花葬 〜flower funeral
chapter 7


数日前……暗い、月のない夜のことだった。
オスカーはやっと監視が解かれ、今まで通りの仕事に戻っていた。
その帰り道、違和感を感じた。
「…?」
人の気配はないのに視線を感じる。立ち止まり、剣の柄に手をかけた。
女性にむけるような甘さの欠片もない眼差し、鋭い刃のような瞳が煌く。
「何の用だ?」
しかし、さわさわと道沿いに植えられている並木が揺れるだけ。
「用がないならさっさと行け。俺も暇じゃない」
何かいるのは確かだが、出てくる気がないのならばどうでもいい。
わざわざ関わってやるほど物好きではない。
オスカーはあっさりと歩き始めた。
「…人間離れした感覚だね。短気なのが勿体無いけれど…。
 まぁ、そういうのも嫌いじゃないよ」

涼しさを感じたのは夜の冷気だけではなかった。
氷のような美貌と声音。そして無言の圧力。人ではない者が纏う空気。
一瞬にして目の前に現れた人影をオスカーは睨みつける。
「そんなに警戒しなくてもいいよ」
今にも剣を抜きそうな彼を可笑しそうに見ながら微笑んでいる。
その余裕ぶった様子はオスカーの神経を逆撫でた。
「あいつの仲間か?」
「あのコにも同じように訊かれたな…」
問いかけるオスカーの視線に彼は肩を竦めてみせた。紫紺の髪がさらりと揺れた。
「アンジェリークさ」
「彼女を知っているのか?」
「あの人の寵を得た少女だ。こっちの世界じゃ有名だよ。
 実際に会ったのは僕ともう一人だけ、だけどね」
「………」
剣から離した手がぐっと握り拳になる。
懸念していた。少女が心を預ける吸血鬼に襲われる事。
また、その同族にも目をつけられる事。
すでにその危惧は半ば当たってしまっていた…。

「…何をしに来たんだ?」
眉を顰めたままオスカーは彼に尋ねた。
彼が自分の前に姿を現す理由が分からない。
「いい事を教えてあげようかと思ってね」
「いい事だと?」
訝しげに問うアイスブルーの瞳に綺麗すぎる笑みが映る。
「あの人は明日の晩からしばらくいなくなる。
 というよりも、僕ら魔族がこの世界から一時だけいなくなる。
 あのコは1人だ」
「!」
これ以上のチャンスはないよ、と微笑む。
言うだけ言って姿を消そうとした青年にオスカーは声をかけた。
「なぜ、俺にそんな事を?」
「さぁ? なんとなく…」
振り向いた美貌の青年は感情の読めない笑みでそう答えた。
「…面白くなりそうだから」
いつもと変わらない穏やかな空気が戻ったことを感じながら、
オスカーは立ち尽くしていた。
彼の言葉はどこまで信用できる…?

彼のことを全面的に信じたわけではなかった。
しかし、それでも試す価値はあるだろう、と思った。
わざわざ言いに来た真意が掴めないが、本当だったらまたとないチャンスだ。
騙されたのだったらそれでもかまわない。漆黒の吸血鬼と正面から対峙するだけ。
「どちらにしろ一度城へは行かないとな…」



そして、アンジェリークは今…オスカーの邸にいる。

アンジェリークは向かいに座る神父に困ったように微笑んでいた。
「神父様…何か不吉なものは感じられましたか?」
「いえ…何も…」
優しげな青年は首を振った。
村の人間には知られないようにオスカーの邸へ少女を連れてきて、まず確かめた。
アンジェリークの心が操られていたり…もうすでに人ではなくなっていたりしないか。
「…好きになった男性がたまたま人じゃなかっただけなんです」
穏やかな表情でアンジェリークは言った。
「ただ…それだけ…。…そんなにいけないことでしょうか?」
少女の、柔らかいのに真っ直ぐな眼差し。
神父はそれを見つめて悲しそうに首を振った。
「いけない、とは言えないかもしれません…。ですが危険です」
皆、貴方のことを心配しているのです。と、溜め息をつく。
アンジェリークも表情を曇らせて首を傾げた。
「大丈夫です。上手く言えないし、信じてもらえないかもしれないけれど…。
 …万が一、危険な目にあったとしても覚悟の上です」
やりきれない空気が部屋に溢れていた。
レイチェルやオスカーとも、この話題になると同じ空気が流れる。
誰と話しても平行線をたどるこの問題に困り果てていた。 
アンジェリークは窓の外…城のある方角を切ない瞳で見つめ、ポツリと呟いた。
「…帰りたい」

