花葬 〜flower funeral〜
chapter
8
事実上、閉じ込められている部屋にノックの音が響く。 午後の穏やかな風景を見ながらアンジェリークは返事をした。 もはや窓の側は彼女の指定席になっていた。 「はい?」 「ワタシ」 入ってきたのは親友だった。 「レイチェル…」 彼女の手には大きな古びた本があった。 「ちょっと見てほしい物があるんだ」 本当は持ち出し禁止なんだけどね、と舌を出しておどけてみせる。 彼女の明るい仕種にアンジェリークの顔にも笑みが戻る。 「なに?」 レイチェルが持ってきた物は、領主の館にある書庫から失敬してきた記録書である。 「ここに、吸血鬼伝説の概要と記録が残ってる」 レイチェルはすでに調べてきたページを示した。 「1番古い記録は千年くらい前かな…」 その表情が心なしか固い。さっきの明るい表情とは比べ物にならない。 それに気付きながらアンジェリークは指差された箇所に目をやる。 「!」 そこに書かれた文章よりも先に、小さく描かれた肖像画に目を奪われた。 その後に、下に書かれていた名前を読む。 「………エリス…」 紫紺の吸血鬼が言っていた『彼女』はこの女性だとすぐにわかった。 髪の長さが一緒ならアンジェリークとまったく同じ容姿である。 (この人が…レヴィアスが愛した人…) 詳しい記述にしっかりと死亡記録はあったが理由は書かれていなかった。 (…だけどエリスさんは彼を選ばなかった……) 「アンジェ…アンジェリーク?」 じっとその記事を見つめたまま動かない少女にレイチェルが呼びかける。 「ごめん…なんでもないの…ちょっと、驚いただけ」 最初の生贄が『彼女』だったなんて…。 だけど何も知らないレイチェルにはそう言うだけにとどめておいた。 「驚くのも無理ないよ…」 親友が好きになった吸血鬼は今までどんなふうに村と関わってきたのか 調べてみようと軽い気持ちでページをめくってみたら…驚いた。 アンジェリークとそっくりの少女。 慌ててこの本を持ってここへ駆けつけてしまった。 「ね…なんか、ヘンじゃない?」 「ヘンって…?」 レイチェルの問いにアンジェリークは首を傾げた。 「だって…アナタ…あの吸血鬼が優しいって言ってたけど…。 この奇妙な一致…裏があるんじゃない?」 「レイチェル…」 言いにくそうに問うレイチェルにアンジェリークは悲しい顔をした。 「こんなこと言ってごめん…でも、アナタが後でイヤな目にあうのは…」 レイチェルの自分を思ってくれる気持ちがひしひしと伝わってくる。 アンジェリークはふっと微笑んだ。 「偶然よ。レイチェル」 「アンジェ…?」 「過去に…私そっくりの人がいたのは知ってるの。彼が唯一愛した人…」 「え…」 「1番驚いたのも戸惑ったのも、きっとレヴィアスだわ」 「昔の恋人と同じ姿だなんて…それこそ身代わりじゃないの…?」 酷だと思ったが、ここで追求の手を緩めるわけにはいかなかった。 レイチェルもある決意を胸にここへ来た。 「それはないと思うわ」 迷いのない瞳でアンジェリークは言った。 「他の吸血鬼に言われたけど、中身は全然違うらしいの」 くすりと笑って、断言する。 「それに、レヴィアスは他人を身代わりにするような人じゃない」 そんなことができる性格ならば、あんなに触れることを躊躇わなかったはず。 「絶対そうだと言い切れる?」 「信じてる。たとえ最初は身代わりだったとしても、 私の方を好きになってもらうから…だからいいの…」 人を安心させるような笑みは今までと変わらない。 なのに内に秘める強さと優しさは比べ物にならない。 レイチェルはしばらくの沈黙の後、大きく息を吐き出した。 「分かった…。私はもう何も言わないよ。 アナタを応援する」 目を丸くして自分を見つめてくる少女にレイチェルは苦笑した。 「そこまで決意しちゃってたらしょうがないね」 もう何言っても心は変わらないでしょう、と。 