Shining Star
                          
- きらめく星 -



一瞬とはいえ、レイチェルの親友役。
そして実力派監督と名高いアリオスに見初められての映画出演。
アンジェリークのデビューはとても話題性のあるものとなった。
癒し系、清純派などなど……そういったキャラとして世間に受け入れられ、好評を得られた。
CM出演やドラマのレギュラー、二時間ドラマの脇役。
その後も学校生活を送れる範囲で順調に仕事をこなしていった。



「やぁ、アンジェリーク」
「よぉ」
「あ、こんにちは」
CMに一緒に出演して以来、親しくなった事務所の先輩、ランディとゼフェルに偶然出会って
アンジェリークはぺこりと頭を下げた。
「ははっ、『おはよう』じゃないのがアンジェリークだよな」
「そうだ。おはようございます、でしたね」
「んな気にするもんでもねぇけどな。
 おめーらしいっちゃらしいし」
アンジェリークはくすくすと笑いながら反省した。
「これから撮りかい?」
「いえ、今日はもうないです」
「俺達これからマルセルと出かけるけど、良ければ一緒に来る?」
時間はそろそろ夕飯時。
この三人とは気が合うし、とても魅力的な誘いだったのだが
アンジェリークはごめんなさい、と謝った。
「行きたいですけれど……特訓が〜」
困ったように微笑む彼女に二人も納得したように頷いた。
「ははっ、そうか。大変だね」
「今日の先生はどっちなんだよ?」
「アリオス監督です」
「レイチェルだったら、彼女も一緒に誘ってそこでレッスンでも良かったけれどね」
「あの監督相手にそれは無理だろーな」
そんなに敬遠するほどでもないんだけどな、と思いながらアンジェリークは苦笑した。
彼のイメージは怖い、厳しい、近付きがたいものらしい。
「また今度誘うよ」
「じゃーな。がんばれよ」
「はい、ありがとうございます」



演技を知らないアンジェリークはレイチェルやアリオスの空いている時間と
自分の都合が合う時に演技の勉強をしていた。
傍から見ればとても贅沢な授業である。
今日はアリオスがこのテレビ局での撮影を終えた後、控え室で見てもらうことになっている。
教えてもらった部屋に向かう途中、有名女優に出会った。
アンジェリークでも知っていた大人の魅力溢れる女優。
挨拶をして、その横を通り過ぎようとしたら声をかけられた。
「その先はアリオス監督の部屋しかないわよ?」
「え、あ……はい」
迷子になっているとでも思われたのかな、と考えながらアンジェリークは頷いた。
「……アリオス監督に用なの?」
「はい」
素直に頷き、ちらりと腕時計を見る。
「七時にここに来るように言われて……」
「……そう」
「?」
いったいなんだろう、とアンジェリークが訊ねようかと思ったが、その前に目的地のドアが開いた。
「何やってんだ?」
「あ、アリオス監督……」
「お前の声が聞こえたからな。
 さっさと入れよ」
「でも……」
彼女と話していた途中だったのが気掛かりで、さっきまで彼女がいた場所に視線を戻した。
しかし、そこにはもう誰もいなかった。
「あれ?」
(行っちゃったのかな?)
「なにぼけっとしてんだ?」
「あ、はいっ」
閉めちまうぞ、と急かされてアンジェリークは慌てて部屋の中に入った。


