Fairy Tale



学校へ行って、帰りにアリオスの店に寄って手伝いをしたり、お茶をご馳走になったり…。
休みの日はどこかに出掛けたりもした。
自分達はごくごく普通の生活を続けている。
出会ったのは春。
一緒に夏を向かえて、秋を越えて、もうすぐ冬になる。
アンジェリークは店番をしながら一つ溜め息をついた。
アリオスは所用で出掛けている。
夕方を過ぎた今は客がいないし、もうすぐ閉店でこれから人が入ってくる時間でもないので、
すぐに戻ると言い置いてアンジェリークに任せているのだ。
アンジェリークは任されるほどこの店を知り尽くしていたし、
アリオスの紅茶に負けないような腕も彼によって身につけていた。
つまりそれだけの時を過ごしてきた。
「いつまでも引き伸ばすわけにはいかないよね…」
三つ目の願い事が思い浮かばない。
だからと言って、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
これが最後だから悔いのないようにしたいと思っているけれど…。
「どうしようかなぁ…」
今の生活が楽しい。
これ以上何を望めばいいのか分からないくらい。
「最後の願い事が終わったらこのお店、どうなるんだろう…」
アリオスがカウンターにいて…自分がいて、親友やたくさんの人達がこのお店に集まって…。
アリオスがいなくなったらそれもなくなってしまうのだろうか?
「それは寂しいなぁ…」
「おや、どうしたの?
 暗いカオして」
「オリヴィエ先生」
よく彼は仕事帰りにこの店に足を運ぶ。
「アリオスはいないんだ?」
「すぐに戻るって言ってましたけど…」
何か飲みますか?とアンジェリークは気を取り直して微笑んだ。
「ん〜、よければ自分で淹れてもイイかな?」
「え、ええ…?
 先生ならアリオスもいいって言うと思いますけど…?」
なにせ彼もアリオスと同族である。
自分が淹れるよりもよっぽど上手くお茶を淹れることができるだろう、とアンジェリークは頷いた。
正直、オリヴィエやアリオスにお茶を淹れる時は緊張する。
「はい、座って☆」
場所を交代してオリヴィエがカウンターに入った。
「で、なにを考え込んでたんだい?」
オリヴィエはアンジェリークの前にもティーカップを置きながら隣に座った。
極自然に話してごらん、という雰囲気を作ることのできる彼は
ある意味教師に向いているとアンジェリークは思う。
なんだかんだと彼のところへ相談に来ている生徒は多い。
「あ、ありがとうございます。
 え〜と…考え込んでたって言うか…
 私が最後の願いを言ったらここはどうなるんだろう…って。
 なくなっちゃうのは寂しいなって思って…」
アンジェリークはちょっと躊躇った後にオリヴィエに尋ねた。
「先生は…ロザリア様の願いを叶えたらどうなるんです?」
「たぶん別の学校に行くとか、適当に理由作って消えると思うよ」
「そうですか…」
「ほら、暗いカオしない。
 可愛い顔が台無しだよ」
「先生ったら」
アンジェリークはくすりと笑った。
「別れるのは辛いけどさ…私達は主人を悲しませたくてここに呼ばれるんじゃない。
 少しでも幸せにしたくて来るんだから。笑っていてよ」
「はい」
「そうそう」
アンジェリークはオリヴィエの淹れてくれた温かい紅茶を飲んだ。
優しい香りと温かさは彼に似ていた。
「あの…お願い事でずっと一緒にいてほしいっていうのはダメなんですか?」
少し躊躇った後にアンジェリークは尋ねた。
今の生活を続けたい、というのは本心から思っていることなのだが…。
「難しいね」
オリヴィエは困ったように微笑んだ。
「確かにそう望む人も少なくないんだけど…」
「ダメだったんですか…?」
「ほら、私達ってさ…願い事じゃなくても簡単な魔法なら使ってあげるじゃない?
 それを狙ったしたたかな連中もいてねぇ。
 そういうのは当然却下」
願い事を三つではなく百にも千にもしてくれと言っているようなものである。
「本当に別れ難くて願う人もいるけど…。私達は勧めない。
 そういう決まりになってる」
アンジェリークは何がいけないのだろう?と首を傾げた。
「一つは時間的な問題。
 あまり一人にかかりっきりだと他の人達のところへはいけないじゃない?」
「そっか…。一人占めはまずいですよね…」
「もう一つは契約の難しさ。
 願いを叶えるっていうのは一種の契約でね。私達には絶対なんだ。
 人間同士なら長く一緒にいる間にどうにも関係が気まずくなって
 絶交とか縁を切ることもできるんだけど…私達にはそれができないからね。
 契約した以上、どんなに一緒にいたくなくてもいなくちゃいけない。
 次の願い事でそれを解除することもできるけど…大体この願いを言うのは最後だからね。
 次はないんだよ」
「………」
「過去の実例もあったから、今ではほぼ禁止されているんだよ」
「そうなんですか」
アンジェリークはがっかりしたように肩を落とした。
しかし、すぐに立ち直る。
「なら、なおさら楽しい思い出作って、素敵な願い事を頼まなくっちゃですね」
「そ、アリオスなら期待に応えてくれるよ」
彼は只者じゃないから、と笑う。
「あの態度からして只者じゃないでしょ?」
アンジェリークもくすくすと笑う。
確かにあの態度のでかさは人と違う。
「さぁて…一休みしたし行こうかな」
「アリオスに会わなくていいんですか?」
「ああ、いいって。
 また明日も来るんだし。じゃあね☆」
「オリヴィエ先生、ありがとうございました」



