花葬 〜flower funeral
chapter 11


まだ幼い少女、エリスは恐る恐る城の中へと入ってきた。
家族でピクニックをしていたら弟がどこかへ行ってしまって…彼を探して
こんなところにまで迷い込んでしまった。
「お城なんてあったんだ…。
 父様も母様もなにも言ってなかったなぁ」
でもおとぎ話にあるような明るく豪奢なお城ではないなぁ、と子供心にがっかりした。
どちらかと言えば、これはお化けが出そうな雰囲気である。
それでももしかしたら、と思って弟の名を呼びながら扉を抜け、エントランスに入った。
「何者だ?」
期待していた弟の声でない。
びくりとしてエリスは声のした正面階段の上を見上げた。


アンジェリークもびっくりしたように声のした方を見つめた。
自分のすぐ傍にレヴィアスはいる。
そして少し離れたところに…もう一人レヴィアスがいる。
千年前も今と変わらぬ姿だった。
分かっていても驚きの気持ちでまじまじと見つめてしまう。
それに…エリスの視界にも彼の視界にも自分達は入っているはずなのに
彼らは特に気付いた様子はない。
「ここは過去の一場面だ。今の我らは存在しない時代。
 見ることはできても関わることはない」
「うん…」
アンジェリークですら複雑な気持ちでいるのである。
本人であるレヴィアスはいったいどんな気持ちで自分をここへ連れてきたのだろうか、と
考えると胸が痛んだ。
「手…繋いでていい…?」
「ああ」
不安な気持ちに負けないように、彼自身を励ますように
アンジェリークがおずおずと指を絡ませると
レヴィアスはふっと微笑み少女の手を包んでくれた。


「王子様?」
お城にいる=王子様 と関連付けるのは子供ならではの発想だろうか。
エリスはレヴィアスを見上げるとそう尋ねた。
レヴィアスは可笑しそうに笑った。
「違うな。それよりお前のような子供が何故ここにいる?」
「あのね、ピクニックしてたの。
 そしたら私の弟、迷子になっちゃったの」
「今はお前の方が迷い子に見えるがな」
「う…」
正直どこをどう歩いてきたのか分からなくなってしまっていたエリスは
涙を滲ませてレヴィアスを見上げた。
「…そんなことないよ」
「くっ…そうか」
強がりを言う少女の反応に苦笑しながら、レヴィアスは感覚を研ぎ澄ませた。
「村に帰れ。家族が心配している」
「でも…」
「お前の弟も一緒にいる」
「ホント? ありがとう!」
一瞬後には少女の姿は消えていた。


「あれ…?
 エリスさんは?」
「どうせ一人で帰れるわけがないだろうと思ったんでな。
 手っ取り早く村へ送り返した」
「やっぱり…レヴィアス優しいよ」
「そんなことはない。
 城の近くをうろつかれると面倒なだけだ」
即座に否定するレヴィアスにアンジェリークはくすりと笑った。
「アンジェ…また少し移動するぞ」
「あ、はい」


次に訪れた場所はアンジェリークが知っているよりはまだまだ規模が
小さいエレミアだった。
のどかな村の風景が広がっている。
ある屋敷の庭にアンジェリークとレヴィアスは降り立った。
「本当だってば、私行ったことあるのよ」
今のアンジェリークと同じくらいに成長したエリスが友人達と話しているのを見て、
場所だけではなく、また時間を移動したのだと知った。
「ええ〜?
 あの幽霊城へ?」
「山に入って探したけど城なんて見なかった、てよく聞くじゃない」
「あ、でも『見た』って言う人もいたわよね」
信じられないとばかりに話している友人達にエリスは真面目に頷く。
「私も見たのよ。
 昔、一度だけその城に入ったことがあるの」
弟を探していて迷い込んだ時の話をエリスは一生懸命していた。
「じゃあ、噂の幽霊城の化け物も見たの?」
「…化け物なんていなかったわよ」
その代わり、とびきり綺麗な男の人はいたけれど…。
なぜかそこまでは言えなかった。
化け物なはずがない。迷い込んだ自分を村まで送ってくれた人。
気付けば村の入り口にいて…きっと彼が運んでくれたのだと思った。
気安く彼のことを口にしてはいけないような気がした。
だから実は彼のことは誰にも言ったことがない。
「ふーん。噂じゃその化け物、不思議な力を使うって聞いたけれど…
 実際のところどうなんだろうね」



この話題が尽きると、彼女達は年頃の少女達らしく他の話題で盛り上がりはじめた。
そんな楽しげなおしゃべりの様子を眺めながらアンジェリークは首を傾げた。
「幽霊城?」
「今と違ってまだこの頃は頻繁に魔界とこの世界を行き来していた。
 我が魔界にいる間は城も消しておいた」
「あったりなかったり…。それで幽霊城なのね」
アンジェリークの時代のように城が当たり前のように存在するのはもう少し
未来の話である。