少女を部屋に残して、彼は廊下に出た。部屋の外に控えていたオスカーが声をかける。
「どうだった? リュミエール」
「彼女に異常はありません。ただの恋に悩む少女です。
 感心できませんね、オスカー…」
憂い顔で彼はいとこを見つめ返した。
あまり気が合うとは言えないいとこが珍しく頼みごとをしてきたので来てみれば…。
「こんな監禁めいた事は…」
「監禁だと? どこがだ」
決してそんな待遇はしていない。むしろVIP扱いである。
「アンジェリークは帰りたがっています」
もう帰る場所はあちらになっている。
リュミエールの言葉にオスカーは胸が痛んだ。
「神父のお前が言うのか? 魔族と共に生きろと?」
「………」
部屋の中にあったやりきれなさがここにも移ったようだった。

「アンジェリークが魔族だったら貴方はどうしていましたか?」
「…なんだと?」
沈黙のあとの問いにオスカーは眉を顰める。
まさかもう人ではないのか?という思いが浮かぶ。
「安心してください。異常はないと言ったでしょう。
 たとえばの話です」
「たとえば…?」
オスカーは何が言いたいんだという表情をした。
「彼女が魔族だったら…貴方はその想いを簡単に捨て去る事ができますか?」
「何を馬鹿な…。この俺が本気で惚れたならたとえ魔族だろうと…」
言いかけて、はっと言葉を止めた。
「アンジェリークも同じですよ」
リュミエールは階段を降り始めながら言った。
「こうなってしまったら種族は関係ありませんよ。
 それぞれの気持ちの問題です」


「レヴィアス…」
アンジェリークは運ばれた食事にもろくに手を付けず、真っ暗な外を眺めていた。
窓には鍵がかけられ、開ける事はできなかった。
オスカーが閉じこめようとしているわけではなく、3階のこの窓からもしものことが
あったりしたら危険だから…という理由からである。
実際、部屋のドアに鍵はかけられていなかった。
逃げ出そうと思えばそこから出ていける。
『逃げたいなら逃げてもいい』、そうオスカーは言っていた。
ただ、アンジェリークにはそれができなかった。
自分の事を心底心配してくれている彼らに黙って出ていくことはできない。
出ていく時は、彼らに納得してもらってから行きたい。
逃げる、なんて嫌だった。
オスカーはドアの鍵をかけずに、少女の良心を鍵にすることによって、少女を留めた。

「会いたいよ…。側にいて…微笑っていて」
抱きしめてほしい。あの優しい腕に包まれていたい。
キスしてほしい。優しいキスも激しいキスも、冷たい唇から彼の情熱を伝えてくれるから。
何度となく呟いた。いつでも思っていた。なのに…
「どうして…来てくれないの…?」
想えば届く、と言っていたはずなのに…。
単なる宴でないことは聞いていた。
だから簡単に抜けることなどできないだろうとわかっている。
「やっぱり…お仕事の方が大切だよね…」
彼は遠い世界の人だと、ちゃんと理解しているはずなのに…悲しかった。
窓ガラスに映る頬を伝う涙をぼんやりと見つめていた。




「…アンジェリーク…?」
声が聞こえたような気がして、レヴィアスは呟いた。
そして、聞こえるはずがない、と首を振った。
想えば届くと言ったが、次元を超えてはさすがに無理である。
ここは少女がいる世界とは別の世界。
「そこまで溺れているのか…?」
レヴィアスは自嘲気味に笑った。認めたくない気持ちの方が強い。
アンジェリークを愛しいと想う気持ちはすでに受け入れている。
だが、幻聴を聞くまでではないはずだと思っていた。
そこまで人を愛することはもう2度とできないと思っていた。
2度としないと誓ったはずだった。