「そこに人がいたんですよ」
その人と話してたんです、とアンジェリークは説明をした。
「親切だったのかな?
 あそこから先はアリオス監督の控え室しかないって教えてくれたから」
「そいつってもしかして……」
首を傾げている少女の前でアリオスは不機嫌そうに彼女が会った人物の名を挙げて聞いた。
「そうですよ。
 あ、声で分かりました?」
アンジェリークの声が聞こえたので、彼はドアを開けたと言っていた。
「さすがですねぇ」
「違ぇよ」
感心するアンジェリークとは対称的にますます不機嫌そうにアリオスは長い前髪をかきあげた。
「?」
「さっきまでここにいたんだよ。
 そいつに何か言われなかったか?」
「いえ、特には……」
彼女との会話を振り返って、アンジェリークは首を振った。
「気を付けろよ。
 それか気にすんなよ」
「え?」
「誘いを断った理由がお前だって知ったら、嫌味のひとつくらいあるかもな……」
「ええ〜?」
どうしてですか、と言わんばかりの表情にアリオスは息を吐いた。
「今のヒントで察しろよ」
長い指先で額を弾かれてアンジェリークは頬を膨らませた。
「いたぁい…。……ヒントって…」
(え〜と……あの人がさっきここに来てたのよね…)
だが、自分も先程同じように出会ったランディやゼフェルの誘いを断って
同じような状況だったのである。
なぜそこで嫌味云々まで発展するのか分からない。
正直にそう言ったら、心底呆れたように溜め息をつかれてしまった。
「お前らの『お誘い』とは意味が違うんだよ」
もっと大人のイミだと浅く笑われて、ようやくアンジェリークは真っ赤になって悟った。
「え、じゃあ……あの人がアリオス監督の彼女さんですか?」
「どうしてそうなるんだよ?」
「だって……そういう関係ならそう思うじゃないですか…」
まだ頬を染めながら言いにくそうに呟く。
見た目通りの清純さにアリオスは口の端を上げた。
「あいにく、今のところいねぇよ。
 気が向いた時に付き合う程度の関係なら何人かいたけどな」
「………………」
そう言えば、彼はゴシップ誌に何度か載っていたらしい。
確か全部相手の女性は違っていたとか……そんな話をレイチェルに聞いた。
だから気を付けるようにと心配する親友をアンジェリークは有り得ない、と笑って受け流していた。
「くっ……軽蔑したか?」
赤くなったまま硬直している少女にアリオスは笑った。
その声にアンジェリークははっと我に返ってふるふると首を振った。
「そんなことないですよっ。
 えと…そういうのは本人達の自由ですし。当事者が割り切ってるなら……」
自分の反応を可笑しそうに眺めているアリオスの視線に気付き、アンジェリークは睨んだ。
「もう〜……からかわないでください」
「まぁ、お前みたいな純粋なお子様には分からんかもな」
その方が良い、と呟く。
「確かにそういうの……分からないですけど…
 お子様じゃないですよーだ」
「そうかよ?」
まだまだそっちの方面にはとてつもなく鈍そうである。
そう言ってやったら、案の定頬を膨らませた。
「ひどい〜。あ、そうだっ」
さっきまで膨れていたと思ったら、今度はぽんと手を叩いてアリオスを見上げた。
本当にくるくるとよく変わる表情だと思いながらアリオスはそれを見つめていた。
「なんだ?」
「もし、彼女さんができたり、今日みたいなお誘いがあったら私のことはいいですよ?」
また違う日にすればいいし、とアンジェリークは言った。
「いっぱいお世話になってるのに、これ以上アリオス監督の荷物にはなりたくない……」
「お前はそれでいいのかよ?」
あっさり他の女のところへ行けと言う少女にアリオスは意外そうに口を開いた。
「別の日に見てもらえれば良いですよ。
 だって……恋人ができたりしても、私達は私達ですよ…ね?」
友達とも恋人とも、普通の監督と役者という関係とも違う。
少し特殊なアリオスとアンジェリークの距離。
自分達の関係はずっと変わらないはず。
そう口にした瞬間、アンジェリークは自信なさげな表情になった。
「あ、それとも彼女に夢中で私の面倒見てる暇なくなるのかなぁ」
それはちょっと寂しいかな、と素直に笑った。
「いつまでもアリオス監督につきっきりで見てもらうわけにもいかなくなるだろうし……」
いつか同じ業界にいてもすれ違いばっかりの時が来るかも…と思うと
想像しただけなのにとても寂しくなった。
「ばーか」
「ひゃ…」
アリオスは沈んだ表情になった少女の髪をくしゃくしゃとかきまぜた。
「んな簡単にお前が完璧な役者になれるかよ。
 そういう心配はこの俺が文句言えない演技できるようになってからしろ」
「え……」
「それより、この前のドラマ見たぜ。
 あんな嘘くせぇ演技、俺だったらOK出さねぇからな」
「あう〜……」
彼は関わらなかったが、前回アンジェリークが出演していたドラマをチェックしていてくれたらしい。
未熟さを指摘され、アンジェリークは小さくなった。
「……俺のわがままでお前をこの世界に引っ張り込んだんだ。
 途中で放り出したりしねぇよ」
「アリオス監督……」
安堵と嬉しさにはにかむ少女を見つめて、ふっと意地悪げに微笑んだ。
「それに今の俺は子犬育てんのに忙しいからな。
 女の相手してるヒマはねぇ」
「子犬飼ってるんですか?」
彼が育てるなんてどんなコだろう、とアンジェリークは瞳を輝かせる。
「飼ってるわけじゃねぇが、育ててる」
「?」
「茶色い子犬だ」
含んだような笑みと視線にふと嬉しくない答が思い浮かんだ。
「私はお子様でも子犬でもないですっ」
「くっ、気付いたか」
喉で笑う彼をアンジェリークは上目遣いに睨んだ。
それでも……綺麗な女優よりも、できる業界の女性よりも、自分を優先してくれることが嬉しかったから
仏頂面はすぐに笑顔に変わってしまったけれど。



