Shining Star
- 輝ける星 -
セイラン達と別れたアリオスはアンジェリークの部屋に向かう途中でレイチェルに会った。 レイチェルは夕食の席にも出てこなかった少女に夜食を持っていった帰りである。 「あいつは?」 「なんとか食事はとってくれた。 なんか……すごく塞ぎこんでたけど…話してもらえなかった…」 少女は苦しそうに言った後、キッとアリオスを見上げた。 親友思いの眼差しがぶつかる。 「もう、監督があんな言い方するからダヨっ」 「言われるだけのことを先にあいつが言ったんだ。 撤回するつもりはねぇ」 レイチェルの抗議をアリオスは軽く受け流した。 「ただ……一つだけ許せる部分があった。 あいつはそれでもこのドラマだけは演じ切ると言った」 「アンジェは無責任な子じゃないもの」 「だから様子を見に来た。 俺があいつの話を聞いてやる」 「監督……。…アンジェをよろしくお願いします」 頼りになるその自信に満ちた表情にレイチェルは頭を下げた。 ずっと彼女を支えてきた彼ならなんとかできそうだと思える。 そして、アリオスはアンジェリークの部屋を訪れたが少女は不在だった。 運良く窓の向こう、何気なく入った視界に外へ出ていく少女の姿が映った。 アリオスは迷わずに少女の後を追った。 林を抜けて湖沿いをゆっくりと歩いて行く。 月の綺麗な夜だった。 「この辺は星の光もけっこう強いですね。道を照らしてくれる。 都会ほど明るくないからかな」 アンジェリークは夜空を見上げながらポツリと呟いた。 「なんだ、ちゃんと気付いてたのか。 動かねえから寝てんのかと思ったぜ」 「監督ったら……」 アンジェリークは一瞬だけ彼に視線を向け、くすりと微笑むとまた夜空を見上げた。 その横顔がやけに遠く感じた。 「今ね……独りになりたくてここに来たのに…。 来たら来たでちょっとだけ寂しくなってきちゃったところなんです。 アリオス監督はお散歩ですか?」 「お前に話があって来た」 アリオスの真剣な表情にアンジェリークは緊張した面持ちで彼を見上げた。 「昼間はごめんなさい……。 明日はちゃんとやりますから」 「できるのか?」 「できるようにします」 「で、今回だけ無理して……。 その後は引退ってわけか?」 「……そのつもりです。私、役者を続けられない…。 致命的欠点を見つけたうえに直せない」 俯いた拍子に栗色の髪がさらさらと零れた。 アリオスに指導を受けて今まで頑張ってきたのに。 一人前になれたら告げたい言葉があったのに。 それが悔しかった。 「ラブシーンが出来ねぇって?」 はっとアンジェリークが顔を上げた。 「分かるに決まってんだろ」 この地に来てアリオスからランディとアンジェリークにそういうシーンが追加されたと聞いた。 彼女のNGが増えたのはそれからである。 『俺としてはなくても構わなかったんだがな…… スポンサーが数字取るために押し切りやがった』 アリオスが眉を顰めながら二人に告げたのである。 ただでさえ注目されるキャストなのにさらに見所をということで 『アンジェリーク・コレットの初ラブシーン』というあおりを入れることに決まったのだ。 「今までみたいに恋する役なら出来るんですけど……」 アンジェリークの『恋する少女』は好評だった。 初々しさと可愛らしさと女性らしさが同居していて。 しかし、実際にそのシーンを演じるとなると身体が動かなくなってしまう。 「ラブシーンできない役者なんて……役者失格です」 アンジェリークは瞳を伏せた。 「今まで監督にはとてもお世話になったのに……」 「役者を諦めるのか。 その程度のもんだったのか?」 静かな声に責めを感じながらもアンジェリークは頷いた。 「お芝居に対しての気持ちが『その程度』だったわけじゃない……。 ただそれ以上に好きな人の方が大きかった。 その人以外とはそういうことできない……だから役者は続けられないって思ったんです」 望まれて素質もあって……それなのにたった一人の男の為に それを捨てると言い切る少女と相手の男にアリオスは苛立ちを覚えた。 「お前に男がいたってのは初耳だな」 オスカーだろうか。セイランだろうか。 少女と特に親しい人物は限られるがそんな気配はなかった。 よく今まで隠し通せたな、と皮肉げな笑みが浮かぶ。 そんなアリオスにアンジェリークは真っ赤になって首を振った。 「ち、違いますっ。 その人は私の気持ち、知りもしません。 言ってないですから」 「は? 