花葬 〜flower funeral
chapter 5


アンジェリークは夕食後、暗い庭に一人でいた。
一面に広がる薔薇の茂みを見つめながら座り込む。

―――『相手は吸血鬼だよ!?』―――
―――『アナタは人間なんだよ?』―――
親友の言葉が胸に刺さる。

レイチェルに言われなくとも、彼と自分が一緒にいることが不自然なのはわかっていた。
たとえ意地を通して城にいたとしても自分はすぐに年をとって死ぬ。
永遠に変わらぬ彼の前で。
「離れても…離れなくてもいや…」
張り裂けそうな気持ちを抑えるように呟いた。
ただ今は束の間の幸せに浸っていたい。叶わなくても夢を見ていたい。

だが、実はもうひとつ別の道もあった。
紫紺の髪の吸血鬼が囁いた言葉に気付かされた。
自分と違って、レヴィアスはアンジェリークに手を出したりはしない…と。

―――『僕なら君に永遠の命をあげられる』―――
美貌の吸血鬼の言葉が頭から離れない。

甘い誘惑に一瞬でも抵抗を忘れた自分が悔しかった。
彼と同族になること。そうすれば同じ時間を生きられる。
「そうするとしても…私を変えるのはあの人じゃないわ」
その時はレヴィアスに…。
アンジェリークは大きく息をついた。
人間であることを捨てる覚悟が今の自分にあるかどうかもまだ怪しい。
「…第一レヴィアスは私に触れるのを躊躇ってるもの…」
彼が少女を拒むことはないが、基本的に自ら触れようとはしない。
それがアンジェリークに不安を持たせる。
はっきりと否定されたから嫌われていないのはわかるが、愛されているという自信もない。

「あなたが私を必要としてくれるなら…かまわないのに」
ただ一言、愛してる、と言ってくれたなら全てを捨てられる。
自分が彼を追いかけたいが為に同族にはなれない。
それでは彼の荷物になる。押しつけるつもりはない。
「やっぱり…私とそっくりな人をまだ愛してるのかな」
だから似ている自分に優しくしてくれるけれど、求めることもなく…。
『アンジェリーク』としては愛してもらえない?
どんどんと考えがマイナス思考になっていくのを感じ、アンジェリークは首を振った。
「ダメ。まだ情報が揃ってないのに、想像だけで判断しちゃいけないわ」
立ち上がって部屋に帰ろうとした時、1箇所に視線が止まった。
それは開いたばかりの薔薇の花だった。
さっきまで曇っていたアンジェリークの表情が溢れんばかりの笑顔になる。



「レヴィアス…」
アンジェリークは彼の部屋に入るとにっこりと笑った。
後ろ手に持っていたものを彼の目の前に差し出す。
「プレゼント」
小さな手には刺を取り除かれた真紅の薔薇が一輪。
彼女の真っ白なドレスにその深い赤はよく映えた。
「咲いたか…。よく頑張ったな」
死にかけた薔薇をここまで持ち直させたその努力は並大抵のものではない。
読んでいた本を置き、その贈り物を受け取った。
「やっぱりレヴィアス…似合うよ」
「そういうことにしておくか」
満足そうにアンジェリークは微笑んだ。

そのまま子猫が擦り寄るように近付くと、彼は抱き寄せてくれた。
膝の上に抱き上げられ、アンジェリークは彼の首に腕を回した。
「レヴィアス…好き」
返事の代わりにキスが贈られる。
「好きだから…いいよ。血をあげる」
なぜそうなるのだ、という顔をする彼にアンジェリークは言った。
「だって、まだ身体の調子良くないんでしょ? 今日来た人が言ってたわ」
初めて会った日の、倒れる寸前の彼の様子が今でも鮮明に記憶に残っている。
あんな光景は二度と見たくない。
「私が死なない程度にしか血を奪らなかったから…だよね…」
「…あれで十分だ。動ける程度には回復した」
「それは十分って言わないよ」

しがみつくように抱きついて、祈るように囁いた。
「元気になるまではあげるから。ちゃんと睡眠もとって…。
 お願いだから隠そうとしないで」
隠すのは『彼女』のことだけでもう十分。
泣きそうになりながらアンジェリークは続けた。
「どうして…レヴィアス。優しいのに…一線引かれてる気がするの…」
「アンジェリーク…」
それでも顔を上げた少女の瞳に涙は零れていなかった。必死で堪えているのがわかった。
「それとも…やっぱり私はその程度の相手なの…?
 何でも話してほしいと思うのは思い上がり…?」

