Fairy Tale



(あいつ…どうしたんだ?)
アリオスはアンジェリークのようすを思い出しながらカウンターに腰を掛けた。
先程、最後の客が出ていって店内は誰もいない。
閉店一時間程前からは店番もアリオス一人で大丈夫なので、
アンジェリークは奥の事務所兼休憩室で宿題をやっている。
アリオスは眉を顰めて煙草に火をつけた。
(昨日は泣くし、今日も今日で泣きそうなツラしてたし)
なのになんでもないと言うのだ。
今までどんなに些細なことでも…それこそアリオスがくだらないと一蹴するようなことでも
彼女はアリオスに話してきたのに。
「…様子見てくるか」
自分の知らないところで泣いてやしないか気にかかる。
「………」
そしてアリオスは確かめに行って良かったような、心配して損をしたような複雑な気分で苦笑した。
「居眠りできるようなら平気だな」



「ん…」
アンジェリークはふっと目を覚ました。
ちょっとだけ、と思ってテーブルに俯せになっていたはずなのに
いつのまにかソファに寝かされている。
身体の上にはアリオスの上着がかけられていた。
「アリオス…」
彼の優しさが嬉しくて思わず上着を抱きしめて…はたと気付いた。
「うたた寝してたのバレちゃった…」
アンジェリークは時計を確認して、そろそろ店の片付けを手伝いに行こうとひとつ伸びをした。



アリオスが片付けを始めようとした時、店のドアが開いた。
ちょうど昨日、アンジェリークが客を迎えたのと同じ時間だった。
「なんでお前がここにいるんだよ」
アリオスは不機嫌も露わに低い声で問う。
昨日アリオスを訪ねてきた女性だった。
「あら、あんまりじゃない。わざわざこんな所まで来たのに」
「誰も頼んでねぇ」
余計なお世話だとばかりに鋭い瞳で目の前の美女を睨む。
大抵の相手を怯えさせるそんな眼差しも慣れたものと女性は肩を竦める。
「いつもすぐに片付けてくる貴方にしてはのんびりしすぎているから、様子を見に来たのよ。
 皇帝陛下に頼まれてね」
これ見よがしに付け足された言葉にアリオスは舌打ちをした。
「あの馬鹿親父…」
「私も早く貴方に帰ってきてほしいわ」
「俺はあいつの願いを叶えるまで帰らねぇ。
 そういう決まりだろ?」
冷たく言い放たれた彼の返事に彼女は綺麗な柳眉を顰めた。
「昨日会ったけど、ずいぶんとかわいらしいご主人様ね」
相手が皮肉っているのは百も承知でアリオスは惚気てみせる。
「だろ?
 俺も運がいい」
「っ…」
仕掛けた女性の方が言葉に詰まってしまう。
そして嫉妬に燃える瞳で口を開く。
「貴方にはあんな子供似合わないわ」
「それはお前じゃなく俺が決めることだろ」
「それにしても貴方が子守りなんて信じられないわ。
 国に帰れば貴方は大勢の人に仕えられる立場なのに…。
 真面目に仕事をしてるのは感心だけど、そろそろ飽きてきたんじゃなくて?
 どうして最後の願いを急かさないの?」
放っておけばいつまででも話し続けるだろう彼女を止める為、アリオスは言葉を挟んだ。
「まぁな…さすがにそろそろ子守りは勘弁だな…。
 さっさと契約が終わらないかとも思うが…」
感情を窺わせない冷たい瞳が漂う紫煙を見つめる。
「早く戻ってきて…」
アリオスの言葉にいくらか機嫌を良くしたものの…
例え煙草の煙だろうと彼が自分以外のものを見ているのが許せないのか、
彼女は自らアリオスに唇を重ねた。
「!」
ドアの影で出るに出られなかったアンジェリークは慌てて一歩退がった。
まさかという思いとやっぱりという思いが胸に広がる。
その流れるような自然な動作。
慣れていると…そういう関係だったのだと分かってしまう。
そして、それ以上に聞いてしまった会話はアンジェリークを深く傷付けた。
とても店に入っていく勇気などなく、アンジェリークは自分の荷物を取りに行くため踵を返した。