皮肉にもエリスとレヴィアスが再会したのも嵐がきっかけだった。
あれからほどなくして雨が降り出し、強い風が吹き荒れ、それがずっと続いていた。
今までにない規模の嵐に人間達ができるだけの対策は行った。
あとはもう嵐が止むのを神に祈るしかない、という状況だった。
「父様。私、試してみたいことがあるの」
ある日、エリスは父親に提案したのだ。
「ずっと考えてた…。噂の幽霊城に行ってみようと思うの」
もちろん家族全員がこの時期に山へ行くのは危険だと反対した。
幽霊城の化け物云々よりも嵐の中、山へ入っては遭難する可能性が高い。
「でも、このまま何もしなかったら村は沈むわ。
 今行かなかったら賭けることもできなくなる…」
真っ直ぐな瞳に父親は諦めたように溜め息をついた。
「…お前は昔から責任感の強い子だったな。
 そして言い出したら聞かないんだ」
「今ならまだ馬で行けるわ。
 これ以上雨が続けば本当に行けなくなる。
 それに…あそこにいるのは噂に聞く化け物なんかじゃないわ…」
あの『王子様』はちっとも悪いものではない。
彼女は確信していた。
「エリス?」
「うまくいけば、助かる方法が見つかるかもしれない」
「……分かった。
 何人か供を連れて行っておいで」
「いらないわ。そっちの方がかえって危険だもの。
 私一人で行くわ」
エリスはにっこりと微笑んですぐに出かけると告げた。


彼女が自信を持って言ったのには…
家族が心配しながらも彼女を一人で行かせることに頷いたのには、
ちゃんとした根拠があった。
少女ながらにエリスはその辺の村人よりもよほど山に詳しかった。
幼い頃…山深くまで迷い込んでレヴィアスと会ってから…
再び会えることを期待して、時間があれば山に入っていた。
今まで再会することは叶わなかったけれども、城の位置は予想できていた。
そしてエリスは愛馬と共に再び城の目の前までやってきたのだった。

眼前にそびえ立つ暗い城を見上げ、エリスはほっと息をついた。
「良かった…たどりつけた」
がんばったね、と愛馬の首を叩いて鞍から飛び降りる。
手綱を引きながら門をくぐり、ちょっとだけ迷って城内へと入る扉を開けた。
「この嵐の中、外でお前を待たせるのは可哀想だものね…」
馬小屋のようなものがあればそこへ連れて行きたかったが、
馬に乗る者などいないのだから当たり前と言えば当たり前だが
あいにくここには見当たらなかった。
「お邪魔しまーす…」
「とんだ無作法者だな…」
静かな、しかし嵐の音にかき消されることのない声に
エリスはエントランス正面の階段を見上げた。
本当に嬉しそうに微笑む。
夢に見るほど会いたかった人にようやく会えた。

「汚してしまってごめんなさい。
 でもこの嵐に免じて許してほしいのだけれど…」
エリスも馬もずぶ濡れで一人と一頭の足元の大理石の床には水溜りができていた。
外套のフードを下ろし、濡れて額に張り付いた前髪を整えながらエリスは
子供のような笑顔で言った。
「村を代表して来たの。…力を貸してもらえたら助かるわ。
 お願いできないかしら…王子様?」
「……あの時の子供か…?」
こんな時なのに…楽しげな笑みで言われた最後のセリフに思い当たったらしく、
レヴィアスは僅かに目を見張った。
「10年以上も昔のことなのに覚えていてくれたの?」
「我にとって10年はそれほど昔でもないがな…。
 この城に入ってきた者など最近ではお前くらいだっただけだ」
別にたいしたことではない、と彼は答えた。
「そうだったんだ…」
ちょっとだけがっかりしたような、でもここにたどりつけたのは自分だけだったのだと
分かって嬉しいような、複雑な気持ちでエリスは頷きかけ…くしゃみをした。
雨避けの外套を着てはいるものの、濡れた全身は容赦なく体温を奪っていく。
「すぐ帰すにしろ、話を聞くにしろ、その状態をどうにかしておくか…」
彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに温かい空気がエリスの身を包み
気付けば濡れた服も髪も乾いていた。

「ありがとう!
 えーと…あなたの名前は?
 私はエリス」
お礼を言おうとして彼の名を知らないことに気付き、エリスは無邪気に尋ねた。
その真っ直ぐさにいささか戸惑いながらもレヴィアスは答えてやった。
「レヴィアスだ。礼を言われるほどのことはしていない。
 そんな格好でいられても見苦しいだけだからな」
「そう…でも、ありがとう。レヴィアス」
エリスはもう一度、彼を見上げて礼を言った。
「私ね、ずっとずっとあなたにお礼を言いたかったの」
「礼?」
「子供の時…私を村まで送ってくれたでしょう?」
「近くをうろつかれても邪魔なだけだから帰したまでだ」
「それでも…ありがとう」
無表情に冷たく言われてもエリスは嬉しそうに感謝を告げた。


