Fairy Tale
アリオスは最近本数の増えた煙草に火をつけて…ろくに吸わずに灰皿に押し付けた。 ここのところ接客業にあるまじき眉間の皺が消えない。 もともと彼の接客は接客と呼べるものではなかったが…。 ここまで不機嫌オーラを纏っているのは開店以来初めてのことだった。 いつも側にいるはずの少女の姿が見えないこともあり、 常連客はどうしたのだろうかと密かに心配していたり、チャンスだと思っていたりした。 …アンジェリークの不在を良い事に言い寄ってくる女性客が増えたのも アリオスの機嫌が斜めな理由の一つだった。 彼の機嫌が悪い本当の理由はもちろん主人たる少女のことである。 「何を考えてんだ、あいつは…」 愚痴めいたセリフを零したその時に開いた従業員用のドアをアリオスは振り返った。 そこにいたのは期待してしまった少女の姿ではなく、長年の友人。 「邪魔するよ。 あのコじゃなくて悪かったね」 「…紛らわしいことすんなよ」 アリオスは眉を顰めて吐き捨てるように言う。 「ちょっと話があってさ…。 人避けの魔法使わせてもらったから」 しばらくこの店を訪れる客はない。 「アンジェリークのこと…。 そこまで気にしてるんだったら会えばいいじゃない?」 「それができれば苦労はしねぇ…」 「なーにらしくもない遠慮してんのさ」 強引さはあんたの数少ない取り柄でしょう、と皮肉げな笑みを返された。 らしくないのはオリヴィエも同様だった。 いつもは人当たり良く、どんな時でも…怒っている時ですら、場を和ませる配慮を持っていた。 それが今は責める気持ちを隠しもしない。 「何が言いたい?」 「あんた、どれだけあのコを放っておいたの? 自分の主人でしょう?」 「あいつが泣いて頼んだんだ。いずれ話すと言ってな。 俺達の問題だ。関係ないはずのお前こそなんで出てくるんだよ」 アリオスは余計なお世話だとばかりに言う。 「そうだよ。私の主人はロザリアだしね。 ただの教師と生徒の関係しかないよ。 だから、あんた達の問題には口を挟まなかった」 「だったらそのままでいればいいだろ。 放っておけよ」 お互いに冷静さを欠く不毛な言い合いだとどこかで感じたが、今更止められなかった。 「そのつもりだったさ。でも仕方ないじゃない。 あのコさっき泣いて私のところに来たんだよ」 「なんだと?」 アリオスは驚きに表情を変えたが、一瞬でさっきまでの不機嫌な顔に戻した。 「あいつは泣き虫だからな…。 よくあることだ。それがどうした?」 「泣き虫? あんた、何言ってんの?」 オリヴィエはつい怒りも忘れてきょとんと聞き返した。 「あのコ人に涙見せるタイプじゃないよ?」 おっとりしているし、いつも穏やかに微笑んでいるイメージが強いが、 もちろん怒る時も悲しい時もある。 だけど、それを表に出すような性格ではなかった。 人との和を第一に考える少女だった。 「………知るかよ」 初めて聞く事実にアリオスは誰のことだよ、と憮然と思った。 自分の前では泣いたり怒ったり忙しいやつだった。 それくらい心を許されていた。 自分の前でだけ素直になっていただなんて知る由もなかった。 「とにかくっ、そのアンジェリークが泣きながら私のところに来ただけでも一大事なのに…。 あんたの正体確認しに来たんだよ」 「別に隠すような正体はねぇぞ」 「そういうところが…も〜っ! あんたが皇子だってこと!」 「それがどうした? 皇子だろうとなんだろうと俺は俺で、あいつは俺の主人だ」 「それはある意味真実だけどね。基本プロフィールぐらい把握させておかないと…。 よりによってダリアが話したんだよ?」 「ダリアが…?」 アリオスの金と翡翠の瞳が鋭く光る。 険しい眼差しは切れ味の良い刃物のようだった。 「帰れと言ったはずだ。 なんでまだいるんだよ?」 「私が知るわけないでしょう。 っていうかちょっと考えればすぐにわかるでしょう」 今までの言い合いが信じられないほど店内はしんと静まりかえる。 「あの女…余計なことを言ってくれたな」 忌々しげにアリオスは舌打ちをした。 「だろうね。アンジェリークも婚約発表がどうとか言ってたよ」 「勝手なことをしてくれる…」 静かな低い声が本気の怒りをうかがわせる。 オリヴィエは大きく息を吐いた。 「早く誤解を解いてきな」 「ああ」 「この貸しは高いからね☆」 「……覚えておく」 少女の所へと向かったアリオスを見送って、オリヴィエは心配そうに溜め息をついた。 