「アンジェ、帰るぞ。
 まだ寝てんのか?」
片付けが終わっても現れない少女を迎えにアリオスが休憩室のドアをノックする。
それでも返事がなく、そっと中に入るとアリオスが運んでやったソファの上に少女の姿はなかった。
綺麗にハンガーに掛けられたアリオスの上着とテーブルの上のメモが目に入った。
『ごめんね。先に帰ります』
「どうしたんだ?」
慌てて書いたような少し崩れた字を見てアリオスは首を傾げる。
アリオスは少女があの場にいたことには気付いていなかった。
だから特に気にするでもなく家に帰った。
後から思えば昨日から様子が変だったことを思い出しておくべきだったと…後悔した。



「お帰りなさい。アリオスくん」
「ああ、ただいま。アンジェリークは?」
いつもアリオス達よりも帰宅が遅いアンジェリークの母親がアリオスを出迎えてくれた。
そして彼女はアリオスの問いに困り顔で首を振った。
「帰ってくるなり、部屋に篭っちゃって。
 様子見に行ったらもう寝るって言ってたんだけど…」
何があったのかしら?とアリオスを見上げる。
「こっちが知りたいくらいなんだけどな」
ふっと溜め息をつくと彼女に確かめるように尋ねた。
「本当に寝てると思うか?」
「たぶん寝てないでしょうね」
「だろうな」
「お願いしていいかしら?」
「ああ」
一度チャレンジして失敗に終わった彼女はアリオスにバトンタッチしたのだった。
彼なら多少強引になろうとも話を聞き出せるだろうと思って。


「アンジェ、入るぞ」
「………」
ベッドの中に潜り込んでいたアンジェリークはその声にびくりと身体を竦ませた。
今はとても顔を合わせるなんてできそうにないから、ただ黙っていた。
このまま眠っていると思って来なければいい…。
半ば祈るようにアンジェリークは布団の中で小さくなった。
「止めないってことは入っていいんだな?」
しかし、アリオスがアンジェリークの思い通りに動いてくれるわけがない。
彼はどこまでも自分本意な解釈でドアを開けた。
「………」
灯りのついていない部屋の中、少女がベッドの中で小さく丸まっているのが分かった。
ただでさえ華奢な身体がそれ以上に儚く見える。
「どうした?」
「……なんでもないの」
「なんでもなくて突然帰るか?」
「…ごめんね」
「いつまでその恰好でいる気だよ…」
アンジェリークは返事は返したが、頭すら布団の中に隠れている状態である。
「いい加減に白状しろ。
 なにがあった?」
「…本当になんでも…」
アリオスは苛立たしげに髪をかきあげた。
「お前が嘘つくの下手なのは知ってるんだぜ?」
「………」
痛い程の沈黙が二人の間に広がる。
根負けしたのはアンジェリークの方だった。
震える消え入りそうな声が聞こえた。
「お願い…放っておいて」
「この状況でそれを言うか?」
「だって…」
「心配するな、なんて無茶言うなよ」
こんな状態の少女を放っておけるわけがない。
アリオスは顔すら見せないアンジェリークの傍に立っていた。
少女の表情が見えないだけで落ち着かない、そんな自分に気付いた。
彼女がここまで強情になることは今までなかった。
声が震えているから泣いているかもしれない。
気掛かりで会話しているという感覚もなくなる。
だが、いつものように抱き寄せることはできなかった。
少女の周りには拒む空気があった。
アリオスは伸ばしかけた手を止め、拳を握る。
「ごめんなさい…。
 今は…そっとしておいて」
「アンジェリーク」
「お願い…今は自分でもどう話せばいいのかわかんない…。
 そのうち、ちゃんと話すから…」
しばらく考えて…アリオスは大きく息を吐いて承諾した。
少女の不安をさっさと払ってやりたいが、今ここに自分がいることで
少女が苦しんでいるのも分かってしまった。
頷くよりなかった。
「分かった」
「ごめんね…」
アリオスが部屋を出る時に、アンジェリークの声がぽつりと聞こえた。