宥めるように栗色の髪を梳く手が優しくて、泣くまいと思うのにくじけそうになる。
レヴィアスはひとつ溜め息をついて、それから少女の瞳を見つめた。
「なぜそんなに不安がる?」
「だって…私があなたを好きなほど、あなたは私のこと好きじゃない」
「どうしてそんなことが言える?」
「レヴィアスは…私のこと受け止めてくれるけれど、手に入れようとはしないから」
静かな異色の瞳を見つめ返しながらアンジェリークは答えた。
レヴィアスに昼間の吸血鬼のように好奇心でもいいから自分を求めてほしいと思った。
「…ばか。最初に言っただろう。お前の血は我にとって麻薬となる、と」
「え?」
「制御しきれなくなるかもしれない」
「…制御できてたじゃない?」
あの日、僅かばかりの血しか奪らず、その後も決して彼女に手を出さなかった。
アンジェリークは首を傾げた。
穏やかな彼の瞳に、葛藤が隠されていたことなど気付かなかった。
今まで完璧なまでに彼はそれを隠していた。
だけど今夜初めて彼の気持ちが揺らめいていた。

「自分でも止められなくなる。お前を求める気持ちを」
「止めなくていいよ」
「傷つけるかもしれない」
「かまわないわ」
子供を抱く母親のようにアンジェリークは彼の背に腕をまわした。
きっと傷があるのは彼の方なんだな、と思った。
躊躇わせるほどの…たぶん、昔の『彼女』の時の傷。
だけど彼が話してくれるまでは聞かないと決めたからそれには触れなかった。

「あなたにつけられる傷ならかまわない」
絶対の自信を持って微笑む少女に彼は苦笑した。
「後悔しても知らないぞ。誘ったのはお前だ」
「しないよ。後悔なんて」
視線を合わせ、くすりと二人に笑みが漏れる。
想いを伝え合うように唇を重ねた。
少し苦しいくらいのキスは今までで一番幸せな味がした。

少女の唇と舌を味わったあと、彼の唇はそのまま白い首筋を辿った。
牙の触れる感覚に身を竦ませる少女の様子にレヴィアスは囁いた。
「怖いか?」
「平気…」
初めての時はかなりパニック状態だったからなんともなかったが、
改めて意識するとこの行為には緊張する。
アンジェリークは静かに瞳を閉じて、いいよ、と頷いた。




その頃、展望台で寝そべっていた銀狼はぴくりと頭を上げた。
用件を聞こう、とばかりに相手を見つめる。
ふわりと現れる人影。
「宴は1週間後だと…レヴィアス様にお伝えください」
その人物はそれだけ言うと優雅に礼をして、来た時同様静かに消えていった。


 
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


「誰だ?」
オスカーは人の気配を感じ、自室の窓を開けた。
「バレちゃった? さすがだね」
「レイチェ…」
名前を呼びかけて慌てた彼女に口を塞がれた。
「静かに。今私がここに来てるのは知られたくない」
「まぁ…こんな夜這いがお堅い恋人に知られたら面倒だもんな」
小声で叩かれた軽口にむっとしながら、するりと彼の部屋に入る。
彼女は人並外れたその頭脳と運動神経で、時折諜報活動もこなす。
闇に乗じて監視の目をくぐり抜けながら、ここに来るのも苦ではなかった。
「言ってるでしょう、恋人なんかじゃないって」
夜這いも心外だわ、と口を尖らす。
「…でもわりと元気なようね。良かったよ」
「心配してもらえたとは光栄だな」

自嘲気味に笑う彼を見つめながら、レイチェルは話しはじめた。
「私、城に行ってきたの」
「ああ、話は聞いた」
あの日…レイチェルは城から帰った後、村人達にアンジェリークには会えなかった、と言った。
言葉少なにされたその報告は、それぞれの胸の内で解釈された。
「…だから俺の監視も緩くなった」
意思の強いアイスブルーの瞳が翳る。
だから次のレイチェルの言葉は彼に衝撃を与えた。

「アンジェは生きてるよ…」
「なに?」
「ああ言っておけばアナタの監視もそのうちなくなるだろうし、私も動きやすくなるから…ね。
 …あのコ、元気だったよ」
レイチェルはオスカーをまっすぐ見据え、嘘ではないとその瞳で証明する。
「どういう事だ?」
それでもすぐには信じられない様子でオスカーは自問するように呟いた。
「私もよくわからない。ただ…想像していた吸血鬼と大分違うみたい」
レイチェルは彼から外へと瞳を逸らし、躊躇いながらも続きを言った。
「取引の後、帰ってもいいと言われたそうよ。
 だけどアンジェリークが城にいたいって…」
「アンジェリークの意思であそこにいると?」
「ウン…」
「そんな馬鹿な…」