「アナタが幸せならそれでいい」 「レイチェル…ありがとう」 アンジェリークは親友に抱きついた。 その肩が少しだけ、涙に濡れる。 「お礼なんていいよ。状況が難しいのは相変わらずなんだからね」 「ん……でも、ありがとう」 いくらか痩せてしまった華奢な身体を抱きしめながら、レイチェルは微笑んだ。 「その素直さ…見習いたいぐらいだよ」 「? レイチェルだって素直よ?」 不思議そうに答える彼女には苦笑して誤魔化した。 その晩…オスカーは急いで邸へと向かっていた。 仕事場に戻ってきたレイチェルとの会話がそうさせていた。 「私はアンジェの味方につくよ」 つまり、少女と吸血鬼を応援する、と。 「どうしたんだ急に?」 レイチェルはアンジェリークとの先程のやりとりを説明した。 「私は…アンジェに幸せになってもらいたい」 「…その相手があいつなのか」 「長い間引き離すのはよくない。…気付いてるでしょ? アンジェ少し痩せたよ」 痩せたと言うよりやつれた、の方が正しいかもしれない。 オスカーもそれには気付いていた。 しかし当のアンジェリークは大丈夫です、と微笑み返すだけだった。 「レヴィアス…そろそろ帰ってくるよね…」 彼の話だと今夜か明日の晩。 「…私も帰らなくちゃ…」 彼が帰ってくるまでに城に戻っていたい。 おかえりなさい、と笑って彼を迎えたい。 「でも…私がいないのに気付いたらどう思うかな…」 静かになってよかった、と思われるだろうか。それとも…。 「心配してくれるのかな…。ちょっとでも寂しいと思ってくれるのかな…」 「アンジェリーク…」 「オスカー様?」 ノックの音がしてアンジェリークはドアを開けた。 「どうしたんですか? こんな夜中に…?」 仕事帰りの彼がアンジェリークの部屋を訪ねることは珍しい。 たいてい彼の仕事が終わるのは夜遅いからだ。 いつも気遣ってくれていた彼の訪問にアンジェリークは問いかけた。 「…レイチェルから話を聞いた」 「そう…ですか…」 アンジェリークはアイスブルーの真っ直ぐな瞳を困ったように見つめ返した。 「…だったら話は早いですね…。私、帰ります。 戻って薔薇の世話しないと。せっかく咲き始めたのに駄目になっちゃいます」 できるだけ明るく、微笑んでみせる。 しかしそれが通用するほど彼は甘くない。 「それだけが理由じゃないだろう?」 少女の両肩に手を置き、瞳を覗き込むように身を屈めた。 「…オスカー様…」 普段の冗談混じりで場を和ませてくれる彼ではない。 真剣な表情にアンジェリークは誤魔化しで帰ることはできないと悟った。 「私…帰りたい…。レヴィアスが好き、です…」 震える声で、少女の方がよほど辛そうな顔でそう告白した。 「戻って…どうするんだ?」 「…………それは…」 彼のもとへ戻ったからといって、まだまだその先に不安はいくらでもある。 「きゃっ…」 思案していたアンジェリークはふいに抱きしめられ、声を上げた。 「オスカー様?」 「俺では駄目なのか…? アンジェリーク…」 強い抱擁にアンジェリークは戸惑い、抵抗しようとした。 「なぜ吸血鬼なんかを…」 苦しげな呟きにアンジェリークの心も痛む。 「理由なんか分からない…気付いたら惹かれてました」 いつの間にか彼なしの生活は考えられなくなってしまっていた。 「ごめんなさい、オスカー様…」 泣きながら腕の中で謝罪を繰り返す華奢な少女を見下ろし、 こんな姿が見たかったわけではないと苦く思う。 「…やはり城になど行かせるべきではなかったな…」 攫って逃げてしまえばよかった。忠誠心と恋愛感情の狭間で迷ったりせずに。 自分の気持ちに正直に動くべきだった。 彼女が城に行ってから押し寄せる感情は後悔ばかりだった。 もう後悔はしたくないという思いと、もはや遅いかもしれないという自分には珍しい 弱気な思いが入り混じる。 腕の中から逃げようとしていた少女をさらに強く抱きしめた。 「オスカー様…離して、くださいっ」 捕らえられた仔ウサギのようにじたばたともがく少女が哀しかった。 