付き合ってもいねぇ、ただ好きだっていうヤツのために仕事を捨てるのか?」 迷わず頷く少女にアリオスの苛立ちはさらに高まる。 その感情が何かなどとっくに気付いていた。 ただ認めたくなかった。 磨けば光り輝く原石だと気付いて育てていた。 まさか一回りも年下の子供に本気で惹かれるとは思ってもいなかった。 女に不自由しない自分には嫉妬など縁のないものだと思っていた。 それなのに……芝居とは言え、他の男に好きだという少女は見たくなかった。 見たくはないが、仕事だからと自分の感情は捨てて監督を務めていた。 そんなアリオスの感情など知る由もなく、アンジェリークは話を続けた。 「やっぱり……好きな人としかしたくないです。 お芝居だからって自分を納得させようとしたんですけど無理でした。 ランディさんのこと、嫌いじゃないです。 好きですけどキスシーンはできない…。 だから私は役者失格です」 ふわりと微笑む少女の純粋さが眩しく、同時に汚したい衝動を抑え切れなかった。 今まで守ってきたものを自分で壊す矛盾に気付きながらも止められなかった。 「キスぐらい慣れればどうってことねぇよ」 「え?」 わけも分からず抱き寄せられた少女の顎を持ち上げ、月光に輝く桜色の唇を奪った。 「っ…アリ…」 驚いて逃げようとする少女を腕の中に閉じ込めて、再度唇を重ねる。 酸素を求めるように顔を背けるのを追っては戸惑う舌を絡める。 次第に彼女の身体から力が抜けていった。 「アリオス、監督……どうして…こんな」 長い時間をかけてから解放され、呼吸を乱しているアンジェリークは涙を滲ませて彼を見上げた。 どうして急にこんなことをするのか分からない。 彼からのキスはきっと嬉しいと思っていたのに、突然すぎて自分の気持ちも分からない。 「好きなヤツとじゃなくてもこんな激しいのできたじゃねぇか」 「なっ……できたって…監督がしたんじゃないですかっ。 ……私、はじめてだったのに…」 「それは悪かったな」 少女の言葉にアリオスの所有欲がわずかに満たされる。 「だったらなおさら大丈夫だろ。 好きでもない男と初めてであれだけできれば十分だ。 どうせ今回のは触れるだけのお子様キスだからな」 びくりとアンジェリークの肩が震えた。 「慣れたら……好きでもない人とできちゃうの…?」 たった今、彼が自分にしたように……? 見上げる潤んだ瞳にアリオスは我ながら屈折していると思いながら口の端を上げた。 「なんなら慣れるまで教えてやっても良いぜ?」 「そこまでして…… 私に役者をやめさせまいとしてくれるのは嬉しいですけど…」 鈍いアンジェリークは困ったように微笑んだ。 ここまで来て「もしかして」と思いつかないあたりがアンジェリークなのだが…… 普通以上の愛情を向けられていることに気付く気配はまったくない。 「監督がいくら教えてくれても…… 例え慣れてもお芝居はできないです…」 「そうかよ……。 そこまで想われてるやつは幸せだな」 皮肉げに笑うとアリオスは言った。 「どうしてもやめるって言うならもう止めねぇ。 好きにするんだな」 遠く離れていくアリオスの背中をアンジェリークは見つめていた。 少しの間、動けない代わりに頭を必死に働かせた。 今まで世話になってきた彼には本当のことを言うべきだろうか。 それとも言わずにこのまま離れて二度と会わない方が良いのだろうか。 本当は一人前の役者になって、少しでも彼に近づけたら言うはずだった。 今言っても良いのだろうか。 でも、きっと今が最初で最後のチャンス。 話しかけてくるような月と星の光に勇気をもらう。 震える唇をきゅっと噛み締めて、そして彼を呼び止めた。 「アリオス監督」 「なんだよ?」 振り返る彼の姿に見惚れてしまう。 「今まで本当にありがとうございました。 そして今日もここまでして引き止めようとしてくれて……。 でもダメなんです。 監督に教えてもらって慣れたとしても……お芝居には役立たないんです」 「………………」 一呼吸置いてアンジェリークは一番伝えたい言葉を口にした。 「私が好きなのは…アリオス監督なんです。 だからいくら慣れても……好きでもない人とする練習にはならない……きゃっ?」 ふいに強く抱き締められてアンジェリークは最後まで言えずに小さな悲鳴を上げた。 「アリオス…監督?」 アンジェリークは心臓が飛び出そうなほど驚きながら呆然と呟いた。 