「あ、そうそう。本題に入らなくっちゃ」
すでに個人的な目的の方を果たしたエリスはぽんと手を叩いて現実に戻った。
本当は違う目的があってここを訪ねたのだ。
10年来の願いが叶い、つい嬉しくて私事を優先させてしまったことを反省しながら
彼女は話し始めた。
「レヴィアスって…その、普通の人じゃないのよね?」
昔、一瞬で村まで送り届けてくれたことや、
たった今、自分と馬の身体を乾かしてくれたことを考えれば明らかである。
さらに容姿も変わらないことから年は取らないと思える。
「魔法使い…とかかしら?」
「魔法使いに用があるのなら帰るのだな」
「あ〜、待ってっ…魔法使い限定の話じゃないの」
踵を返しかけたレヴィアスのマントの裾を慌てて掴んで引き止める。
「………」
何か言いたげな鋭い視線をものともせず、彼女は言葉を続けた。
「この嵐から村を救う方法。
 知っていたら教えてほしいの」
「なに?」

随分と突拍子もないことを言う娘だとレヴィアスは思った。
何の力も持たない人間に許されるのは自然の猛威に耐えるのみである。
人外の力を頼ってまで助かろうとは
悪あがきを…とも思ったし、面白い…とも思った。
「このまま嵐が止むのを待ってたら…山が崩れて村も沈むわ。
 この土地は周囲を山々に囲まれてるから、こんな嵐の中じゃどこにも避難できない。
 私はたまたま不思議な力を持つあなたの存在を知ってた。
 少しでも可能性があるなら賭けてみたいと思ったの」
何もできないまま、しないまま諦めるのは嫌だった。
「………」
レヴィアスは真剣に語る少女を興味深げに眺めていた。
しかし相変わらずの冷たい表情で呟く。
「無駄足だったな」
「…ということは、あなたでも村を救える方法を知らないのね…」
自分勝手だと思いつつ、なにか打開策が得られるのではないかと
期待していたエリスは小さく溜め息をついた。
だが、すぐに瞳に明るい光が宿る。
「まぁ、仕方ないわね。ダメモトで来たんだし。
 帰って次の対策を考えるわ。
 …それに無駄足なんかじゃなかった。
 私にとってあなたに会えたのはとっても大きな収穫よ」
馬の手綱を取り扉へと向かう途中、一度だけ振り向いて微笑んだ。
「もし…この嵐を乗り越えることができなくても…後悔はしないわ。
 自分のやれるだけのことはやったんだし、最後にあなたに会えたんだから。
 絶対に無駄なんかじゃない」
少しだけ躊躇ってレヴィアスに訊ねた。
「でも、もし…この嵐を乗り越えられたら…また来てもいい?」

「………」
不思議そうに見つめ返す彼に慌てて誤魔化し笑いをする。
「ふふ、あんまり気にしないで」
どうせ相手にしてもらえないのは分かっている。
再び会えて、お礼が言えたのだ。名前も知ることが出来た。
今まで抱いていた願いが叶ったのだから、それで満足しなければいけない。
なのに…叶った直後にさらに次の願いが生まれてしまう。
彼ともっと話してみたい。
彼の笑顔を見てみたい。
謎だらけの彼のことをもっと知りたい。
しかし、自分にはやらなくてはならないことがある。
貪欲になる気持ちを振り切るかのように、今度はきれいに微笑んだ。
「さようなら、レヴィアス」
きっと、これが最後だから。

「…待て」
逡巡しなかったと言えば嘘になる。
即断即決の彼には珍しいことだった。
だが、結局は声をかけた。
得体のしれない自分を恐れないばかりか、真っ直ぐな好意を寄せる少女。
レヴィアスにはとても理解できなかった。
しかし確実に分かっていることがある。
このまま彼女を帰せば近日中に村と共にその命が消える。
再びここを訪れることは有り得ない。
村が消えようがそこに住む人間が死のうが関係ない。
だが、この不思議な縁のある風変わりな少女を今なくすのは惜しいと思った。
もう少し見ていてもかまわない…ただそれだけの気まぐれな興味本位だった。
「方法がないわけでもない」



その好奇心が良かったのか悪かったのかは今でも判らない。
確かなのは今後のレヴィアスに大きく影響を与えた、ということだった。
(アンジェリークに真実を伝える最良の方法を選んだつもりだが…
 昔の自分など見るものではないな…)
昨日のことのように覚えている過去を目の前にレヴィアスは内心息を吐いた。
自分の手を握る小さな手から少女の緊張が伝わるようだった。
アンジェリークはこれを見てどう思うだろうか。
全てを知って自分の元から離れていかないだろうか。
そんな不安も少しはあったが、全てを知ってそれでも一緒にいることを
選んでくれたら、と願う気持ちの方が大きかった。
アンジェリークを見下ろしていると、その視線に気付いたのか彼女が顔を上げた。
泣きそうな、どんな表情をしたら良いのか分からないような、複雑な表情。
口を開きかけては言葉を探して…何も言えずに黙ってしまう。
そして繋いでいる小さな手にそっと優しい力が込められた。
レヴィアスが安心させるように微笑むと、アンジェリークはようやく小さく微笑んで頷いた。



                                 〜 to be continued 〜




なんとなく…コメント入れていい場所じゃないような気が…。
レヴィコレのイメージ以上にエリス嬢のイメージは
人それぞれだと思うんですよね。
難しい…。
とりあえず、花葬のエリスはこんな感じです。