Shining Star
- 生まれたての星 -
レイチェル主演のドラマの監督をしている以上、レオナードはレイチェルのスケジュールを把握している。 それはつまり彼女の同級生であるアンジェリークのスケジュールも把握していることになる。 レオナードから彼女の時間割を手に入れたアリオスは アンジェリークが比較的早く帰宅する日を狙って学校へと向かった。 (なんつーか……これって一歩間違えるとヤバくねぇか…?) アリオスは自分自身に突っ込みつつ、車の中から外を眺めた。 校門から出てきた生徒達が散らばっていく。 その中でもアリオスが注意して見ていたのは駅へと続く生徒達の流れ。 アンジェリークはそこにいるはずである。 あからさまにやったら不審人物なことこのうえない作業。 気を紛らわせようとアリオスはタバコを取り出し、火をつけた。 (それでも……俺が撮ってみたいと思っちまったからな…) 一度で良い。 あの笑顔をスクリーンに映してみたい。 監督特有のわがままと言われてしまえば、その通りなのだが。 アリオスはその直感に従って、失敗したことはない。 「……来た」 まだ長いタバコを揉み消して、サングラスをかける。 世間に顔が知られているので、素顔で歩き回るのはあまり得策ではないと踏んだためだった。 近付いてくる少女を視界に捉え、車を降りた。 「よぉ」 「あ…」 前方に停めてあった車から人が降りて、こちらへ歩いてくるのは気付いていた。 だが声をかけられるまでは、自分に向かって歩いてきているのだとは思わなかった。 アンジェリークは瞳を丸くして目の前の男の人を見上げる。 スタイルの良い長身と艶やかな銀髪。 明るいところで見ても綺麗なのだな、とどこかでのんびりと思った。 見覚えがある人だ。 呆然と見上げるアンジェリークを楽しげに見下ろしているのだろう。 口の端を持ち上げて笑っている様子から想像できる。 「………この前の意地悪なお兄さん」 「くっ………そうくるかよ」 「だって、ドア開けさせてくれなかったじゃないですか」 さらに、戸惑うアンジェリークの様子を見て笑っていたのだ。 意地悪という肩書きが嫌なら「失礼な男」で十分である。 どちらにしろ好印象を与えるような事はしていない。 「それより、どうしてここに…? レイチェルに用事ですか?」 自分に会いに来る理由などアンジェリークには想像も出来ない。 あのスタジオに出入りしていた事もあり、きっとレイチェルの関係者だろうという 考えに辿り着いたのである。 「あ、でもレイチェルなら授業終わってすぐに マネージャーさんに迎えに来てもらってましたよ」 入れ違っちゃったかな……と首を傾げる少女を見ていると心が和んだ。 本当に不思議な雰囲気の少女だと思った。 アリオスはふっと笑うとサングラスを外した。 現れた金と翡翠の瞳が可笑しそうに細められた。 「お前に会いに来たんだ。アンジェリーク」 「え……私…?」 数秒考えてぽつりと聞いてみた。 「前のシーン、撮り直しですか?」 やっぱりダメだったのかな、と自信なさげにアリオスを見つめる。 (本当に子犬みてぇだな…) そんな事を思いながらアリオスは違うと言ってやった。 「アレ、撮り直してそれ以上のもんが簡単に撮れるとは思えねぇな」 「…………? あ、ありがとうございますっ」 ワンテンポ遅れてアンジェリークはぺこりと頭を下げた。 彼のセリフとその表情から、「上出来だった」と言われたのだと 理解するまでに少々時間がかかったせいだった。 「あれ、でも……じゃあ、いったいどうして…?」 撮り直しがないのなら、なおさら彼が自分に会いに来る理由が分からない。 「出演交渉だ」 アリオスは大きな瞳を瞬かせたアンジェリークに不敵に笑ってみせた。 「出演交渉?」 意味が分からないとばかりにアンジェリークは首を傾げる。 「そうだ。ここじゃなんだから、場所を変えないか?」 「そうするまでもないですよ」 あっさりきっぱりと言うアンジェリークにアリオスは片眉を上げた。 「私は役者さんじゃないです」 だから交渉なんて必要ない。 やわらかな微笑みで告げる。 「本当に聞いた通りだな」 アリオスは可笑しそうに喉で笑うと呟いた。 「? とにかく、無理ですよ。 もう……レイチェル達以外に誰がそんなこと言うんですか。 奇特な人もいるんですね」 くすくす笑って相手になる気もなさそうな彼女をアリオスは見つめる。 まるで業界に興味がない。 