花葬 〜flower funeral
chapter 9

城に戻ってからもアンジェリークはレヴィアスに抱きついたまま
離れることができなかった。
レヴィアスは少女が落ちつくまでしゃくりあげる華奢な身体をそっと包みこんでいた。
「…痩せたな…」
「…そう?」
涙に濡れた瞳を上げてアンジェリークは首を傾げた。
「自覚はないんだけれど……きゃっ?」
頬に残る涙を傍らにいた銀狼がぺろりと拭ってくれる。
「ふふ…くすぐったいよ…。でも、ありがと」
主人よりも素直に感情を表す金と翡翠の瞳を覗きこんでふわりと微笑む。
銀の毛並みを撫でると答えるように短く吠えた。
「こいつの方がお前を慰めるのが上手いようだな」
「レヴィアスったら…」
苦笑気味な彼の言葉にアンジェリークも笑みを零す。

「今更だけど…おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
きゅっと抱きついて彼の胸に顔を埋める。
離れていた分を取り戻すように触れていたかった。
そんな子供のような甘えを彼は優しく受け止めてくれる。
抱きしめてくれる腕と髪を撫でてくれる手にほっとする。
「戻って来れてよかった…」
安堵の溜め息と共に吐き出されたセリフは意図しなくても
今までの不安を容易に伝えてしまう。
「すまなかった」
「………え?」
一瞬なんのことを言われたのか分からなくて…
なぜ彼が謝るのか分からなくて、数秒経ってからアンジェリークは聞き返した。
謝られるようなことはされてないはずだ。
「レヴィアス、なんにもしてないじゃない…?」
「だから、だ」

きょとんとするアンジェリークを抱き直してやりながら、レヴィアスは白状した。
「我の留守中、このような事態が起こる事を考えなかったわけではない…。
 結界を張るなり術を施してから出かければ、お前が攫われる事はなかった」
たとえセイランの一言がなかったとしても、長い留守中にオスカーが
城を訪れることは危惧していた。
「だが何もせずに出かけた。
 出かける直前、やはりなんらかの対策をしていくべきかとも思ったがな…」
しかし、思うだけにとどめておいた。
「あ…だからあの時のレヴィアスちょっと変だったのね」
突然のキスに誤魔化されちゃったけど…とアンジェリークは頬を染めた。
「でも…それはレヴィアスが悪いわけじゃないわ…」
自分に隙があったからだ。
オスカーの邸に連れていかれた時も、帰ろうと思えば帰ってこれたのだ。
親しい人々を悲しませることを気にしなければ。

「だが…我は試すような真似をした。結果的にお前を泣かせてしまった」
「試す…?」
アンジェリークは彼に凭れていた身体を起こし、
照明のついていない薄暗い部屋の中、月明かりが照らすその顔を覗きこんだ。
もちろんそんなことぐらいでは彼の考えなど読めるはずもないが…。
「私を…?」
所詮アンジェリークは人間。
やはりいつかは人間のもとへ帰ってしまうだろう、とでも思われたのだろうか。
城に残るか村へ戻るか…試されたのだろうか…?
まだ…信頼されてない?
そんな風に考えてアンジェリークは表情を曇らせる。
「お前じゃない」
少女の表情が分かり易すぎて、彼は即否定した。
「お前のことは疑うべくもない」
常にあれだけ純粋に懐かれればそんな考えは浮かばない。
その言葉に少女はほっと胸をなでおろす。
「じゃあ…なにを?」
彼の考えていることは時々ややこしくて分からない。
アンジェリークは答えをねだるようにレヴィアスを見つめた。

「自分自身を、だ…」
レヴィアスは小さく溜め息をつきながら答えた。
「レヴィアス…?」
「アンジェリーク…お前を愛してる」
「え…あ、…えーと…ありがとう…」
唐突な告白にアンジェリークは真っ赤になってうろたえる。
彼女から彼に向かって言うのはさほど珍しくもないが
彼からはっきりとこう言われるのは初めてである。
「だが…」
自分が少女に惹かれているのは自覚している。
愛しいと思う。
しかし、時折その自分の気持ちにさえ疑問を覚えてしまう。
「そんな自分が一番信用できない」
「…?」
「お前を仲間にして共に永遠に過ごせたら、と考えなかったわけではない」
「だったらそうしてくれて良かったのに」
彼女がそう希望しても彼は聞き入れてくれなかったではないか。
不思議そうにアンジェリークは首を傾げて続きを待った。

「…我はかつて人を愛した」
彼の苦しそうな表情にアンジェリークも辛くなってしまう。
「エリスさん、だね…」
「なぜその名を?」
「ん、ちょっとね」
微かに驚きを混じらせた瞳にアンジェリークは微笑んで濁してしまう。
「あとで話すよ。先にあなたの話聞いちゃおう?」
話というほどでもないがな、と彼は呟いた後に続けた。
「愛していたはずだが…結局はすれ違いで終わった。
 もう二度と人を愛することはしないと誓った。
 彼女以上に愛せる者などいないと思っていた」
「………」
分かってはいたけれど、彼の口から他の女性の話を聞くのは胸が痛んだ。
彼にこんなに愛された人がいた。
過去のことなのに内心穏やかではいられない。