「レヴィアス。座ってるだけじゃ退屈でしょう?」
明るい声と共にワイングラスが勧められた。
それだけで彼には相手が誰だか分かった。
自分を呼び捨てにできる者など限られている。
レヴィアスに遅刻するな、とキーファーを使って伝えたのも
『宴』を定期的に開こうと提案したのも彼女だった。
「…宴に興じているだけのお前達と違って、我は仕事もしている。
 少しは休ませろ」
ソファに座って語る者、食事を楽しむ者、ダンスを楽しむ者、それぞれが好きなように
過ごしている様は貴族のサロンと大差ない。
それらを眺めながらの溜め息混じりの声に少女はくすくすと笑った。
「あのコ、連れてくれば良かったのに。紹介してほしかったな」
「あいつを同族にする気はない」
「いつまで意地を張っていられるか見物だな…」
少女の傍らにいた長身の男がレヴィアスを見つめ、ふっと笑った。

「…我のことは放っておけ」
「悩みすぎは却って冷静さを欠くわよ? ねぇ、クラヴィス」
素直になればいいのに、と少女は苦笑する。
腕に抱きつく少女の髪を梳いてやりながら彼は呟いた。
「長生きするのも考えものだな…」
今までの経験から慎重すぎるほど慎重になってしまう。
「欲しいものは欲しいと言えばいいのよ。
 上手くいった例が目の前にあるでしょ?」
自分達を指し、金の髪の少女が微笑んだ。
天使の名を持つ悪魔。かつては人間だった。
クラヴィスと出会い、惹かれあって共に生きることを選んだ。
「お前達のような成功例はごく少数派だ。
 ほとんどの者は上手くいかなかっただろう。…我も含めてな」

自嘲気味に微笑むレヴィアスを見て金の髪の少女は頬を膨らませた。
「もぉ、どうしてそうマイナス思考なの?」
「お前こそ…今日はやけに絡むな?」
「だって…放っておけないわ。私と同じ名前のコ。
 私と同じ道を歩むかもしれないコ。…彼女の気持ちは私が1番解るわ」
少女とレヴィアスの真剣な視線が交わる。
「怖いのは貴方だけじゃない。あのコだって怖いはずだわ…」
私がそうだった、とクラヴィスの腕に強く抱きついたまま呟いた。
「全部を捨てて…でも、その先が必ず保証されているわけじゃない。
 心がすれ違ってしまえば、それからどうすればいいのか見当もつかない」
彼と生きるためだけに何もかも捨てたのに、その彼がいなくなったら…。
「それでも…離れたくなくて…」
危険な賭けだと知りつつ、賽を投げた。
「なんとかなるものよ? 私達幸せだもの。
 それにあなた、本当にあのコのこと大事に想ってるじゃない」
「………」

ほとんどの魔族を怯えさせる鋭い視線がふいと逸らされた。
「ああ。確かに我はアンジェリークを愛してる。
 ……だからこそ自分が信用できない」
「?」
金の髪の少女は意味がわからず、不思議そうな顔をした。
愛しているなら、なぜいまだに少女との距離を縮めようとしないのだろう。
「もうその辺にしておけ。あれこれ言ったところで決めるのは彼だ。
 悪かったな、レヴィアス」
だが謝りついでに言わせてもらう、とクラヴィスは続けた。 
「彼女は今まで我らと上手くいかなかった人間でもなければ、エリスでもない」
「………」
「まぁ…私がこのアンジェリークを選べたのは若さのせいかもしれないがな」
まだ感情を優先できる時期だった。
クラヴィスは苦笑しながら呟いた。
「なによ〜。じゃあ今、出会ってたら私のこと選んでくれなかったの?」
「そうは言っていないだろう…」
「珍しくよくしゃべるな…クラヴィス」
彼の表情を眺めながらレヴィアスも苦笑した。
「またあの時のようになったら、私の仕事が増えるだけだからな…」
レヴィアスの次に永く生きる男は皮肉げに言った。
主がいないこの城は、彼の管理下でレヴィアスの部下達が動いている。
「心配するな。どちらに転んでもあの時のように荒れたりはしない」

「だといいがな…」
「普段クールなくせに激情家だからねぇ」
長年連れ添っている2人は半信半疑な表情で顔を見合わせた。


                                  〜 to be continued〜


またもや思ってたほど話進みませんでした…。
オスカー様とアンジェをこの回で書けなかった…。
レヴィアスはアンジェを迎えに行けてないし…。
そのうえ、どんどん登場人物が増えてます。

なかなか話が進まないのはここのレヴィアスとアンジェ
がいろいろと悩んでいるからでしょう。
…と責任転嫁してみる私…(笑)