ドラマのワンシーンみたいにこんな風に彼に抱き締められること…… 夢に見ていたが現実に起こるとは思ってもみなかった。 「まさか、そうくるとはな……」 アリオスは苦笑しながら少女の耳元に囁いた。 「お前にはやられたぜ。 この俺が振り回されるとはな」 少女に想う人物がいると知った時にはその誰かに嫉妬した。 いつからか自分が少女を側で見守っていくものだと思っていた。 自分以外の誰かに譲る気はなかった。 気付けば狂おしいほどの愛しさを抑えきれなかった。 初めてアンジェリークを見た時、監督として惹かれたのか、男として惹かれたのか、もう分からなくなっている。 両方だったのかもしれない。 「え? え?」 いまだに混乱状態の少女の頬にそっと手を添え微笑んだ。 「降参してやるよ。アンジェリーク。 ……愛してる」 「……ホントに…?」 じっと覗き込む海色の瞳にアリオスは頷いた。 「誰よりも愛してる。 誰にも触らせねぇ」 「監督……」 長身のバランスの良いスタイルも、夜が似合う艶やかな銀髪も、魅力的な表情も、 自分には手の届かない月や星のようなものだと想っていた。 いつも綺麗な大人の女性が近くにいるから叶わない夢だと思っていた。 「アリオス監督……」 嬉しくて泣きながら広い胸に抱き付いた。 「これからはアリオスでいい」 「アリオス……?」 頬を染めながら見上げ、ちょっと躊躇って囁く少女がたまらなく可愛らしい。 アリオスは間近で視線を絡ませ、今度は静かに唇を重ねた。 「……ん…」 アンジェリークも今度は逃げずに彼の首に腕を回した。 「あのね……恋する少女の演技ができたのは アドバイスもらったおかげもあるからだけど……アリオスのこと好きだったからなの」 アリオスを相手に自分が素直に気持ちを出しても良いのなら……。 きっとこうするだろう、と思って演じていた。 「なんだよ……。 ってことは…」 セイランに向けていた、きらきらとした輝くばかりの表情は自分に向けられるはずのものだったのだ。 それに気付かず嫉妬し、その気持ちを隠していた自分はたいした道化である。 「?」 「気にすんな」 何を言いかけたのだろう、と首を傾げる少女にアリオスはキスを仕掛けて誤魔化す。 キスの合間にアンジェリークは真っ赤な表情で言った。 「お芝居教えてくれたみたいに……これからも教えてくれる?」 まだどう応えて良いかもわからない少女の精一杯のおねだりに アリオスはふっと笑みを零した。 「いくらでも教えてやる。 楽しみにしてろよ?」 月明かりが照らす室内でアリオスは机に向かっていた。 ノートパソコンを扱っているが、部屋の明かりはつけていない。 傍らにあるベッドの中の少女の眠りを妨げるつもりはなかった。 裸の肩に布団を掛け直してやり、眠る少女の額に唇を落とした。 「明日……楽しみにしてろよ?」 ☆ ☆ ☆ 一ヶ月後…。 例のドラマは放送され、予想を遥かに上回る反響を呼んだ。 当初の予定ではアンジェリーク演じるヒロインとランディ演じる幼馴染との恋物語だった。 友人以上恋人未満の関係がセイランやオスカー演じる少し年上の男の登場で 劇的に変わる、というありがちと言えばありがちな話だった。 しかし撮影が終わってみれば……。 「アリオス監督っ。五年ぶりの役者復帰の理由は何ですか? 話題になっていたアンジェちゃんの初ラブシーンの相手が監督だとは 皆驚かされましたよ?」 「必要にかられて、だ」 サラの問いにアリオスは不敵に微笑んだ。 本当はアンジェリークを巡って繰り広げられる明るいコメディ風のラブストーリーだった。 だが実際に編集してみれば終盤のおいしいところを 突然現れた謎の青年が持っていってしまっていた。 もちろんその謎の青年は監督であるアリオスである。 「職権濫用って言わない…?」 一晩でストーリーを軌道修正してしまった彼にアンジェリークは首を傾げた。 対してアリオスはインタビューの時には見せない柔かな瞳で微笑む。 「かまわねぇよ。 俺の復帰でスポンサーも十分得してるしな」 「そうか……。でも、私も役者のアリオスが見られるのは嬉しいよ。 いつかアリオスと共演してみたいって思ってたから……」 可愛いことを言ってくれる恋人の肩を抱き寄せ、アリオスは宣言した。 「俺以外の男とラブシーンなんかやらせねぇからな」 「アリオスったら」 アンジェリークはじゃれるようなキスにくすくすと笑う。 まさかそれが本当のことになるとは思ってもみなかった。 〜 to be continued 〜 |