ほんの少し前までは…城に行く前は… 幼さゆえかオスカーの腕の中でも緊張することなく、無邪気に微笑んでいたのに。 今、彼女の表情に微かに混じっているのは怯え。 アンジェリークは男の腕を知っている。 もう何も知らない少女ではない、と直感で分かった。 その証拠にふとした拍子で露わになった首筋には牙の痕ではなく、甘い痣。 「や、オスカー様っ……レヴィアス!…」 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 宴が間もなく終わろうとしている頃、彼は1人テラスに立っていた。 広い室内の中で話している3人…事実上この世界のトップ達を眺めながら。 『なぜ、俺にそんなことを?』 炎のような気性を秘めた青年の言葉と眼差しが思い出される。 「本当に…なんとなく、だよ。面白くなりそうだから…ただ、それだけのはずだった」 誰にともなく呟いた。または、自分に言い聞かせるように。 少女に想いを寄せる人間の男に、協力的な一言をやったのはただの気まぐれ。 そう思いこもうとしていた事を彼の問いに気付かされた。 彼が少女を攫ったならば、あの人はどうするだろうか…。 それを知りたかった。 大事なものを横取りされて…それでもあの涼しい顔を平気でしているようなら…。 「統治者だろうと関係ない…。あのコは僕がもらうよ」 不思議な少女だった。 初めて、獲物としてではなく人間に興味を持った。 純粋に魔族を愛せる人間。 自分が知っている限りでは同じ名を持つ金の髪の少女だけだった。 あの海色の瞳が映すのは自分でありたい。 同時に相反する気持ちも存在した。 欲しいものを目の前にしておきながら、なかなか手に入れようとしない彼。 魔族の本性は少女のすべてを欲しいはず。 そして彼ならば、永遠に彼女の身も心も手に入れることができる。 なのに、いつまでままごとを続ける気なのか。 「…らしくない貴方は見たくない…」 いつものように不敵な表情で好きなようにすればいい。 彼女もそれを望んでいる。 思うままに動けない彼など見たくはなかった。 「あら、セイラン。お帰りなさい」 風に当たってくる、と人込みを避けていた青年に金の髪のアンジェリークは微笑んだ。 「お別れの挨拶かしら?」 大半の者が彼らに挨拶をして、すでに城を去っている。 「珍しく最後まで残っていたな。彼に話があるのか…?」 いつも見透かしたようなクラヴィスの言葉に彼は肩を竦めた。 「…お見通しってわけですね」 「なら私達、席を外すわよ?」 「別にかまいませんよ」 そしてセイランはレヴィアスをじっと見た。 「…オスカー、でしたっけ。…彼に貴方の不在を告げました」 傍らの少女が微かに表情を変えた。 レヴィアスは相変わらずな様子で続きを促した。 「………それで?」 「貴方があちらの城に戻った時に彼女はいないかもしれない」 十中八九、少女はいないだろう。誰もがそう思った。 「貴方がどうするのかを知りたい。 あのコを必要だと思うならさっさと仲間にすればいい。 要らないというのなら僕がもらう」 「なるほど…」 挑戦的な言葉にレヴィアスは面白そうな冷たい笑みを浮かべる。 それに負けずセイランも綺麗な皮肉げな笑みをみせる。 「らしくない貴方をこれ以上見たくはないんですよ」 「…行っちゃったわね」 「貴方が行かせたのでしょう?」 セイランは苦笑混じりに金の髪の少女を見た。 『後のことは私達に任せて行ってらっしゃい。 どうせ宴もほとんど終わりだし。問題ないわ』 そう言ったのは確かに少女だった。 「だが、ああでも言わなければ行かなかっただろうな…」 人間と同族とに宣戦布告され、責任を果たして、やっと重い腰を上げた。 「あなた、いいトコあるじゃない」 エメラルドの瞳で楽しそうにセイランを見る。 「レヴィアス…私がいくら言っても動く気なかったのに」 「何を言ってるんですか、姫」 見直したわ、と笑う少女に彼は微笑む。 