅茶が好きなんだね。
 私達としては嬉しいよ」
「あ、オリヴィエ先生に聞こうと思ってたんですけど…」
アンジェリークは急に思い出したように隣に座る彼を見上げた。
「オリヴィエ先生はなんの紅茶の妖精なんですか?」
「前に応接室で私が淹れたの覚えてる?」
「はい。美味しかったです」
にこりと微笑むアンジェリークにオリヴィエも微笑み返した。
「アレだよ」
「ああ…なるほどぉ」
アンジェリークは納得いったとばかりに頷く。
アリオスがアンジェリークの前にティーカップを出しながら口の端を上げた。
「ハマってるだろ?」
「うん」
「…ちょっと二人とも何が言いたいわけ?」
アンジェリークとアリオスは一瞬視線を交わし、くすりと笑った。
「すごく似合ってますよ」
あの日、オリヴィエが用意してくれたのは南国を思わせるトロピカルアイスティーだった。



  ☆  ★  ☆



アリオスの店は開店以来、客足が途絶えることはなく好評だった。
最初アンジェリークとオリヴィエの間では
あのアリオスがちゃんと接客業をできるのか、という心配があったが問題はなかったようだ。
商品の質が良いこともあったが、マスター目当てに通う常連客も多かった。
またアンジェリークの通う学校からも近かった為、学校帰りに寄る生徒も多い。
今日もとある一行が店を訪れていた。
「アンジェはともかく…なんでお前らこんな時間に揃って来るんだよ」
客を迎えるにしてはご挨拶なセリフである。
「お茶でも飲んで一息つこうと思ってね」
レイチェルがそう言うのは分かる。
彼女はアンジェリークと一緒によくここへ来るし、親友と言うことで準VIP扱いでもある。
しかし…。
「オリヴィエ、仕事はどうした?」
「ちゃ〜んとやってるよ。
 だけど生徒会での方でちょっと残っててね。
 でももう学校にはいられない時間だし、ここで続きやろうと思ってさ」
塾などで帰らなければいけない人もいたので、
現在ここにいる生徒会メンバーはレイチェルとオスカーの二人だけだが…。
売上に貢献してるんだからいいじゃない?と微笑む彼は意外なことに生徒会の顧問でもある。
「それを閉店間際で言うか?」
アリオスは肩を竦めながら言った。
結局いつもそれを許してしまっているのだけれど…。
「アリオス…ダメかな…?」
許してしまう原因は少女にある。
子犬のような瞳で訴えられて、きいてやらない人間がどこにいるだろうか。
「私、手伝うから」
アンジェリークはアリオスだけを働かせるのは悪いとよく彼のサポートをしている。
アリオスはふっと息をつくと笑って言った。
「お前のエプロン持ってこい」
「ありがとうっ」


「可愛いねぇ」
「まったくだな」
店の奥へとエプロンを取りに行った後ろ姿はそれこそ子犬が駆けていくようである。
オリヴィエとオスカーがしみじみと頷いた。
「やらんぞ。
 特にお前みたいな女グセが悪いヤツにはな」
アリオスがふっと勝者の笑みを浮かべながら宣言する。
「知るか。それにお嬢ちゃんは恋人じゃないだろう?」
アンジェリークのアリオス所有宣言には驚いたが、
恋人でない事も聞き出したオスカーはいまだに諦めていないらしい。
「まぁ、そういう関係じゃないがな」
「その割にはずいぶん余裕だな」
「別の絆があるからな」
「それは…」
「アリオス、お待たせ〜。
 もう注文は済んだ?」
いったいなんなのか、とオスカーは聞こうとしたがアンジェリークが戻ってきた為、話は中断された。