一通りの基礎練習を終えた後、アリオスは言った。
「笑顔は文句なしの合格点やれるんだがな」
初めて見た時、アリオスを惹きつけたのは彼女の笑顔だった。
気を抜かずそのままやればいい、と言われて嬉しそうに頷く。
「喜怒哀楽の『喜』と『楽』は良いとして……『怒』と『哀』はまだまだだな。
 特に『怒』の方」
「う〜……はい…」
まだ仕事としてそういう演技をしたことはないが、
練習としては何度か演じてみて苦手意識はあった。
「まぁ、もともと怒るようなタチじゃないってのも原因にありそうだけどな」
アリオスにからかわれて怒るのはしょっちゅうだが、その程度である。
「確かに……怒るの慣れてないですねぇ。
 監督はどれも上手ですよね」
過去に演技だと分かっていたのに、思わず本気で謝ってしまったことがある。
そのくらい怖かった。
さすが数々の賞を受賞した役者なだけある。
アンジェリークは復習のつもりで彼が過去に出演した映画やドラマを見るようになった。
役者の視点で見ると、本当にすごい人だと思った。
「えへへ。昨日は秘蔵映像見たんですよ」
練習後のお茶を用意しながら、アンジェリークは言った。
くすくすと笑ってアリオスを見る。
「なんだ?」
「アリオス監督のデビュー作品」
さすがに驚いた様子の彼にアンジェリークは勝った、とばかりに微笑んだ。
「いったいどこでんなもん見つけたんだよ」
「レイチェルからです。
 正確にはレイチェルのパパですけど」
「……そうかよ」
レイチェルの家系は芸能一家である。
当時のレイチェルはまだ幼くても、彼女の親が持っていてもおかしくない。
「ふふ、勉強になります」
そして見る度に思う。
練習を見てもらう度に思う。
また役者の彼を見てみたい。
いつか彼と共演してみたい。
どうしてもう役者はやらないのだろう。
監督としても成功してるのだから悪くはないと思うけれど……。
こうして出会えたのは彼が監督だったからなのだけれど……。
でも、口には出せなかった。
彼と一緒にいて、今は演じることより作品を創る方に一生懸命だと知ってしまったから。
思いを振り払うようにアンジェリークは微笑んでコーヒーを差し出した。
「アリオス監督はブラックでしたよね」
「サンキュ」
カップを持つ手が重なった。
しかし、誤って触れたにしては少々長い時間そのままで……。
「?」
アンジェリークがきょとんとした瞳でアリオスを見上げる。
金と翡翠の瞳に見つめられていることに気付いた。
「あの……」
口を開いたところでアリオスの携帯が鳴り出した。
「チャーリーからか。多分次のドラマの話だな。
 悪い、すぐに戻る」
「あ、はい」



