Shining Star
                          
- きらめく星 -



アリオスとの関係を記者に追いかけられて聞かれるようなことはないけれど、
それでもスタッフや役者などちょっと親しい人に会えば時々聞かれることはあった。
もちろん、恋愛関係なんかじゃない。
そう言って笑って答えているけれど、その度になんとも言えない重い気持ちになる。
その理由に気付けずにアンジェリークは過ごしていた。

「アリオス監督は…迷惑してないですか?」
練習を見てもらった帰り道、地下の駐車場へ向かいながらアンジェリークは聞いてみた。
「何が?」
真っ直ぐな視線で聞き返されてちょっと躊躇ってしまう。
「週刊誌に載って……私との事書かれちゃって…」
相変わらず練習を見てくれたり、食事に連れていってくれたりと
やっていることは変わらないのだが……一応確認しておきたかった。
「別に困るようなことは書かれなかっただろ?」
「そうですけど……」
「なんか言われたのか?」
「……そんなことないですよ、大丈夫です」
彼は怖いイメージがあるけれども、憧れる女性はとても多い。
そんな人達から嫉妬交じりの嫌味は言われたりするけれど、それは気にする程でもない。
実際に付き合っているわけではないので、そう言って話を終わらせるだけだった。
「困ったことがあったら遠慮しないで言えよ?」
「はい」
くしゃりと髪をかき混ぜられて、アンジェリークは微笑んだ。
この手はとても安心する。



「随分と趣味が悪くなったのね、アリオス」
二人が駐車場に出ると、綺麗な女性が立っていた。
以前アリオスの控え室の前で会った女優。
この人もかつてアリオスと噂になった人だったな、と今になって思い出した。
敵意の瞳でアンジェリークを睨んでいる。
「お前か……」
彼女はうんざりした様子のアリオスに視線を移して口を開いた。
「あの記事は本当だって言うの?」
「本当も何もただの師弟関係としてしか書かれてねぇだろうが。
 何が言いたい?」
「まだ子供じゃない。あなたの相手には相応しくないわ。
 私の誘いを何度も断る理由としては納得できないのよ」
何も言い返せない自分が悔しかった。
確かに目の前の美女ほど大人でもないし、綺麗でもない。
彼が責任を持って面倒を見ると言ってくれた約束がなければ、
きっと一緒に過ごすことなんてなかったと思う。
「それとも……こんなに可愛らしい顔してけっこう慣れてたりするのかしら?」
「っ!」
真っ赤になるアンジェリークを見て綺麗な余裕の笑みを浮かべる。
「その様子だとアリオスに相手にされてはいないみたいね。
 どちらにしろあなたが側にいると彼の評判を悪くするだけよ。
 さっさと彼から離れなさい」
「…です」
震えるアンジェリークの声は小さすぎて最初は届かなかった。
「泣かしちゃったかしら?」
くすりと笑う彼女にアンジェリークは今度ははっきり言った。
「泣くわけないじゃないですか」
「っ……」
真っ直ぐに見つめる瞳に余裕で笑っていた彼女の方が怖気づいた。
「嫌です、と言ったんです。
 私とアリオス監督のことはあなたが口を出す必要はないはずです。
 さっきもアリオス監督はただの師弟関係だって言ったじゃないですか。
 あなたのことはあなたとアリオス監督で話をすれば良い」
怒りを抑えて静かにアンジェリークは言った。
「失礼します」
くるりと向きを変えて、アンジェリークは上の階へ上がろうとした。
きっとこれから二人で話した方が良い。
自分はいない方が良い。
「待ちなさいよ」
「?」
彼女は振り返るアンジェリークを睨みながら微笑んだ。
「本題が済んでないわ」
「本題?」
「あなた、私が主役をやる今度の連ドラ、役をもらうはずだったでしょう?
 降りてもらうわ」
「っ」
「スキャンダル抱えた子は使えないわ。
 うちの事務所の新人がやることになったわよ」
「……そうですか」