「誰も愛さないと心に決めていたはずだった。
 なのに我は今、お前を愛してる。…エリス以上に」
アンジェリークははっと俯いていた顔を上げる。 
それは自らに課せた誓いを破った彼なりの最上級の告白。
「レヴィアス…」
「だからお前を仲間にすることを躊躇った。
 …確かに今はお前のことを想っている。
 だが今回のことにより未来にまで自信を持てない」
エリス以外の者を心に住まわせるなどありえないと思っていたのにこの現状。
アンジェリークに永遠の生命を与えてから、気が変わったではすまされない。
「お前の人生を狂わせる」
「………」

「…一度離れるのは良い機会だと思った。
 一時の気の迷いなのか、真実お前を求めているのか見極めようとした」
オスカーとレイチェルにも同じことを言われたな、と昔の事のように
思い出してアンジェリークは頷いた。
「それで…どうだった…?」
穏やかに尋ねる少女の瞳に促される。
認めてしまった以上、もはや隠すつもりはない。
「お前を誰にも触れさせたくない」
「そっか…」
ほっとしたようにアンジェリークは微笑んだ。
「永遠の生命を疎ましく思ったのは初めてだ…」
レヴィアスが柳眉を顰めてそう呟くのをアンジェリークはただ見つめていた。 
「せめて人間のように寿命があったのならここまで迷わない」
遥か遠くの未来のことなど考えず、その場の感情に従えるのに。

強く抱きすくめられて、彼の気持ちが嬉しくて、アンジェリークはくすくすと笑った。
「長生きしてるとやっかいねぇ…。難しく考えちゃって」
その言葉に宴で似たような事を言われたな、と今度はレヴィアスが思い返した。
「色々と見てきたからな」
吸血鬼が人間を同族にするのは実は珍しいことではない。
興味本位でおもちゃのひとつとして作ることもあるし、
本気で惹かれて永遠を望むこともある。
しかしそのほとんどが最終的には破滅の道をたどる。
最初はただのおもちゃだろうと、力を付ければ歯向かうことを覚える。
愛し合っていようと、永い時を過ごせばその想いがすれ違うこともある。
基本的に気に入らなければ消してしまえ、というのがセオリーなこの世界。
結果的には殺し合いで終わる事の方が多い。
「極端だね…」
レヴィアスの話を聞きながらどこかのんびりした様子でアンジェリークは呟いた。
「そうか?」
「愛してたのに殺したくなるの?」
「だろうな。過去の例が多い。
 愛憎が紙一重なのは人間も大して変わらないだろう」

「レヴィアスも?」
彼の首に腕を回したまま平然とアンジェリークは問う。
「だって迷う理由はそれなんでしょう?」
今彼は愛してくれているが、心変わりしてしまえば
自分は邪魔にしかならないのだろう。
レヴィアスは少女の率直な質問に苦笑する。
彼女は永遠を共に生きたいと主張する反面
自分の命に無頓着な印象を時々受ける。
「永い時を経て…お前に興味をなくす自分など見たくない。
 また、心変わりしたお前を目の前にしたら殺したくなるかもしれんな」
「………」
「他の誰かにやるくらいなら我だけのもののまま眠らせてやる」
言葉はとてつもなく物騒なのに、感じられるのは深い愛情で…
アンジェリークはつい笑ってしまう。
「仲間にしておきながら、その手で殺すのかもしれないのだぞ?
 お前の人生を狂わせてしまうと言っただろう」
なぜ少女が笑い出すのか分からないという表情でレヴィアスは言った。
「レヴィアスったら優しすぎるわ。
 私の人生全部背負う必要はないのよ?
 どんなに多くても半分でいいの。私の人生なんだから」
アンジェリークは花のような笑顔のまま答えた。


「私はレヴィアスが好き。レヴィアスも同じ気持ち。
 だったら一緒にいればいい」
「ずいぶんと簡単に言うな…」
「もし私があなた以外の人を好きになったら殺してほしい」
それほどまでに愛されてるならむしろ嬉しいと笑みすら見せる。
「アンジェリーク…」
「後悔はしないと思うわ。
 まぁ、そんな事態は起きないと思うけどね」
やけに自信たっぷりにアンジェリークは胸を張る。
彼に会うまでは…自分は生きているとは言えなかった。
後悔に縛られて死に場所を探していた。
まさかそんな自分が永遠の生命を望むなど思ってもみなかった。
そこまで自分を変えたのは彼だ。
「それにね…」
いたずらっ子のような表情でアンジェリークは言う。
「浮気させないように頑張ればいいのよ。私もレヴィアスも」
「…努力しよう」
レヴィアスはふっと微笑んだあとに頷いた。