「アリオス、そろそろ帰ってくるかな。
 すぐに帰ってくるって言ってたのに…」
もうすぐ閉店の時間である。
片付け始めようと立ち上がったアンジェリークはドアが開く音に振り向いた。
「いらっしゃいませ」
客の姿を確認する前にアンジェリークは声を出した。
アリオスなら裏口から入ってくる。
そして入ってきた客は綺麗な女性だった。
「あら、アリオスは?」
店内にいるのがアンジェリーク一人だと分かると
その女性は親しげにアリオスの名を呼んだ。
「今は出掛けていますが…」
どうしようかとアンジェリークは一瞬考えた。
よくいるアリオス目当ての常連客ならば、閉店時間を理由にまた後日来てもらえばいい。
わざわざここで粘られてもアリオスの機嫌が悪くなるだけで、相手の女性にも気の毒である。
しかしこの女性はそのタイプではなさそうだった。
少なくとも常連客ではない。
(アリオスの知り合い…?)
この店を始めてからは、アリオスと四六時中一緒にいるわけではない。
彼のファンは多いことだし、自分の知らないところで知り合いができてもおかしくはない。
「いつ戻ってくるかはっきりしないので、よろしければ何か伝えておきましょうか?」
アンジェリークの申し出に美女の赤い艶やかな唇が笑みをかたどる。
「やめておくわ。逢瀬の約束を人づてに伝えるのもね…。
 しかも大事なお姫様の口から言わせるのも可哀想ですもの」
「え…」
「また来るわ」
言いたい事だけ言うと彼女は出て行った。
アンジェリークは呆然と立ち尽くす。
「な…に…?」
アリオスはモテるから、彼に憧れる女性客から
羨望と嫉妬の眼差しを向けられることにはすでに慣れていた。
向けられたところで自分達はそういう関係ではないので、けっこう割り切っていた。
あくまで主従だった。
主従と言うにはかなりアリオスのやりたい放題だが…。
でも、あの女性は違った。
他の人のような敵意だけでなく、見下すような馬鹿にするような光が瞳にあった。
(そりゃあね…。
 私はあの人みたいにアリオスに釣り合わないお子様だけど…)
動かし難い事実にアンジェリークは唇を噛み締める。
意味深な言葉も引っかかる。
それに『お姫様』は常連客だけが知っているキーワードだ。
アリオスはアンジェリークを自分の姫だと公言して憚らない。
真実でもあるが、虫除け代わりとしても宣言している。
傍から見ていてもアンジェリークの可愛がりようは疑うべくもない。
どちらかと言えば、年の離れた妹を溺愛する兄に近いものがあったが。
「常連客でもなくて…でもアリオスの事、詳しく知っている…?」
アンジェリークはぽつりと呟いた。
なにより彼の名を呼び慣れている感じだった。
「それって…アリオスの…」
「俺の、なんだ?」
「きゃあっ」
自分の考えに没頭していたアンジェリークは突然の声にびくりと身体を竦ませた。
同時に手にしていたティーカップが床に落ちる。
一瞬遅れて砕け散る音が響いた。