アンジェリークが去った後、アリオスは勝ち誇った笑みを浮かべる女優に呆れたように呟いた。
「くだらねぇな……」
「なによ? それより、あの子がせっかく気を利かせていなくなってくれたんだから
 今夜は一緒に過ごしましょうよ」
絡まる白く綺麗な細い腕。
甘い香水の匂い。
今までは無関心ゆえ、なんとも思わなかったのに今はひどく気に障る。
彼女の腕を払い、冷めた表情と声で言った。
「一度寝たくらいで調子に乗るなよ。
 あいつのこと子供扱いしてたくせに、その子供相手に何やってんだ?」
本気で怒っている瞳に彼女は怯えたように一歩離れた。
「っ!」
「私情でキャスト変えたり、他人を蔑んで安心しようだなんて随分と落ちたもんだな」
言葉に詰まった彼女にアリオスはただ冷たく告げた。





アンジェリークはのんびりと呟きながら上の階へと歩いていた。
「う〜ん……アリオス監督の車はダメだから…電車…って言っても、
 もう終電もなくなっちゃう時間なんだよね…」
時計を見てぽつりと呟く。
ヴィクトールには今夜は自分が送るから、とアリオスが言ってしまっているので
今から来てもらうわけにもいかないし。
「タクシーかな」
しかし、どうせタクシーにするのなら時間は気にしなくて良いし……明日は休日だし。
「屋上に寄り道していこう〜っと」
このテレビ局は海寄りに建てられたせいか、街と反対方向の空には星がよく見える。
少女のお気に入りの場所のひとつだった。
このまま帰っても、きっとすぐには眠れないだろうから……気分転換をしていこうと思った。


何も考えずに柵に寄りかかって星を見上げてると、いくらか落ち着いてきた。
少し肌寒くなってきたけれど、もう少し見ていたい。
「きれーい。いっこくらい落ちてこないかな」
手をかざしてそんなことを呟いたら、後ろから笑い声が聞こえてきた。
「くっ、なに物騒なこと言ってんだよ」
「ここに落ちてほしいって意味じゃないですからねっ。
 流れ星を見たいなぁって言ったんですよ?」
慌てて弁解するアンジェリークをアリオスは後ろから自分と柵の間に閉じ込めた。
両脇は彼の腕。正面は柵。
身動きが取れなくなってしまったアンジェリークは彼を見上げた。
「アリオス監督?」
「寒いんだろ?」
確かに彼のおかげで潮風の直撃は避けられるけれど……なんだか落ち着かなかった。
触れそうで触れない距離にドキドキする。
すぐ後ろから聞こえる声にくらくらする。
「ったく、いつまで待っても降りて来ねぇんだからな」
「あの人は……?」
てっきり彼女と一緒に行ってしまったのかと思っていた。
「余計な気を回すなよ。
 あいつとはもうなんでもない」
「でも、あの人はそのつもりはないはず……」
「さっきはっきりさせてきたから、もう気にすんな」
「………」
しばらくの沈黙の後、アリオスが呟いた。
「やっぱりお前は泣かないんだな」
「え?」
最初からレイチェルやアリオス監督と特別な関係を持つ少女に対して
一部の者は嫉妬交じりの嫌味を言っていた。
彼女は笑って聞き流して、時には一言二言交わして、いつもそうやって流していた。
過去にアリオスの前では簡単に泣いたくせに、絶対に泣かなかった。
「だって、もったいないじゃないですか」
「は?」
「私の涙はそんなに安くないです〜。
 あんなことくらいでは見せてあげられないです」
冗談っぽく偉そうに言うと、くすりと笑った。
「ルヴァさんに言われたんです。そう言われるのは認められた証拠だって。
 落ち込む必要はないって」
「ルヴァに?」
『それは相手があなたのことを自分より上だと認めた証拠ですよ〜。
 敵わないなぁと思ってしまったけれど、素直に認めたくなくて
 そんな風になってしまうんですよねぇ』
「だから言われるようになったら一人前ですよって」
「くっ……あいつらしいな」
「……だから、大丈夫です」
「そうか…」
アンジェリークの自分に言い聞かせるようなセリフにアリオスはただ頷いた。

