花葬 〜flower funeral〜
chapter
4
「ちょっとどういうコトよ、エルンスト!」 嵐が過ぎ去って数日が経ち…職務に追われ、半ば軟禁状態だったレイチェルが 相棒にすごい剣幕で問いただしていた。 アンジェリークにここ最近会っていなかった。会う暇さえ与えられなかった。 今思えばそういう風に仕向けられていたのだ。 「アンジェリークが…あの城へ行っただなんて…それが何を意味するかわかってんの?」 「…だからこそあなたには気付かれないように細心の注意が払われていました」 オスカーとレイチェルには監視が付けられていた。 アンジェリークを大切に思う二人なら、彼女を助けようとするかもしれない、と。 レイチェルは唇を噛んだ。 「オスカーは…」 「あの方もいまだに監視付きで過ごしていらっしゃいます」 「そう…」 怒りを抑えるようにレイチェルは深く呼吸をして呟いた。 「それで…あの子を引き取った家がやたら奉りたてられてたのね」 とても大きな代償を払ったということで皆に感謝されていた。 「オスカーの相手にしようとしたり、生贄にしたり、あの子をなんだと思ってんのよ」 手に持っていた処理済の書類をばさりと机に放りだし、レイチェルは部屋を出ようとした。 「どこへ?」 「どこだっていいでしょ?」 怒りに煌く瞳が物語っている。城へ行く、と。 エルンストは大きな溜め息をついて頷いた。 「お気を付けて…。ちゃんと帰ってきてくださいよ」 「わかってるよ」 一方、話題になっていたアンジェリークは彼らの心配をよそに気ままに暮らしていた。 ぱたぱたと書斎に向かって走り、ドアを開ける。 そこに誰もいないのを見て、最上階の彼の部屋へと駆け出した。 「レヴィアス!」 息を弾ませて自分の名を呼ぶ少女へと彼は分厚い本から顔を上げた。 「なんだ騒々しい…」 「来て、見て!」 アンジェリークはかまわず、彼の腕を取りテラスへと引っ張り出す。 「分かる?」 眼下に広がる大きな庭とその大部分を埋める薔薇を指し、楽しそうに微笑んだ。 「…蕾をつけたか」 「うんっ、もうすぐ咲くよ」 アンジェリークは時間を持て余すようなことはしたくなかった。 彼と一緒にいたり、料理をしたり、本を読んだり…。 そして荒れ放題だった庭の手入れをしていたりした。 まだ城に来て間もない頃、アンジェリークは庭を散歩していて気がついた。 ここはちゃんと世話をすれば立派な薔薇園になる、と。 「ねぇ、レヴィアス。庭いじってもいい?」 さぞかし素敵な光景になるだろう、とわくわくしながら彼に許可を求めた。 もとより、彼は関心がなかったようで好きにするがいい、というぞんざいな返事だったが。 それから少女は庭師の父親から教わったことや、レヴィアスの書庫から 引っ張り出してきた本を参考に、死にかけていた薔薇達を育てていた。 「一番最初に咲いた花をここに飾るね」 彼の腕の中でアンジェリークは微笑んだ。 「そうか」 苦笑し、勝手にしろ、という答えに頬を膨らませる。 「嬉しくない?」 「我に花など似合わぬ」 「そうかなぁ…。似合うと思うけど…」 首を傾げてアンジェリークは確かめるように彼をじっと見つめた。 「ま、咲けば分かるよね。私まだ途中だったんだ。続きやってくる」 手入れの途中で蕾を見つけ、すぐに彼に知らせたくて飛んできてしまった。 背伸びして彼の頬にキスすると、来た時同様、駆けていく。 頬に残るやわらかな唇の感触にレヴィアスは戸惑った。 もう…忘れていたはずの感情だった。 もう二度とこんな気持ちは抱かないと決めたはずなのに。 あの少女はごく自然に自分の心の中に入ってくる。 レイチェルは馬に乗り、誰も近付かない城へと来ていた。 「アンジェ…」 のんびりとしたどこかほっとけない少女の微笑みを思い出す。 もう二度と会えないとは考えたくない。