「あ、ごめん…。ごめんなさい!」
品質に拘る彼が選んだだけあって安物ではない。
大事な備品を壊してしまって、慌てて破片を拾い集めようとする。
「いいから、触るな。手切るぞ」
「………」
「俺が脅かしたようなもんだから気にするな…どうした?」
黙り込んでしまったアンジェリークの顔をアリオスは覗き込む。
そしてアンジェリークの視線の先を追って喉で笑った。
「ったく、お約束なやつだな。
 忠告する前に切るなよ」
「ごめんなさい…」
「だからいいって。ほら、こっちこい」
背後から抱きかかえるようにアンジェリークの手を取って傷口を洗う。
「そんなに深くないな。
 破片も入ってないようだし…」
「うん…大丈夫」
水の流れを眺めながらアンジェリークはぽつりぽつりと呟いた。
「さっきね、オリヴィエ先生が来たよ。
 お茶淹れてもらっちゃった。
 また明日来るって…」
「本当に日参してんな。
 教師ってそんなに暇なのかよ」
「忙しくても来てくれるんだよ。
 それとね…」
「ん?」
声が震えそうでひとつ息を吸った。
「女の人が来たよ。金髪のすごい綺麗な大人の人。
 アリオスと親しい感じだった。
 その人もまた来るって…心当たりある?」
「どうせ客の一人じゃねぇのか?」
「そんな感じじゃなかったんだけどなぁ…。
 どっちかって言えばアリオスの彼女っぽいこと言ってたけど…。
 だからちょっと…びっくりしてたんだ。
 アリオス、いつの間にそんな人、いたんだろう…って」
話してるうちに涙ぐんできて、アリオスが後ろで良かったと思った。
泣き顔を見られないですむ。
「そいつがなんと言おうと勝手だがな…。
 あいにく俺はお前の面倒見てんので精一杯だぜ?」
(だけど今は離れてる時間も多いもん…)
最初の一月程の学校でも家でもずっと一緒だった頃とは違う。
「………」
アリオスは水道を止めると傷口を見せろとアンジェリークの手を引き寄せた。
アンジェリークは振り向きたくなくて、そのまま手だけ後ろにいる彼の方に向けた。
アリオスが小さく息をつくのが聞こえる。
呆れられたかなと思った瞬間、指先に触れる感触にぎょっとしてアンジェリークは振り向いた。
「っ、アリオス!?」
「このくらいなら舐めてりゃ治る」
「わ、分かった。分かったから…離して…」
「本当に分かれよ?」
「え?」
「俺はお前のものだ。
 他の女の相手なんかするわけねぇだろ」
「………だって…」
「くだらねぇことで泣くんじゃねぇよ」
「泣いてなんか…」
「くっ、じゃあこれはなんだよ?」
「っ…やっ…アリオス、やだぁ…ごめんなさい〜っ」
アリオスは意地を張ったお仕置きとして頬に残る涙を唇で拭う。
真っ赤になってアンジェリークは降参した。
この手の言動に弱いのを知っていてわざとやるのだから意地が悪いと思う。
アンジェリークは勝ち誇った笑みを浮かべるアリオスを睨んで…溜め息を一つついた。
「アリオスの意地悪…ばか…」