翌朝、アリオスはアンジェリークと顔を合わすことはなかった。
母親によると朝早く学校へ行ったという。
「なんかテストが近いから朝勉強するんですって」
始業前に行って自習をするらしい。
「本当かよ…?」
学校に行った以上、少女のことだから勉強するのはおそらく本当だろう。
ただ…テストの為、というのは明らかに口実だと思える。
昨日の今日で顔を合わせづらいのは分からないでもないが、少々腑に落ちない。
少女の様子が変だと気付いた時点で食い下がるべきだった。
時間ならあると悠長に構えていたことをアリオスは後悔した。
まさか『彼女』が再びアンジェリークに接触するとは思わなかった。





アリオスと顔を合わせずに何日経っただろう、とアンジェリークは溜息をついた。
自分で選んだことだけど…同じ家に住んでいるのに
ここまですれ違えるなんて思わなかった。
朝早く学校に行き、放課後はアリオスの店にも寄らずに帰宅する。
かなり早いとは分かっているが、アリオスが帰ってくる頃にはベッドの中にいた。
レイチェルの家に泊まった日もあった。
「一週間なんてあっと言う間だね…」
とぼとぼと帰り道を歩きながらアンジェリークは涙ぐんだ。
ここしばらくふとしたことで涙が溢れてしまう。
どうにかしなければとアンジェリークは慌てて涙を拭った。
しかし、まだアリオスと会う覚悟が出来ていない。
次に会う時が最後。
三つ目の願いを言って…そして彼を帰してあげればいい。
(それが私がアリオスにできる最後のこと)
頭では分かっているのに行動に移せない自分が嫌になる。
(アリオス…もう子守りは嫌だって…言ってた…)
だから早く自由にしてあげないと。
そうアンジェリークはあの夜に決めたのだ。
「あれ?」
アンジェリークは家の前に人影を見つけて立ち止まった。
見覚えのある人、決して忘れられない人。
「あなたは…」
「ごきげんよう、無知で傲慢な可愛らしいご主人様。
 自己紹介がまだだったわね」
豪奢な雰囲気を纏う彼女は挑戦的な笑みを浮かべた。
先日と違い、敵意を隠すこともしない。
「私はダリア。アリオスの第一妃候補よ」
「妃…?」
アンジェリークは呆然と繰り返した。
なんとなく…そういう親しい関係なのだろうとは分かっていたが…。
(妃…って…)
「その様子じゃ何も聞いてないようね。
 まぁ、彼も話すほどの相手ではないと判断したのでしょうけど」
勝ち誇ったようなダリアの言葉にアンジェリークはいたたまれなくて視線を落として尋ねた。
彼の国の話や彼自身の話はけっこう聞いたけど…それは初耳だった。
「…何の用でしょうか」
意味もなく彼女がここへ来るわけがない。
半ば展開は読めるが…。
そしてアンジェリークの予想は間違っていなかった。
「あなた一体何を考えているの?
 最近彼を避けてるようじゃない。それなら早く彼を帰しなさいよ」
「っ…」
痛いところを突かれた。
我ながらもっともなことだと思っていた。
アリオスがあの夜自分が頼んだように放っておいてくれているからと甘えていた自覚はある。
「正式な婚約発表を目前にして彼はあなたに呼ばれたのよ。
 皆が彼の帰りを待っているの」
「………」
「それなのにアリオスったら子供のわがままにいつまでも付き合ってあげてるんですもの…。
 早く彼を解放してあげて。あの人も帰りたがっているわ」
ずきん、と胸が痛む。
確かにアリオスは最初からさっさと帰ると言っていた。
でも、いつの間にか一緒にいるのが当たり前になっていて
彼も特に何も言わなくなったから忘れてしまっていた。
(でも…本当は…アリオスは…)
唇を噛み締め、アンジェリークは俯いた。
この女性の前でだけは泣きたくなかった。
ちゃんと意識しないと言葉さえ紡げない。
やっとのことで言葉を返す。
「早めに…最後の願いを言うわ…」
「三日以内にお願いするわ。
 婚約発表があるの」
用は済んだとばかりに微笑むと彼女は姿を消した。