冷たい手が柔らかい頬をなぞり、細い首筋にかかる。
不思議と恐怖は覚えなかった。
「約束しよう。お前が我以外の男に惚れたならこの手で眠らせてやる。
 その代わり、我がお前に興味をなくした時はお前が我を殺せ」
「え…?」 
目を丸くしたアンジェリークはしばしその端整な真剣な顔を見つめ、
それから嬉しいような困ったような、複雑な表情で微笑んだ。
「ふふ…そしたら私、魔族全員を敵にまわすことになるわね。
 なんとしても浮気させないようにしなくちゃ」
「そういうことだな」
小さく笑んで見つめ合い、互いに命懸けの愛を誓って口接けた。




しかし…
「どうしてー?」
朝を迎えた城にアンジェリークの声が響く。
ここ数日、続いているやりとりだった。
「あんなこと言ってたのに、どうしてまだ仲間にしてくれないの?」
銀狼を抱きしめたアンジェリークは頬を膨らませてレヴィアスを見上げる。
同族になることに彼も納得してくれたのだと思った。
なのにいまだに人間なままの生活が続いている。
「いずれな」
「もう…そればっかり。あなたもご主人様になんとか言ってよ」
抱えた銀狼の瞳を覗き込み、アンジェリークは呟く。
いままでアンジェリークに銀の毛並みを梳いてもらっていた彼は
尻尾をぱさりと振って反応してくれるが、賛成なのか反対なのかいまいち分からない。
「そいつは基本的には我と同意見だ」
そっけないレヴィアスの言葉に「味方じゃないの?」と銀狼を見つめる。
これにもまた尻尾を振ってどちらかわからない答えを返し、
ブラッシングの終わった彼は歩いていってしまう。
「ご主人様と同じでマイペースなんだから…」

膨れるアンジェリークを見ながらソファで読書をしていたレヴィアスは苦笑する。
「吸血鬼になれば成長は止まるぞ」
「うん…?」
「もう少し成長してからの方が良いだろう?」
「うん………あれ?」
頷きかけて、はたと気付いてアンジェリークはレヴィアスに詰め寄る。
「ひどいっ、レヴィアス。それは…やっぱり…レヴィアスに比べたら
 ずっとずっとお子様だけど…。そこまで子供じゃないもんっ」
「そうか?」
他愛無い冗談に噛みついてくるあたり、まだまだとも思えるが…。
「子供じゃないもん…」
間近で絡んだ視線に引き寄せられるように唇を重ねた。

「まぁ…我も子供相手にここまではしない。本気にするな」
どこか可笑しそうな綺麗な顔をアンジェリークは頬を染めてじっと睨む。
ぐったりと力の抜けた身体を彼に預け、潤んだ瞳では効果はまるでないが。
「〜〜〜レヴィアスのいじわる…」
さらさらの栗色の髪の一房を弄び、そんな抗議を受け流した
レヴィアスは唐突にアンジェリークに尋ねた。
「なぜお前に白いドレスを着せているか…分かるか?」
「…?」
アンジェリークは突然の問いかけに素直に考える。
言われてみれば城に住み始めてから彼が用意してくれたドレスは
デザインはたくさんあったがどれも真っ白だった。
「…白が好き、だから…?」
理由なんか思いつかないから間違っているのを百も承知で答えてみる…
が、すぐに自分で却下した。
「…なんてわけないよね…」
彼の全身黒尽くめの装いを見れば分かる。

「降参」
アンジェリークは首を振って、逆に聞き返した。
「お前に似合う色で、我に最も似つかわしくない色だからだ」
「それって……?」
どういう意味かとアンジェリークは目を見張る。
「所詮相容れぬものだと…正反対のものだと…。
 自分への戒め代わりにな」
「…………」
アンジェリークは黒衣の上に広がる白いドレスを見つめた。
「…白と黒のコントラストは素敵よ?」
互いを引き立て合う。食い下がるように言い返すとレヴィアスは肩を竦めた。
「心配するな。己への警告ももはや無意味だと悟った。
 おそらく最初から無駄な抵抗だったのだろうな…」
距離を置こうとしても少女の方が離れなかった。
今ではそれを当然の事と受け止めている。

「レヴィアス…」
呼ぶ声に彼は目線だけで答える。
「大好きよ」
「分かっている」
レヴィアスの返事にアンジェリークは不満そうに見つめる。
「この前散々言ってやっただろう」
「…いつでも言ってほしいものなのよ。減るもんじゃないんだし、いいじゃない」
照れるガラでもないだろう。
「有り難みが減る」
不敵に微笑むその姿も見惚れるくらい素敵で…
頬を包みこむ手も重ねられる唇も優しいから、結局敵わない。
「私ばっかり言わせて、ずるい」
アンジェリークは諦めの溜め息をついたけれど、
それでもその口元には笑みが浮かんでいた。


                               〜 to be continued 〜



一応、今回甘くなるよう努力しました。
エリスに関すること以外は
白状してもらおうと思ったんですけど…
どうでしょうね…。
なんだか上手く書き表せなかった気もします。
かなり複雑な気持ちを抱えてるんでしょう、彼は。
原因の大半は私の修行不足ですが
彼にも責任はあるはず!(苦笑)