カシャン、と冷たい銀色の門を掴み、額をあてる。 (ここに来て…どうしようっていうの…) 嵐が止んだのは取引が済んだ証拠。だとしたらもう彼女は…。 「…っ…」 決して人に涙を見せない勝気な少女の瞳が潤んだ。 その直後、微かな物音が聞こえ、レイチェルはハッと身構えた。 門の中…広がる庭に白い人影が見えた。栗色の髪、小柄な身体。 遠くてはっきりとは確認できなかったがわかる…彼女だ。 レイチェルは親友の名を叫んだ。 「アンジェ!!」 「…?」 薔薇の手入れをしていた少女は顔を上げた。側にいた銀狼が門の方に向かって唸る。 「ま、待って。私の大切な人なの」 そのまま飛びかかりそうな勢いの狼の首をアンジェリークは抱きしめて止めた。 そしてレイチェルの方へと走り寄る。 「レイチェル!」 門を開け、アンジェリークは嬉しい訪問者に抱きついた。 「…アンジェ…一体どうなってんの…?」 久しぶりに会った少女は真っ白なドレスを着ていた。シンプルだけど上等な生地。 彼女そのもののようなドレスはよく似合っていた。 頬は走ってきたせいか少し紅潮していた。でもとても元気そうである。 …もう二度と会えないかと思っていた。困惑気味にレイチェルは尋ねた。 「うん…私もびっくりした。血をあげたけど…別にそれだけだとたいしたことないんだって」 「そうなんだ…。で、コレは? 監視役?」 彼女の側を離れようとせず、見上げてくる銀狼を視線で示す。 「監視だなんて…。私のお友達。…じゃなければボディーガード」 「へ?」 「だって…監視される必要ないもの。あの人…レヴィアスって言うんだけどね。 取引終わったら好きなとこ行け、て言うんだもん」 薄情だよね、と笑う少女の肩をレイチェルは掴んで、その顔を覗きこんだ。 「帰ってもいいって言われたの?」 「うん」 「じゃあ帰ろうよ」 「…ごめんね。それは無理」 きっぱりとアンジェリークは首を振った。 「どうして!」 「だって…帰る場所ないし。きっとあの家には戻れる雰囲気じゃないでしょ」 悟ったような穏やかな表情だった。 「でもっ、オスカーのとこだって、ウチだってあるじゃない」 「ただのお泊りじゃないんだし、ずっとなんて無理よ。オスカー様のところは…なおさら行けないわ」 頬を染め、一瞬だけ躊躇うその様子にレイチェルは引っかかった。 「…彼のお嫁さんとして暮らすって道があるのに? オスカーまだアナタのこと好きだよ?」 真っ直ぐな視線を見返すことができなくて、アンジェリークは視線をさまよわせた。 だけど、意を決してレイチェルと見つめ合う。 「あのね…。私、ここにいたいの。…レヴィアスの側にいたいの」 レイチェルはその告白を信じられなかった。頭の中に入っても、理解ができない。 「…なに言ってるのか分かってる?」 「うん」 「相手は吸血鬼だよ!?」 苛立たしげな声が響く。それでもアンジェリークは落ち付いたままもう一度頷いた。 「アナタは人間なんだよ?」 「…分かってる」 住む世界が違う。その指摘にはちくんと胸が痛んだ。 「それでも一緒にいたい…」 「アンジェリーク…」 眉を寄せる親友の顔を見つめ、アンジェリークは安心させるように微笑んだ。 「私、ここの暮らし好きよ? レヴィアスも冷たい態度だけど優しいし」 「…なにソレ」 クスクスと笑ってアンジェリークは続きを言った。 「それに私やることあるし」 「なに?」 「ここ…薔薇でいっぱいにしてみせるから」 何を言っても聞かないだろう少女の様子に、レイチェルは今日のところは諦めた。 「そろそろ帰らないと…。村に着く頃には暗くなっちゃう」 「気を付けてね。…レイチェル」 「ん?」 「時間ができたらで良いんだけど…また来てくれると嬉しいな」 「アンジェ…」 「今度は外国のお菓子ご馳走するね。 