アリオスは控え室から廊下に出る途中で電話に出た。
「かけてくるのが早いんだよ」
『えー、もうとっくに授業終えて判断し終わった頃かと思って
 俺から電話かけたったのに〜』
「今、まさにその最中だったんだ」
溜め息交じりでアリオスが言った。
『で? どーだった?
 アンジェちゃん、いけそう?』
「どうだかな。あいつには早いんじゃねぇか?
 恋する演技なんかできるかどうか…」
恋に恋する少女すら難しいのでは、とアリオスが言うと
電話の向こうでとても不満げな声が聞こえてきた。
『あんたがアンジェちゃんを出したなくて、そー言っとるんとちゃうん?』
独り占めは許さへんで、という言葉にアリオスは苦笑した。
今度チャーリーが演出を務めるドラマで彼女を使いたいという話が来ているのである。
「なんでそうなるんだよ。
 監督としての冷静な判断だ」
『へぇ〜。その判断の理由は?』
なおも食い下がるチャーリーにアリオスは仕方なく言ってやった。
「……あいつ、手を握ってもきょとんとしたツラで見上げてたぞ」
男女の差を気にしない付き合いしか知らないうえに、意識もしてないのだろう。
「単純に俺が対象外だからなのかもしれないけどな」
『つーか、そういうテストをするのもどうかと思うんやけど……』
たっぷりの沈黙の後、チャーリーの苦笑交じりの返事が返ってきた。
『て言うてもなぁ……もうアンジェちゃん使う方向で話固まりつつあるんや。
 そこはあんたの指導でなんとかしてくれへん?』
「……この貸しは高くつくぜ?」



(え〜と……)
アリオスが出ていった後、アンジェリークは呆然と自分の手を見つめていた。
最初手が触れた時は、彼が受け取りやすいよう気をつけてカップを持ったはずだけど
受け取りにくい渡し方だったのかな、と思っただけだった。
その後は自分が手を離した方が良いのかな、と自分の手を引き抜こうと思ったのだけれど
アリオスがアンジェリークの手とカップをしっかり上から押さえているのでできなくて……。
どうにも動かせなくて、見上げるしかなかったのだ。
どうしたのだろう?と。
でも今思い返せば、自分はカップの下の方を持っていたので
アリオスが上の方を持ってくれれば触れ合わずにすんだのである。
なのに、どうしていつまでも手を重ねたままだったのだろう。
カップを持ったアンジェリークの手を簡単に覆える程の大きな手の平。
彼の少し冷たい指先が触れた感覚がまだ自分の指先に残っている。
(あ、あれ……?)
その感覚を思い出して、アンジェリークは真っ赤になって戸惑った。
(だ、だって……いつも私の髪触ったり、ほっぺた引っ張ったりしてた手だよ…?)
ついでに言えば、デコピンしたりアンジェリークを投げたりと散々なこともしている手である。
わけも分からずドキドキする。
どうして?という疑問が頭の中をぐるぐるとまわる。
アリオス監督がちょうど出ていて良かった、とアンジェリークは思った。
自分で熱いと思うくらいなのだ。
きっと顔が真っ赤になっている。
彼が戻ってくるまでになんとか元に戻しておかなければ……。
アンジェリークは一生懸命落ち着こうと深呼吸した。



一方、ドアの外で電話をしているアリオスにとっては運が悪かったと言える。
アンジェリークは彼やチャーリーが望んでいるような理想的な反応をしていたのだが……
この少女の場合、その反応がやたら遅いということにまで思い至らなかった。
電話がなければ時間差はあるものの、その反応が見られたかもしれないが……。
あいにく、アリオスが戻ってきた時に見られたのは
アンジェリークの必死の努力のおかげか、いつもの笑顔だった。



                                            〜 to be continued 〜






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