だが、それならそれでかまわない。 業界に興味がなくても問題ない。 自分への興味を持たせれば良いだけのことである。 「その奇特なやつってのが俺だ」 「え……? お兄さん、役者さんじゃないんですか?」 「まぁ、昔は役者もやったけどな。それなりに」 それなり…どころではなく、様々なところから彼を使いたいと競って依頼が来ていた。 だが、ある時アリオスは撮られる側から撮る側へと移った。 「今は監督をやってる」 「監督さん…」 一般に言う監督のイメージと違うなぁ……と思いながら、改めてアリオスを見つめる。 「監督さんってもっと年配の方のイメージがあったなぁ…」 「俺はアリオスだ。 今度の映画でお前に演ってほしい役がある」 「アリオスさん……アリオス…監督…?」 彼の名を聞いて思うところがあるのか、アンジェリークはぴたりと止まった。 そしてようやく思い出したのか、驚きの表情になる。 「あの史上最年少でアルカディア賞を受賞したアリオス監督?」 世界中の注目を浴びる賞を取った人物の名は疎いアンジェリークですら知っていた。 役者時代に出演した映画で助演男優賞や主演男優賞を受賞し、 その後監督として作った映画で作品賞・監督賞を受賞した。 アンジェリークがアリオスの名を覚えていたのは前者よりも後者のおかげである。 史上最年少ということでかなりの話題になったのだ。 「へぇ……心当たりがあるようで光栄だな」 「有名だもの…」 「その有名監督が直々にお願いに来たってワケだ。 せめて門前払いじゃなく、話だけでも聞いてくれないか? お前を撮ってみたいと思ったんだ」 偉そうな態度なのは確かなのだけれど……ムダに驕るような嫌な感じのものじゃない。 本当にさらりと自分の肩書きを告げて、話を聞いてほしいと言っている。 「………」 アンジェリークは少し考えた後にアリオスを見上げた。 「……どこでお話しましょうか?」 その返事にアリオスは口の端を上げた。 「お前の好きな場所で良いぜ? 突然知らないところに連れてかれても不安だろ」 彼の配慮にアンジェリークはくすりと笑う。 「じゃあ……学校の裏通りの方…ちょっと穴場のお気に入りカフェがあるんです」 「OK。好きなもの奢ってやる」 「あ、私、そういうつもりで言ったんじゃ……」 慌てて手を振る少女の仕種が微笑ましい。 「気にするな。ワイロだから」 「って買収されたりしませんからね。 お話を聞くだけですよ?」 くっくと笑ってアリオスは車を指した。 「あれをそのまんまにはしておけないからな。 停める場所探してくるが……お前は先に店行ってるか?」 「アリオス監督が嫌でなければ、ご一緒してナビしますよ。 カフェも駐車場の場所も」 アリオスにまじまじと見つめられ、アンジェリークは首を傾げた。 「なんですか?」 「いや、なんでもねぇ……。 お前って警戒心強いかと思えば無防備だな」 「?」 「ほら」 「?」 彼の車に乗せてもらって、助手席に落ち着いたところでぽんと渡された。 それは彼の運転免許証。 「業界の人間を名乗るほぼ初対面の男の車に簡単に乗るなよ?」 せめてそいつの免許証預かるくらいの保険はかけとけ、と言われて ようやく彼のさっきの言葉の意味が分かった。 「う〜ん、確かにアヤシイスカウトとかも多いって聞きますよね」 預かった免許証をまじまじと見ながら、「そうか…」と納得する。 「あ、アリオス監督28歳なんですね。 私と一回りくらい違うんだ」 「お前、のんびりしてるって言われねぇ?」 「……言われます。 なんですか、突然」 ぷうと膨れてアンジェリークはアリオスを上目遣いに睨んだ。 「この状況で平然としてるからだ」 「だって、あなただもの」 「………」 何の根拠があってのことだか、とアリオスは内心呆れた。 たった今、危険性を示唆してやったのにあっさり受け流してしまった。 「実際に一度会ってスタジオ出入りしてる人なのは分かってるし。 こうやって免許証だって自分から渡してくれたし…」 そして真っ直ぐにアリオスを見つめる。 「あなたが私を撮りたいって言った時のあなたの瞳と言葉は本物だと思った」 「………」 「私はレイチェルを見てるから…… この業界の楽しさも嫌なトコも多少は知ってます」 アンジェリークは少しだけ躊躇って言葉を続けた。 「だからこそ……関わりたくないと思ってた」 「………」 もともと興味がないだけではなく、避けたいとすら思っていたのか、と 彼女の言葉でアリオスは知った。 