今、レヴィアスにいろいろな国へ連れていってもらって料理覚えてるの」 のんきな口調ですごいことを言われ、レイチェルは一瞬手綱を落としかけた。 「外国?」 「うん。すごいの。一瞬でいろんな大陸へ飛べるのよ」 本来なら船での長旅覚悟の旅行なはず。彼らの場合、ちょっとそこまで、という感覚らしい。 「…そこら辺興味あるかも。とにかくまた来るね」 「うん。レイチェル…会いに来てくれてありがとう。すごく嬉しかった。 なのに…ごめんね」 「元気でいてくれただけでも良かった。安心したよ」 ひらりと馬に乗るとレイチェルは山道を駆けていった。 複雑な気持ちを抱えたまま。 それから数日後、アンジェリークは庭で仕事をしながらも門の方を気にするようになった。 「レイチェル来ないねぇ…」 お仕事忙しいのかな、と柔らかな芝生の上にうつ伏せに寝転がった。 隣にはいつものように銀の狼。 「せっかくお菓子作ってるのに…また私達で食べちゃおうか」 どうせレヴィアスに勧めても、お菓子の類はあまり得意ではないようだし。 紙包みを開けてアンジェリークはひとつ差し出した。 好き嫌いのない銀狼はぱくんと口に入れた。 「まったく驚くべき光景だね…」 「誰っ?」 ばっと反射的にアンジェリークは起き上がった。レヴィアスでもなく、レイチェルでもない。 この城に他に現れるべき人間はいないはずだ。 呆れたような涼やかな声は聞こえるけれど姿は見えない。 しかし、頼もしいボディーガードは1ヶ所を睨み、低く唸る。 なにもない空間だったはずなのに、一瞬後には人が現れていた。 艶やかな紫紺の髪に恐怖を覚えるくらいの冷たい美貌。 頭ではなくて感覚で分かった。 彼と同じ空気だ。 値踏みされるような視線に身体が強張る。気圧されるのが嫌で口を開いていた。 「…誰…? レヴィアスの…お友達?」 アンジェリークの問いに彼は答えず、可笑しそうに笑った。さらさらと絹のような髪が揺れる。 「面白い子だね。…友人、とは言わないかな…。僕は古い知り合いと言ったところだよ。 彼に友人なんているのかな…信奉者はいるけどね」 「………そう。レヴィアスは城の中よ?」 この人は怖い。笑顔なのに心が笑ってない。 レヴィアスの笑顔はあんなに安心できるのに…。 彼は微かにしか表情を変えないが、心から笑っている。 アンジェリークは緊張したまま尋ねた。なぜここに? と。 「大きな嵐が突然消えた。彼が無茶をしたんだろうな、と思って見に来ただけだよ」 自分が来た日のことだ、アンジェリークはそう思いながら黙って聞いていた。 「そうしたら驚いたよ。人間が居ついてるなんて…」 挑むような彼の視線にアンジェリークは不思議に思った。なぜいきなり敵意をぶつけられる? 「いちゃ…いけなかったの?」 「別に。ただ…彼も酔狂だなと感心してるだけさ。手も出していないようだし」 「レヴィアスは…私がここにいたいって言ったからいさせてくれるだけよ。 そんな風に言わないで」 むっとした様子でアンジェリークが抗議すると、不機嫌さ倍返しで返ってきた。 「半端な好奇心で近付くもんじゃない。だいたい人間は僕らの糧に過ぎないんだ。 対等になどなれないんだよ。無駄な気持ちは抱かないことだね」 「無駄なんかじゃ…」 唇を噛み締めて、自分を睨む少女の瞳が癇に触る。 昔の『彼女』と重なるその姿。 「…君はいやになるくらい彼女に似ている…」 漏らされた彼の呟きにアンジェリークは首を傾げた。 「彼女って?」 冷ややかな表情で彼は答えた。アンジェリークの反応を試すかのように。 「彼に愛されながらその道を選ばなかった、ご立派な人間さ」 「………!」 何も言えず、アンジェリークはただ目の前の綺麗な青年を見つめていた。 「…同じ姿の少女をまた側に置く彼も、不思議なほど君に懐いている彼の半身も。 僕から見れば信じられないよ。一度裏切られておきながら…」 「そんなにそっくりなの…?」 