「私だって信じられなかったよ。でも…」
彼を愛してると全身で言っていた。
「操られている可能性は?」
魔族ならば心の操作など容易い事。
レイチェルももしかしたらそれがあるかもしれないと考えたが…。
「…なんとも言えないね。彼に惚れた以外には別に不自然なところはなかったと思うよ」
その一点が最大の問題なのだ。
「………」
「私は実際にその吸血鬼を見てもいないし…。
 でも、アンジェの様子見てるとなんか幸せそうだし…」
「あんなところにいるのにか?」
どうするべきか判断しかねているレイチェルにオスカーは苛立ちを隠せず尋ねた。
「実際に会えばわかるよ」
オスカーの気持ちが解るだけにレイチェルはそう言うしかなかった。
彼女が魔族に惹かれているなど、信じたくも認めたくもない。
あのまま一緒に連れて帰りたかった。
だけど嬉しそうに彼のことを話す少女を見ていると、どれが彼女の為なのだかわからなくなる。

「周りの目があるからしばらく城へは行かなかったけど…。
 そのうちまた行ってよく話してくるつもり」
今日は彼女が元気でいることだけ伝えたかったのだ、と微笑んでレイチェルは窓から外に出た。
「アンジェリークは庭で薔薇の手入れをしていることが多いの」
だから彼女に会うことはたぶんそう難しいことではない。
「レイチェル」
「なに?」
「ありがとう」
3階の窓から降りる寸前にレイチェルは振り返り笑った。
「どういたしまして。アナタはたった一人の同志だからね」
「そうだな」
たぶん、この村で少女を心から思うのは自分達だけ。
オスカーはレイチェルを見送りながら決意を固めた。



早朝、オスカーは尾行されていないことを確信してから城へと向かった。
はにかむように微笑む少女の姿が忘れられない。
手放したくなどなかった。
せめて彼女の姿だけでも確認したいと馬を走らせた。
城の近くまで来て、馬から下り、木々の間をそっと歩きながら庭が見える位置を探す。
「!」
薔薇の中に立つ人影を見つけ、オスカーは身を隠した。
「あれが吸血鬼か…?」
闇色の髪に漆黒の服。対称的な白い肌の長身の青年。
想像と違い、儚ささえ窺えるその姿。
自然と言葉は疑問形になった。

「レヴィアス!」
オスカーの戸惑いを打ち破るように少女の声が聞こえた。
「気が付いたらいないんだもの、探しちゃった」
駆け寄って来る少女は以前と変わらない…もしかしたらそれ以上に明るい笑顔を見せていた。
「無理はするな…」
「?」
「慣れるまでは辛いはずだ」
走らなくても逃げはしない、と苦笑する彼にアンジェリークは微笑んだ。
「平気よ?」
「精神的に何ともなくても身体的には負担がかかっている」
「…遠回りに鈍いって言ってる?」
「考えすぎだ」
「…そう?」
本当に?と瞳を覗き込む少女の頬に触れる。
アンジェリークは訝しげな瞳を閉じて、素直にキスを受け入れた。
「…冷えないうちに戻るか」
早朝のひんやりした空気から守るようにマントの中に彼女を包み込む。
「うん」


「あいつ…俺がいたことに気付いていたな」
オスカーは馬を繋いでいたところに戻りながら呟いた。
見たくはなかった長いキスシーンの前に、彼は一瞬こちらに意識を向けたように感じた。
挑発と分かっていながら、みすみす乗ってやるつもりはない。
必死で斬りかかっていきたい気持ちを押し殺し、その場を動かなかった。
「アンジェリーク…」
レイチェルの言った通り、操られているのかどうかはわからないが彼女は幸せそうだった。
だけど相手が許せない。
たとえ彼女が本気だったとしても。
「目を覚まさせてやらないと…」


あの男…馬鹿ではないらしい。
レヴィアスのオスカーに対する第一印象はそれだった。
たぶん、ここへ来るのはアンジェリークから聞いた親友のレイチェル以外にいるとしたら
オスカーだろう、と思った。
わざと挑発的な言動を見せたが、飛び出してくるような真似はしなかった。
過小評価はするべきではないな、と判断した。


互いに敵だと認識した瞬間だった。


                                  〜to be continued〜


やっとオスカー様再登場。
あ〜…本当に彼には申し訳ないですがふられてもらいます…。
オスカーfanな方、引き返すなら今です。
(しつこい?/苦笑)