アンジェリークはその足で再び学校に戻った。
放課後の学校はまだ部活中の生徒も多く、活気があった。
その中を通り抜けながら、アンジェリークは英語科職員室に真っ直ぐ向かった。
「オリヴィエ先生…。
 質問があるんですけれど…」
「はーい……アンジェリーク?
 どうしたの?」
放課後の職員室は授業で分からなかったところなど質問をしに訪れる生徒も多い。
言葉だけ聞くとそんな感じに思えたのだが、振り返ってオリヴィエはぎょっとした。
アンジェリークはぽろぽろと涙を零していた。
そしてその周りには野次馬が…。
彼女に思いを寄せているだろう男子生徒が多かった。
「ずっと…泣いてたの…?」
学内でも人気の高い少女が泣きながら通り過ぎていったらさすがに気にかかるだろう。
ましてやこの少女は学校で涙を見せたことはない。
「止まら、なくて…」
アンジェリークは困ったようにしゃくりあげる。
「ああ、ほら。おいで。
 あんた達も見世物じゃないんだから散った散った」
オリヴィエはギャラリーを退散させ応接室にアンジェリークを案内した。
「何があったの? ここのところ元気なかったじゃない?
 アリオスの店にも行ってないでしょ」
さすが紅茶の妖精。
落ちつくから、と言ってオリヴィエはすぐに温かい紅茶を出した。
アンジェリークはそれを一口飲んで…そして単刀直入に問いかけた。
「あの…アリオスってどういう人なんですか?」
「それはあんたもよく知ってるんじゃない?」
アンジェリークはふるふると首を振った。
「性格とか…そういうのなら…分かってきたつもりだったんですけど…。
 そうじゃなくて…アリオスは国ではどんな立場の人なんですか?」
また涙を零した後、アンジェリークは付け足した。
「アリオスの…妃候補だという人に会いました」
「なっ…。
 もしかして……ダリア姫?」
オリヴィエが珍しく焦った表情を見せ、アンジェリークはそれにこくんと頷いた。
「はい…。妃候補ってことはやっぱりアリオスは…」
「そう。今は皇子、未来は皇帝陛下。
 だから半端じゃない能力の持ち主」
「………婚約発表を控えてたと聞きました。
 なのに私は…知らなかったとは言え、ずっとアリオスを帰さなくって…」
ずっと一緒にいたいとさえ思ってしまった。
彼はもうすでに別に一緒にいるべき人を選んでいたのに。
今から思えばオリヴィエも遠回しに釘を刺していたような気もしたのに。
「ちょ…落ちつきなさいって。
 あんたが悪いわけじゃないよ?」
「でも…アリオスは最初からさっさと帰るって言ってたのに…」
「それはいつものことなんだけどね…」
彼は面倒だと判断したら、さっさと仕事を終わらせて帰ってくる。
現在長居しているのはここの生活が気に入っているからである。
それを長年の付き合いから分かっているオリヴィエは
泣きじゃくる少女に理解してもらうべく説明しようとした。
しかしアンジェリークはすぐに立ち上がった。
「ありがとうございました。
 ちょっと確認したかっただけなんです」
驚かせてすみませんでした、と泣き笑いの顔になる。
「え?」
「もう、いいんです。
 アリオスには十分お世話になったから…楽しかったから…。
 なにかお願い事を言って彼には帰ってもらいます。
 あんまり恋人を待たせちゃ悪いし…」
「え? ちょっ、待っ…アンジェリーク!」
ぺこりとお辞儀をするとアンジェリークはオリヴィエの制止の声も聞かずに駆けていった。
「まったくもう…」
あの器用なくせに不器用な男は肝心なことを何一つ言っていない。
だから目の前の少女はあんなにも傷ついている。
オリヴィエは心の中で思いつく限り彼を罵った。
そして次の瞬間には応接室からオリヴィエ教師の姿は消えていた。





                                    〜 to be continued 〜







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