「確かに彼に動いてほしかったという気持ちもありますけどね。 あの子が欲しいという気持ちも本当ですよ」 彼が動かなかったら本当に自分が行っていた、と臆面もなく言ってのける 青年にアンジェリークとクラヴィスはすぐには何も言い返せなかった。 「彼をたきつけるための嘘だと思ってたわ…。 まさか本気だったなんて…」 「とんだ怖い者知らずだな」 あの場で引き裂かれてもおかしくない状況だった。 王たる人の想い人を奪うと宣言したのだから。 「まぁ、しばらくは傍観者でいようと思ってましたから。 だから見逃してくれたんじゃないですか?」 永遠の生命を持つからこそ考える自分の死に様。 命に執着心などないから生き方にこだわる。 「つまらない時間を過ごすくらいなら、危険でも自分に正直に生きますよ」 だから、得てして魔族は己の欲望のままに動きやすい。 「貴方達のように自分の生き甲斐が相手にあれば そんな事は考えないのかもしれませんけどね…」 「あら、私だって自分に正直よ。欲しいから手に入れた」 隣の長身の彼を見て、にっこり微笑む。 「…そうですね。貴方にはこっちの世界が似合っている」 欲しいものは欲しいと、やりたいことはやりたいと。 思うままに振る舞っているのに、それが可愛いわがままとして周りに受け入れられる。 「もう1人のアンジェリークは…どうなのだろうな」 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 開いたままの門。置き去りにされた庭仕事の道具。 誰もいない部屋は少し前なら当たり前の光景だった。 なのに今は違和感を感じる。 念の為にと立ち寄った静かな城で思い知った。 「アンジェリーク…」 彼女の居場所はわかっている。自分を呼ぶ声が聞こえる。 「オスカー様っ……痛…」 自分の腕を掴む力が今までの優しい彼とは比べ物にならなくて、それが怖くて 泣くしかなかった。力では敵わない。 それでもこんなのは嫌だと首を振る。 「どうして…あいつは受け入れられて…」 自分は駄目なのだ? 醜い嫉妬だと分かってはいるが止められなかった。 少女が悪いわけではない。責めるのは筋違いだと分かっている。 「やっ…」 唇が重ねられる寸前、甲高い音が部屋中に響いた。 微かな月明かりを受けてガラスの破片がきらきらと輝きながら床に零れ落ちていく。 とっさに破片で怪我をしないようにオスカーは少女を庇った。 壊された窓の外に浮かぶ人影。 「レヴィアス!」 アンジェリークはオスカーの腕から抜け出し、窓から飛び出した。 ここは3階で、それは危険なことだと思いもしなかった。 彼が受け止めてくれると確信していたから。 「アンジェリーク…」 「レヴィアス…レヴィアス…」 抱き止めてくれた彼の胸でただその名を呼び続ける。 「我のものだ。返してもらおう」 黄金と翡翠の瞳で彼を見下ろし静かに言った。 そして、さらに力を振るおうとしたレヴィアスに気付き、アンジェリークが その腕に抱きついた。 「だめっ…。これ以上大きな騒ぎにしちゃだめ…。 それに、オスカー様は悪くないの…」 「…だそうだ」 レヴィアスは部屋の中で恐れることなく自分を睨みつける青年に冷たく微笑んだ。 「命拾いしたな」 「……っ」 その冷酷な瞳に冗談ではないということは肌で感じた。 さらに剣さえ持っていないこの状況では圧倒的に不利である。 彼の言葉は真実だと認めざるを得ない。 「次は命の保証はないぞ。アンジェリークが止めたとしても、だ」 2人の姿が消える直前、アンジェリークが必死な表情で言った。 「ごめんなさい、オスカー様…」 もう私のことは忘れてください、と。 アンジェリークが零した涙がガラスの破片同様、月の光に輝いていた。 〜to be continued〜 |
やっと、お迎えにあがりました。 そして、オスカー様…ごめんなさい〜…。 本当はもうちょっとオスカー様を 暴走させるつもりでしたが、私が 怖気づいた為、あの程度に…(苦笑) |