「関わりたくない、と思ってた私の心を動かした…… あなたの気持ちは信じても良いと思った。 これで答になりますか?」 「……上等だ」 にっと笑ってアリオスはエンジンをかけた。 「茶だけじゃなく、晩飯奢ってやってもかまわねぇぞ」 「えーと……それって褒め言葉、ですか?」 「当然」 「でも、私お話を受けるなんて言ってないですからね。 聞くだけですよ」 「分かってる。 これから俺が口説き落とすんだ」 彼の自信ありげな笑みにどきんと心臓が跳ねた…ような気がした。 ☆ ☆ ☆ 「結局……口説き落とされちゃった…ってことかなぁ…」 小さな駅で旅行鞄を持って降りたアンジェリークはぽつりと呟いた。 潮風が気持ち良い。 このすぐ近くの海岸で映画のロケが行われている。 あの日、アンジェリークは結局首を縦に振ったのだ。 アリオスが話してくれる映画の話は楽しかったし、とても興味を惹かれた。 そして本当に自分を撮りたいと言ってくれているのが分かって、困ったけれど嬉しかった。 どうして彼が自分なんかを選んだのか不思議だったけれど……。 「俺にチャンスをくれないか?」 「チャンス?」 ミルクティーのストローを押さえてアンジェリークは聞き返した。 彼が言うには似つかわしくない気がした。 どちらかと言えば、彼はいろんな人にチャンスを与える側だと思ったから。 「私が…アリオス監督に?」 「ああ」 「俺がこんな風に誰かを撮りたいって思うのは滅多にねぇんだ。 特に素人に惹かれるなんてのは初めてだ」 目の前の真摯な瞳に真っ直ぐ見つめられてアンジェリークは頬を染めた。 「でも……レイチェルの時みたいにワンシーンじゃないんでしょう? そのうちボロが出ますよ」 まぐれ当たりは続かない、とアンジェリークは俯いた。 彼と話して……彼の願いを叶えてあげたいと思ってしまった。 でも、自信がない。 かえってがっかりさせてしまうかもしれない。 そう思うと頷けない。 「だからチャンスをくれないかって言ったんだ。 俺の目が正しければ、お前はうまくやれる。そのまま撮影続行だ。 俺のカンが鈍ってたなら、諦めて他のやつを探す」 「………」 「素人を抜擢するって自覚はある。 うまく出来なくてもそれは無理強いした俺のせいでお前のせいじゃない」 「アリオス監督……」 ふっと笑った表情がとても優しく見えた。 「やってみないか? お前以外にハマり役はいないと思ったんだ」 「私……」 「滅多にない機会だぜ? ロケ旅行なんて。 しかもこの俺の」 目の前の不敵な笑みにアンジェリークは微笑んだ。 「観光気分で楽しめばいいさ」 「はい…」 強引な人だけど良い監督だと思った。 彼がいてくれるなら挑戦してみようと思わせてしまう。 そして有能な彼はすぐに家族や学校側に了承をもらい、 次の連休のアンジェリークロケ旅行参加の手続きを済ませてしまった。 「迎えが来るって言ってたけど……撮影が長引いてるのかな」 すぐに見渡せる小さな駅。 誰もいないのは一目で分かる。 「う〜ん……」 もしも忙しくてここに迎えに来られない状態なら、わざわざ人の手を煩わせるまでもない。 宿泊場所も聞いてあるし、アリオス監督の携帯番号も聞いている。 「行っちゃおうかな」 まずはアリオスの携帯にかけてみる。 取り込み中なのか、コール音の後に留守電に繋がってしまったので 自分で移動するので迎えはいらないことをメッセージに残しておいた。 アリオスからもらった地図を見て、目的地を探す。 駅から歩いて十分くらいのホテル。 「海岸沿いを歩いて行けば良いんだ。 うん、迷子になる心配はないね」 荷物を持って、のんびりと歩き出す。 タクシーを使っても良かったけれど、せっかく来たのだから一歩きしたい気分だった。 「レイチェルも一緒だったら良かったなぁ……」 アンジェリークが心細いならレイチェルも付き添いとして同行しても良い、とアリオスが言ってくれた。 しかし、レイチェルの方もこの連休はロケで別の地方へ出かけることになったのだ。 「くやしい〜、アンジェの演技見られるカモって楽しみにしてたのに〜」 アンジェリークも残念だったが、それ以上にレイチェルが悔しがっていたのを思い出してくすりと笑った。 「レイチェルも今頃ロケがんばってるんだよね。 私も明日からがんばろう」 しばらく歩いて目的のホテルが見えてきた。 