最初は二人の仲を応援するべきか迷った。 アリオスを選んだなら、この先あの少女は必ず超えなければならない障害がある。 アリオスが傷つくのも彼女が傷つくのも見たくなかった。 だが今は…二人一緒にいる事こそが良いのだろう、と思える。 「上手くやるんだよ、アリオス」 学校を出たアンジェリークは考え事をしながら公園に来ていた。 「考え過ぎて疲れちゃったわ…」 ベンチに座ってぼうっと周囲を見渡していた。 夕闇に染まる今はもう公園内に残っている人もまばらである。 その人影さえも帰宅途中のものである。 「どうせ無駄に難しく考えでもしたんだろ」 「!」 後ろからかけられた声にアンジェリークは立ち上がって振り向いた。 振り向く前に誰かなんて分かっていたけれど…。 一週間ぶりに見る彼は変わらず見惚れるほど素敵だった。 どうしようもないほど惹かれている。 だけどもう会えなくなる。 再自覚した途端、涙が零れた。 「っ…」 アリオスへの想いに気付いてから彼に涙を見られたくなくなってしまった。 慌てて顔を背けた。 それでも彼が近づいてくるのが分かって…アンジェリークは背を向けて走り出した。 (まだ…お別れする心の準備ができてない…) アリオスから逃げているというよりは彼との別れから逃げていた。 「おいっ」 いつも先が読める反応を返すくせに時折意表を突いてくれる少女。 突然逃げられたアリオスはさすがに一瞬呆然とした。 しかしすぐに我に返る。 もうこれ以上逃がす気はない。 「きゃっ」 当たり前だが、アンジェリークはすぐにアリオスに追い付かれた。 公園の奥、薄暗い森ともいえる場所まで逃げたが、腕を捕まえられ振り向かされる。 そのまま逃げられないように樹の幹に押しつけられた。 「久しぶりだってのに、ずいぶんな挨拶じゃねぇか?」 「………」 怒っている…。 アリオスの纏う空気にアンジェリークは俯いた。 ただでさえ顔を合わせづらいのに…。 「今度は無視か?」 「………」 何を話せばいいのかも分からない。 今までどうしてあんなにいろいろ話せてたんだろう、と思う。 (何も知らなかったから…。 あの人の言ったように無知だったから…) 彼の払っている犠牲を知らずに自分だけ楽しくて、不相応な夢を見た。 ぽろぽろと言葉の代わりに涙が気持ちを表す。 悲しくて悔しい。 (アリオス…なんにも話してくれなかった…) 言ってくれれば早く帰してあげたのに。 …期待なんかしなかったのに。 「なんとか言えよ」 アリオスは何も言ってくれないくせに、こうして自分には言わせるのだ。 「……き…」 「聞こえねぇ」 「…うそつき、うそつきっ…アリオスのバカ! アリオスのうそつき…っ…アリオスなんか……!」 戒める彼の腕を振り払ってアンジェリークは泣きわめいた。 「俺がいつ嘘をついた?」 胸を叩く少女の腕を抑えながらアリオスは心外だと問いかけた。 「いっぱい…あるじゃない」 「たとえば?」 「願い…ゆっくり考えていいって言ったのに… 本当は早く帰らなきゃいけなかったじゃない」 「それから?」 「アリオス…私のものなんかじゃなかったじゃない…」 「他には?」 「他にも色々…。 嘘はついてなくても大事なこと黙ってるし…」 「まだあるなら言ってみろよ」 余裕の表情が憎らしい。 ポーカーフェイスな彼にはいつも手の平の上で踊らされている気がする。 これを崩せる人はいるのだろうか、と思ってしまう。 「私、聞いちゃったんだから…」 いつかの夜を思い出す。 アリオスとそれに釣り合う大人の女性、ダリアが話していた時のこと。 『まぁな…さすがにそろそろ子守りは勘弁だな…。 さっさと契約が終わらないかとも思うが…』 それまで思いもしなかった彼の本音。 「アリオス、さっさと帰りたいって。 子守りは勘弁だって…」 「アンジェリーク…」 アンジェリークの言葉にその時の状況を思い出し、アリオスがはっとしたように少女を見た。 アンジェリークはしゃくりあげながら言葉を続けた。 ここまで誰かに感情をぶつけたことは今までなかった。 「嫌なら嫌と言ってくれれば良かった。 私のこと嫌いならそう言って欲しかった! 私そういうの鈍いから言ってくれなきゃわかんないよっ」 彼は『年の離れた幼馴染みを可愛がる』、そんな役を演じていただけなのだと 気付かされて、どうしようもなく悲しかった。 