「なぁ、お嬢ちゃん」
「なんです?」
「アリオスとあのお嬢ちゃんの関係って本当のところはなんだ?」
「本人曰く『年の離れたお兄さん』ですけどねぇ」
レイチェルはカウンターの方でアリオスの手伝いをしているアンジェリークを眺めながら肩を竦めた。
「恋人じゃないとは言ってましたけど…
 そこらへんのカップルよりよっぽど雰囲気イイですよね」
「お嬢ちゃんまでそう言うか…」
学校でもこの店のマスターの人気は上々で…。
それと同時に彼と親しいアンジェリークのことも有名である。
本人は否定しているものの実際に仲の良い姿は説得力がなさすぎた。
「お似合いじゃないですか。
 だってあの人遊び慣れてそうなのにアンジェのことだけ大事にしてるもの」
言外にオスカー先輩とは違います、と言われてオスカーは苦笑した。
「お嬢ちゃんは厳しいな」
「あの子には泣いてほしくないもの」
レイチェルはキッパリと言った。
「アリオスは…まだよく分からないけど
 今のところ私から見れば合格かな、って思いますよ」
なによりアンジェリークが心底懐いている。
あれだけ心を許している男性ははじめて見た。
「あ〜、アリオスはダメだよ…」
「先生?」
「あの子にはもっとマシな男がいるって」
不思議そうなレイチェルとオスカーの表情にオリヴィエは冗談っぽく軽く手を振った。
「この俺みたいな、な…」
「勝手に言ってなさい。
 ほら、残ってた仕事片付けちゃおう」
「は〜い」
レイチェルは返事をしたものの、頭では別のことを考えていた。
(オリヴィエ先生…今、真剣な表情だったよね…)
一瞬だけ見せた珍しくシリアスな表情。
すぐにいつもの彼らしい明るいものに切り換えたが…。
(なんで…アリオスじゃダメなの?)
レイチェルはアリオスと話しているアンジェリークの楽しそうな笑顔を見ながら疑問を覚えた。



「ずいぶんと遅くなっちゃったね…。ご苦労様☆」
「でもこれで明日の予算会議の準備は万端ですネ」
どこの部も必死で予算獲得を狙っているので
生徒会としてはけっこう対応が大変なのである。
「遅くまでおつかれさま」
エプロン姿のアンジェリークが帰り支度をはじめた皆の所にやってきた。
「こっちこそ場所と差し入れ、ありがと」
今度なんかオゴるね、と笑うとレイチェルはすたすたと出口へ向かう。
「おい、お嬢ちゃんを待たないのか?」
てっきり一緒に出ていくと思っていたオスカーはレイチェルに尋ねた。
「え、だってアンジェはアリオスと帰るもの」
大抵放課後はこの店に寄って、閉店してから一緒に帰っている。
「あれ、あんた知らなかったっけ?」
オリヴィエとレイチェルは意外そうに目を丸くした。
「あの子、アリオスと一緒に暮らしてるんだよ」
「なっ!」
さらりと言われた事実にオスカーは絶句する。
「同棲だと?
 教師としてあんな男とお嬢ちゃんを一緒にしといていいのか?」
「あんたが言うセリフじゃないよ」
オリヴィエは呆れ声で受け流す。
「それに同棲じゃなくって同居。
 あの子の母親も一緒に住んでるんだからいいじゃない」
「そうか…?」
オスカーがちょっと安心しかけたタイミングを狙って
レイチェルがわざとらしく思い出したように言った。
「でも、今アンジェのママ入院中ですよね」
「なにっ? ということは二人きりじゃないか!
 危険すぎる!」
「オスカー先輩よりは安全じゃないですか〜?」
レイチェルが笑いながら言った。
少なくとも今までそういう心配はなかったのだ。
何かあったのならアンジェリークのことだ。
隠そうとしたところできっと態度に異変が現れる。
「なにを店の前で騒いでんだ?」
店の後片付けを手早く済ませてきたアンジェリークとアリオスが裏口から出てきた。
まだいたのか、という口調でアリオスが声をかける。
「アリオス!
 お嬢ちゃんと一緒に暮らしてるって言うのは…」
「父親同士の縁でな」
「まさかお嬢ちゃんに手を出したりしてないだろうな」
「さぁ…ギリギリ出してねぇってとこか?」
「なんだと?」
アリオスはにやりと笑ってわざと曖昧な返事をした。
ここでついこの間まで風呂やベッドが一緒だったと教えてやったら
それはそれで面白そうだな、とも思ったがアンジェリークが泣いて怒りそうなので止めておいた。
アンジェリークはオスカーがアリオスを捕まえてひそひそと話しているのをきょとんと見ていた。
「レイチェル…?
 なに話してたの?」
「ん〜ちょっとね。
 オスカー先輩からかうのってけっこう面白いヨネ」
「それは同感だな」
「お嬢ちゃん!
 こいつに襲われそうになったらいつでも俺を呼ぶんだぞ?」
「はぁ…」
恐いもの知らずな発言とやけに真剣な発言に
アンジェリークはどう答えるべきか困ってしまった。





                                    〜 to be continued 〜







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