震える声でアンジェリークは呟いた。だから彼は自分をここにおいてくれた…? 「見た目はね。中身は全然違うけど。僕としては君の方が興味深い」 危険な笑みにアンジェリークは後退ろうとした。 「!?」 しかし身体がいうことをきかなかった。 「吸血鬼への警戒心が足りないよ」 彼らは瞳の魔力で獲物を捕らえる。逃げなければと思うのに動けない。 「っ」 彼の吐息が白い首筋に触れた。 「僕なら君に永遠の命をあげられる」 鋭い牙が肌に触れる寸前…アンジェリークは彼を突き飛ばすようにして逃げた。 「や、だっ…。レヴィアス以外の人にはあげない!」 「へぇ…動けるとは思わなかったよ。彼の瞳に慣れていたせいかな…。…おもしろい」 狩人の表情になった彼を前にアンジェリークは立ち竦んだ。 「やめておけ」 低い艶やかな声が響くのと、銀狼が彼女を庇うように前へ出たのが同時だった。 「この娘には手を出すな。…もっとも我とやりあう気があるなら構わぬが」 「レヴィアス…」 突然現れた漆黒の青年の名をアンジェリークは呟いた。 闇色の髪とマントが風に揺れている。髪の隙間から窺える瞳は鋭い光を放っていて。 その表情は冷酷さが表れていて、近寄れば切れそうな空気を纏っていた。 この場だけ、いくらか気温が下がった気がする。 これが魔族である本来の彼の姿なのかもしれない…。 アンジェリークは不安げな表情で彼を見つめていた。 ちらりとそんな彼女を見て、またレヴィアスは来訪者に顔を向けた。 対する彼は肩を竦めてみせた。 「どれだけ貴方が本調子じゃない今でも…。やりあうほど僕は馬鹿じゃない」 「え…レヴィアス、調子悪いの?」 緊迫した空気の中だというのに、アンジェリークはレヴィアスに詰め寄った。 その様子にレヴィアスと対峙していた青年は苦笑する。 「自然の力を無理矢理抑え込むのはかなり消耗する。いくら彼でも平気なわけない。 現に眠りを必要としているだろう?」 その言葉にアンジェリークははっとした。 いつだっただろうか、彼が書斎でうたた寝をしていたのは…。 「この子の血をもらえばいいのに…相変わらず貴方は強情な人だ」 「我のことは放っておけ」 分かりましたよ、と青年は本気かどうか判断できない返事をした。 「そうだ…僕に用事があれば呼ぶといい。 気に入ったから…血を頂けなくても応えてあげるよ。アンジェリーク」 「え…どうして私の名前…」 教えてないはずなのに、と質問する前に彼の姿は消えていた。 「アンジェリーク…」 「なに?」 「素直にあいつを呼ぶな。お前には危険すぎる」 「…うん」 アンジェリークは安心できる彼の胸へと飛び込み、頷いた。 「それに呼ぶっていっても…私、彼の名前聞かなかったから呼べないわ」 「想えば届く。不用意に魔族の名を覚えるのはやめるんだな。自殺行為だ」 「レヴィアス…心配して来てくれたんだよね。ありがとう」 きゅっと強く抱きついてアンジェリークは俯きながらお礼を言った。 「ね…想えば届くって…レヴィアスも?」 ふとアンジェリークは思いついて彼に聞いてみた。 「届けたいとお前が思えばな」 「じゃあ、今の私の気持ちもわかる?」 「ああ」 アンジェリークを抱きしめ、彼の微笑みが近付く。 瞳を閉じる寸前に見た、さらりと風に揺れる黒髪から覗く瞳は優しくて、それが余計に切ない。 はためく黒いマントが周囲から二人を遮断する。 …それでもあなたのこと好きだから… 過去は確かに気になるけれど、自分の気持ちはいまさら引き返すことなどできなかった。 〜to be continued〜 |
また新メンバー登場です。 彼も私のお気に入りですから(笑) 最初、オスカーと彼の配役をどっちにしようか迷いました…。 やっぱりこちらの方が吸血鬼は似合うかな、と。 気の毒に名前は知らなくてもいい、と レヴィアスに言い切られてしまいましたが。 |