「今日は悪かったな」
「え?」
「俺の問題に、関係のないお前を巻き込んだ」
「や、やだな……アリオス監督が謝らないでくださいよ」
関係ないなんて言わないでほしい。
切り離されたようでとても寂しいから。
「あいつ……それかあいつの事務所の新人がお前が映画でやった役をやるはずだったんだ。
 あいつらは俺のイメージじゃなかったんでお前を使ったんだがな」
「私の……えーと、あの海での?」
突然話が変わったので、思わず振り向いて聞いてしまった。
「そうだ。あれでお前の評価はかなり高かっただろ」
「……はい」
「だから余計逆恨みっぽく思ってるんだろうよ。
 お前が得た評価は本来は自分のものになるはずだった、てな」
「………………」
「お前だから得た評価なのにな」
優しく見つめられて、アンジェリークは慌てて視線を逸らした。
いつからだろう。
アリオスの視線を見返せなくなった。
特にこんな至近距離のは。
「お前が頑張ってるのは俺が誰より知ってる。
 気付くやつは気付いている」
子供をあやすようにアンジェリークの頭を撫でる。
「それに気付かないようなやつは相手にするな」
優しい手と言葉に思わず、心が緩んで涙が滲んだ。
「ア、アリオス監督のいじわる……」
「くっ……優しくしてやってるじゃねぇかよ」
「……だから、いじわる…なんですよ…。
 ……っ…こんな時に…優しく、しないで…」
アンジェリークは見られまいと柵に突っ伏して泣き出した。
「私は大丈夫、なんだから…」
理不尽なことを言う人もいるが、解ってくれる人もいる。
心配してくれる人もいる。
顔も名前も知らないのに応援してくれる人もいる。
泣いてなんかいられない。
泣く暇があるなら、他にやることがある。
そう思っていたのに、彼の声と手であっさりとそれが覆される。
「あんまりお前が強がるから泣かせてやりたくてな」
「なっ……」
あんまりな言葉に柵から離れ、顔を上げた瞬間ふわりと抱きしめられた。
さらさらの銀色の髪が頬に触れ、視界の端に見える。
包み込む体温が温かくて、どきどきするのに安心する。
耳元で低くて優しい声が聞こえた。
「そんなに我慢するな。
 一度泣いたらすっきりするぜ?」
「っ…〜〜〜」
本当に意地悪で優しい人だと思う。
こんなにあっさりと泣き場所を作ってしまうのだから。
そんなことをぼんやりと思いながら昼間の疲れのせいか、
泣き疲れたのか、アリオスの腕に安心したのか……
アンジェリークはそのまま眠ってしまった。
安心しきった表情で眠る少女の頬の涙を拭ってやり、アリオスは苦笑した。
「泣けとは言ったが、寝ていいとは言ってねぇぞ」