アリオスが好き。
それは最初から分かっていた。
でも恋だとは思ってなかった。
いつから恋だったんだろう、とアンジェリークは過去を思い返した。
「わかんないよ…」
ベッドの中で膝を抱えて呟く。
今日はじめて自覚した気持ち。
「気付かなければ良かった…」
涙と一緒に正直な気持ちが零れた。





「アンジェ?
 顔色が悪いぞ」
「う…ん。ちょっとあんまり眠れなかったかも…」
翌朝、アリオスに見咎められてアンジェリークは視線を泳がせた。
「またろくでもないこと考えてたんじゃねぇだろうな」
「ち、違うよ。ちゃんとアリオスのこと信じてるよ」
アリオスではない。
問題は自分にある。
「そうか?」
アリオスは少女が嘘は言っていないようなので、不承不承といった様子で頷いた。
そしてアンジェリークの額に手を当てる。
「?
 なんか…頭が軽くなったような…」
寝不足特有のあの重さがない。
「アリオス…?」
すでに歩き出しているアリオスの背中を見つめる。
「ありがとう、アリオス」
口は悪いのに、意地悪なのに、いつだってさりげなく優しい。
(大好き…)
口には出せないから心の中で呟いた。



アリオス同様、アンジェリークの異変に気付いた人物が学校にもいた。
「アンジェ、どうしちゃったの?」
「え?」
「元気ないよ?」
お弁当を食べ終えた後、レイチェルが切り出してきた。
「すごい…分かるんだ…」
一生懸命普段通りに振る舞っていたはずなのに…。
「このレイチェル様を甘く見ないでよね」
胸を張って言った後にレイチェルが真面目な顔で口を開いた。
「言いたくないなら言わなくていいよ」
ただ、話して楽になるならいくらでも聞くから…と。
親友の心遣いが嬉しくてアンジェリークはふわりと微笑んだ。
「好きな人ができたの。
 でも、その人好きになっちゃいけない人なの」
「え…?」
「諦めなきゃいけない」
柔かな表情なのに言葉はしっかりとしていた。
「どうして…っていうか一応確認しとくけど、それってアリオスでしょ?」
きょとんとアンジェリークはレイチェルを見つめる。
「なんで分かるの…?」
レイチェルは額を押さえて大きく息を吐く。
「アナタがあの人のこと好きなのはもうとっくに知ってたよ!」
「え、だって…私自身、気付いたの昨日なんだけど…」
「………………」
ここまでアンジェリークが鈍いとは思わなかったレイチェルだった。
「あれだけ懐いてて好意持ってないなんて嘘でしょーが…」
「そう……?
 確かに好意はあったけど…その、そういう意味の好意だと思わなくて…」
「まぁ、自覚できただけでも進歩だよね」
曖昧にアンジェリークは笑う。
「わからない方が良かったよ」
しかも他の誰かに嫉妬してはじめて気付くなんて…。
自分の独占欲の強さに気付かされた。
アリオスは自分の側にいるものだと決めつけていた。
アリオス自身、アンジェリークのものだと宣言していたのだから無理もないことだが…。
それが絶対のものではないと気付かされた瞬間に自分のエゴに気付いた。
いつまでも最後の願い事を言わずに彼をここに引き止めていた。
その間はアリオスは自分の側にいてくれる。
「どうしてあの人を好きになっちゃいけないの?
 なかなかお似合いじゃない?」
というか、この二人を見てカップルだと思わない人の方が珍しい。
しかし、同時にオリヴィエの言っていた事を思い出す。
彼はダメだと言っていた。
「どうしても…ダメなんだ…」
レイチェルは親友の寂しげな諦めの混じった笑みをはじめて見た。





                                    〜 to be continued 〜







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