そこで安心したのか、アンジェリークは舗装された道から砂浜の方へ降りていく。 太陽の光をきらきら弾く海が綺麗だった。 「まだ海水浴には早いけど……あったかいし、ちょうど良いかな」 荷物を持っていない方の手に脱いだ初夏のサンダルを持って波打ち際を歩く。 「気持ち良い〜」 わざと水を飛ばしてぱしゃぱしゃと歩く。 「うわぁ……」 時折寄せる波が大きすぎてスカートの裾が濡れそうになるのもなぜか楽しくて、はしゃぎながら歩いていく。 「アンジェリーク!」 ふいに名を呼ばれてアンジェリークは声のした方を振り向いた。 「きゃっ!」 その時に打ち寄せた波に足を取られて尻餅をついてしまった。 「……ったくお約束だな。大丈夫か?」 声をかけたのはアリオスだった。 「はい。荷物は……」 倒れながらも旅行鞄とサンダルだけは濡らさないようにと死守した。 おかげで自分はずぶぬれになってしまったけれど。 「ほら、無事なうちに寄越せよ」 「あ、ありがとうございます」 彼が安全な場所に荷物を運んでくれるのをアンジェリークはぼんやり見ていた。 どうして彼がここにいるのだろう? 撮影中だったのではないだろうか? 「こら、なにぼーっと座り込んでんだよ。 いつまでそこにいる気だ?」 「そういうアリオス監督だってもう足濡れてるじゃないですか」 靴は浜辺に脱いできたらしく裸足だったが、座り込んでいるアンジェリークの側にやってきたので 彼のジーンズも濡れてしまっている。 「足でも痛めたか?」 かけられた言葉に心配して来てくれたのだと気が付いた。 「あ、ご、ごめんなさい。なんともないです。 ちょっと考えてただけで……。 アリオス監督まで海に入ることなかったのに…ごめんなさいっ」 わたわたと手を振って謝るアンジェリークにアリオスは手を差し出した。 彼女を立たせるのかと思ったら、いきなり抱き上げる。 「え?」 戸惑うアンジェリークがすぐ近くにある彼の顔を見ると、そこには彼特有の皮肉げな笑み。 「きゃあっ!」 思い切りよく海面へと投げ下ろされた。 「アリオス監督! ひどい〜」 「どうせずぶぬれになってたんだ。 変わんねぇだろ」 「頭まで濡れてなかったですよ〜」 頬を膨らませて勝者の表情のアリオスを睨む。 こんないたずらをする人だとは思わなかった。 世間ではクールで切れ者なイメージが強かったのだけれど……。 「お返しです」 アンジェリークは座り込んだまま、手で水をすくってアリオスにかけた。 「っ…お前な……」 今度は容赦なく彼の長い足で蹴られた水がアンジェリークにかかった。 「ちょ……これ、倍返しどころじゃないですよ〜」 そして、しばらく不毛な水のかけあいが続いたのだった。 「もう、アリオス監督、手加減してくれないんだもん……」 ぐっしょり濡れたアンジェリークは砂浜に戻りながら呟いた。 「お前だって楽しんでたじゃねぇか」 「監督だって……」 視線が合って、笑みが零れる。 「……楽しかったから良いですけどね」 「心配させた罰だ」 二人の言葉が重なった。 「え?」 アリオスは浜辺に置いておいたジャケットをアンジェリークに放り投げた。 「ホテルまではすぐだ。 それ羽織る程度で我慢しとけ」 「アリオス監督……?」 アンジェリークの荷物を持って、先に歩いていってしまう背中を見つめる。 そう言えば、今は互いに海水でずぶぬれだから分からないけれど…… 会ったばかりの彼はけっこう汗に濡れていた気がする。 慌てて彼を追いかけて隣に並んで歩く。 「あの、アリオス監督…」 「あんまり一人でこの辺出歩くな。 周囲のやつらにはロケ地だってバレてんだし、色々面倒なことがあるかもしれねぇんだからな」 彼の留守電にメッセージを入れてから、けっこう時間が経っていた。 十分で着くところを遊びながら歩いていたので倍以上はかかっていた。 心配して探し回ってくれていたのだ。 きゅっと胸が痛くなる。 「ごめんなさい……。 お仕事で来たんですよね、私」 反省して項垂れた少女の頭を見下ろしてアリオスはふっと笑った。 濡れた頭にぽんと手を置いて言ってやった。 「観光気分で来いっつったのは俺だしな。 迎えに行けなかったのもこっちの落ち度だ」 「でも…」 「悪いと思ったんなら明日の演技で返してくれよ」 「……はいっ」 アンジェリークはくすくすと笑って頷いた。 分かりにくいけど……とても優しい人だ。 この人の為に精一杯がんばろうと思った。 〜 to be continued 〜 |