キスシーンもショックだったが、それ以上に信じていたものが 偽りだったのだという事実の方がショックだった。 それから、アリオスの顔を見られなくなった。 向けられる笑顔も楽しそうにからかう声も本心とは別のものだと知ってしまったから… 何も知らないフリを続ける事はできなかった。 「今までいっぱい…ごめんね」 しゃがみこみそうな身体をアリオスに支えられ、アンジェリークは顔を覆って泣きながら謝罪した。 「どうしてお前が謝るんだよ。 責められてたのは俺だろ…」 「何も言わなかったアリオスも悪いけど…それ以上に私が悪いもの…」 ダリアに言われた『無知で傲慢な主人』は外れていないと思う。 だから…。 「だから…もう帰してあげる…」 涙は抑えられなかったけれど、精一杯笑って見せた。 たぶん、笑顔になっていたと思う。 「最後のお願いよ。アリオス…」 「アンジェ…」 「私の中の…あなたの記憶を消して」 「!」 今度こそアリオスは表情を変えた。 そして痛いほどに少女の肩を掴み、首を振った。 銀糸の髪がさらりと揺れた。 「断る。それはお前の本当の願いじゃない」 「…っ……。なんでそんなことが言えるの…?」 今度はアンジェリークが弱々しく首を振る。 「お前、二つ目の願いを覚えているか?」 その時に『アリオスとの思い出をちょっと欲張りたい』と言っていたはずなのに、 全てをなかったことにするなど矛盾している。 「だって…辛すぎるもの…」 もう二度と会えないのに彼との思い出は辛すぎる。 幸せだった、楽しかった分、悲しくなる。 「私達、出会わなきゃよかった…」 アンジェリークは涙と共に苦しげに零す。 後悔する出会いなんてないと思っていた。 なにかしらプラスになると信じていた。 しかし、そんな少女のポリシーは崩された。 彼とはもう会えないのに…彼以外は好きになれない。 きっと一生忘れられない。 この先幸せになどなれない。 それくらいならいっそ…。 「お前の本当の願いは違う」 きっぱり言われて、アンジェリークの方が戸惑う。 「…違わないよ…」 「違う。言えよ。本音を」 強く抱きすくめられてアンジェリークは呼吸が止まるかと思った。 「……違わない…」 涙も感情も押し殺そうと震えて頑なに首を振る。 「っ、……アリ──」 気付けば嘘しか言わない言葉を遮るように少女の唇を奪っていた。 まずい、と頭の中で警鐘がなっている。 それでもアリオスはあえて無視をした。 少女のはじめての夢を壊すような深く、強引なキス。 怯える舌を追いつめて絡ませる。 …ずっとこうして口付けたかった。 「…はっ…ぁ」 ようやく解放されてアンジェリークはぐったりと彼に身体を預けた。 それを受け止めながらアリオスは言った。 「言えよ。お前の本当の願いを…」 アンジェリークは潤んだ瞳を閉じ、降参したように囁きかけた。 「私…アリオスと一緒に…」 「残念だけど、四つ目の願いはないのよ」 アンジェリークの言葉を遮ったのは二人の知る人物だった。 「ダリア…てめー、こいつに何を吹き込んだ?」 前向きに生きようとする少女に未来を諦めさせるほど。 アリオスはアンジェリークを庇いながら鋭い瞳を向けた。 「吹き込んだなんて人聞きの悪い…事実を教えてあげただけよ」 そしてアンジェリークに向き直って微笑んだ。 恐いくらいに冷たい笑みだった。 (誰にも本気にならなかった彼がこんな子供を選ぶなんて…) 自分でさえ出来なかったことを目の前の少女がやってのけたなど…プライドにかけて許せない。 「最後の願い。私が叶えてあげるわ」 アリオスが止める間もなく、彼女が綺麗な指を鳴らすと真っ白な光があたりを包んだ。 「アンジェ!」 アリオスがアンジェリークを庇うように痛いくらいに抱きしめる。 その姿が光と共におぼろげになっていく。 「アリオス……やっ……傍に…いて」 最後にアリオスが何か囁いた。 「待って! …私、まだ…言ってないことが…」 手を伸ばして、そこで夢から覚めたことに気がついた。 「…あれ?」 アンジェリークはぱちぱちと瞬いて首を傾げる。 呆然と溢れていた涙を拭った。 「どんな夢だったっけ…?」 泣いて何かに追いすがった…と思う。 「覚えていても良さそうなのに…」 それだけ追い求めていたなら夢とは言え記憶に残りそうなものなのに…。 不思議に思ったが、そんな疑問も時計を見て消えてしまった。 「遅刻しちゃうっ」 〜 to be continued 〜 |