   ☆  ☆  ☆



なんだか頭が痛いような重いような気がする。
「……ん……」
そんなことを思いながら、アンジェリークは目を覚ました。
(あ…そうだ……昨日、思いっきり泣いて……それから…)
その後の事を思い出そうとして固まった。
どうしても思い出せない。
それに見覚えのない天井。
見覚えのない部屋。
自分の部屋よりも随分と殺風景な……。
「あれ……?」
くるりと寝返りをうって……。
「!」
そしてベッドから落ちそうなほどびっくりした。
隣には笑いを堪えているアリオスがいた。
「ど、どうして……」
「どうしてもなにもここは俺の部屋だ」
「アリオス監督の……?」
「眠りこけてるお前を送っても良かったんだがな。
 そんなツラさせたまま帰すのもまずいかと思ってな」
アンジェリークが首を傾げているとアリオスが口の端を上げて笑った。
「今日は子犬の目じゃなくてウサギの目だな」
「あ……」
泣き腫らした目のことを言われて、アンジェリークは目元に触れた。
「さすがに芝居で泣いた、なんて言い訳も通じねぇだろ。
 家には俺から連絡を入れておいた」
「あ、ありがとうございます……」
そしてアンジェリーク的にもっとも気になることを聞いておいた。
「あの……やっぱりこれ着替えさせてくれたのも…
 アリオス監督、なんですよね…」
今アンジェリークが羽織っているシャツはどう見てもアリオスのものである。
真っ赤になって口篭りつつ言うと、彼は可笑しそうに笑った。
「別にヘンなことはしてねぇよ」
「アリオス監督ですもん。信用してますっ。
 ……信用してるけど…やっぱり恥ずかしいじゃないですか〜」
「くっ……可愛い弟子に手を出したりしねぇよ」
その言葉に喜んで良いのか悲しんで良いのか困ってしまう。
アリオスはそんな戸惑いを抱えるアンジェリークの頭を押さえ、そのままベッドに横たわらせた。
「アリオス監督?」
「まだ早い。もう少し寝かせろよ」
「寝てて良いですよ。
 私はもう起きます〜」
「今日も撮影があるんだ。お前も寝とけ」
「もう…」
そんなこと言われても最初から眠っていた昨夜と違って、今は一緒のベッドで眠ったりできない。
アンジェリークを寝かしつけるように身体の上に置かれた腕にどきどきする。
細く見えるけれど、無駄なく筋肉がついていて頼りになる腕。
すでに寝入ってしまったアリオスをアンジェリークは困ったように見つめる。
でも、彼の寝顔を見られたことはとても嬉しくて……
こんな風に隣で眠ってくれることが嬉しくて…いつの間にか微笑んでいた。



少しだけ寝坊をして、交代でシャワーを浴びて、朝食を一緒に食べる。
別に恋人同士じゃないのに、こんなことになるなんて想像できなかった。
「アリオス監督、冷蔵庫の中寂しすぎます」
「置いといてもほとんど外ですませて、どうせムダになるからな」
「よくないですよ。
 せめて朝食分くらいは確保しときましょう〜」
「はいはい。とりあえず今朝の分くらいはどうにかなりそうか?
 それとも外で食うか?」
「……ご迷惑かけたお詫びになんとかしてみせます」
「くっ……そりゃ楽しみにしてるぜ」
なんでもない会話なのにとても楽しく思える。
どうしてなのか自分の気持ちに鈍いアンジェリークもようやく解った。



   ☆  ☆  ☆



出かける準備が整って、アリオスの車で撮影場所まで一緒に行く。
しかし、ふと思い出してアンジェリークは乗るのを躊躇った。
「あ、でも私……役、降ろされたんじゃ…」
「あー、まだお前には言ってなかったな。
 そっちの役はどっちにしろ断るはずだったんだ」
「え?」
「連ドラ二つ抱えんのは今のお前にはキツいだろ」
「?」
首を傾げるアンジェリークにアリオスは口の端を上げた。
「俺のドラマに出ろよ」
助手席のドアを開ける彼にアンジェリークは訊ねた。
「私は……本当に監督の側にいてもいいんですか?」
「まだあいつの言ったこと、真に受けてんのか?」
「………」
彼には釣り合わない子供だと言われなくても分かってる。
それでも彼の側で演技の勉強をしたかった。
彼が納得のいく作品を作る手伝いをしたかった。
でも、いつの間にか別の気持ちも生まれていた。
恋愛相手としては見てもらえないけれど……せめて側にいたい。
こうして側で笑っていてほしい。
「お前は最高の生徒だ。
 気にせず俺の側で勉強しろよ」
その言葉はまだちょっと胸が痛いけれど……アンジェリークは元気に返事をした。
「はいっ」
それなら彼の望むように最高の役者になってみせるだけである。



                                            〜 to be continued 〜






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