とっておきのTeaTime
エンジュの誕生日パーティーは大成功だった。 アンジェリークは一人先に下見や味見をしていたので自信はあったが、 エンジュやレイチェルにもとても良かったと言ってもらえてほっとした。 店の雰囲気も料理も文句なし。 店員のサービスもちょっと変わっているけれど、アットホームな感じで好印象だった。 聞けば接客マニュアルがないらしい。 無理に統一された口調にしなくて良いというオーナーの方針により、 個人の考える接客スタイルにしているとか。 それを聞いて驚いたのと同時にひどく納得してしまったのだ。 だからどの店員も自然体で親しみやすいのだな、と。 当然ここは三人のお気に入りの店となり、通うようになった。 一人で行ったり、二人や三人で行ったり、待ち合わせの場所にしたりと 財力的に週に一、二度くらいが限度だが、それでも常連客として覚えられ 親しいやりとりが交わされる程度には訪れていた。 「お前なぁ…ここは図書館じゃねぇんだぞ?」 「ええ。もちろん」 夏休み。 家で宿題や勉強するのにも飽きたアンジェリークは時々店でやるようになった。 落ち着けるし、長居してもかまわない店なのだ。 以前何時間も居座ってしまった時にアリオス達に確認したくらいだから間違いない。 アンジェリークはにっこり笑って呆れ顔のアリオスを見上げる。 「図書館よりはかどります」 図書館だと静かすぎてかえってやりにくいのだと愚痴るように零す アンジェリークにアリオスも頷いた。 「ああ、それは分かる気がするな。 俺も少し雑音あるくらいが集中できるな」 「あ、アリオスさんもですか?」 「まぁな…あ」 「え?」 アリオスがカウンター越しに腕を伸ばした。 男の人らしい、でも綺麗な指先がアンジェリークのノートの一点を指した。 「スペル違ってる」 「あ…」 間違いを指摘され、アンジェリークは僅かに頬を染めた。 そして視線を逸らしてぽつりと呟いた。 「…今度からカウンターでやるのは止めとこうかな」 「くっ…なんでだよ?」 「見られるのは恥ずかしい」 ましてやミスを指摘されるなんて。 「逆に感謝しろよ。 下手な教師よりよっぽど的確なアドバイスしてやれるぜ?」 「あはは…そういうことにしときます」 自信に満ちた不敵な笑みを見上げ、アンジェリークもそう思うことにした。 「受験生じゃなかったらわざわざここまで来て勉強なんてしないのに。 純粋にお茶だけ楽しめるのになぁ」 アリオスは膨れるアンジェリークに笑いながら言った。 「来るならこの時間にしろよ。客が少ないからな」 そしてアンジェリークが持っていたノートの白紙ページに アリオスはいくつかの曜日と時間を書いた。 「?」 なんだろう、という顔でその筆跡を見つめていると 書き終えたアリオスが顔を上げた。 その距離が意外に近くてどぎまぎしてしまう。 「アリオスさん?」 「俺のシフト」 なんとか平静を装って問いかけると彼は口の端を上げて言った。 「レオナードに聞いたところで役に立たねぇからな。 フランシスなんかは答えられるだろうが余計なことまで話し出しそうだ。 他のやつらよりも俺の方が絶対まともに答えられる」 「アリオスさんったら」 遠慮のない言い方にアンジェリークは苦笑した。 「でも、ありがとうございます。 アリオスさんがいる時を狙ってきますね」 彼が書いてくれたノートの一ページは今でも消すことができず そのまま大事に残っている。 その他にもあるところどころ説明のため書かれた文字をそっとなぞった。 自分のものとは明らかに違う筆跡。 勉強はもともと嫌いではなかったけれど、楽しいと思ったのは初めてだった。 「アリオスさん…」 告白した日から約一週間。 店に行こうと思っても、なかなか決心がつかなかった。 今まで通り来い、と言ってくれた。 また行く、と頷いた。 それでも躊躇ってしまう。 本当に行ってもかまわないのだろうか? アンジェリークはひとつ息を吐いてノートの上にぱたりと倒れた。 「相手の負担にならない告白ってあるのかなぁ…」 そうなるよう一生懸命考えたつもりだったが…。 できたかどうかは自信がない。 彼は大人だから…そう装ってくれただけかもしれない。 「…でもどうせこれからもレイチェル達と行くことになるんだし…。 平気なフリして行けるようにならないとなぁ」 この事はレイチェルにもエンジュにも言っていない。 自分とアリオスだけならともかく、他の人達の関係まで ぎくしゃくするのは避けたかった。 「あ〜…もう考えても仕方ないよね。 よし、行こうっ」 会いたい気持ちは今までと変わらずにあるのだから。 アンジェリークはコートを手に取り、自分の部屋を出た。 「こんにちは〜」 少し緊張しながら店のドアを開ける。 「よぉ、お嬢ちゃん。他のお嬢ちゃん達も来てるぜ?」 たまたま入り口付近にいたオスカーに教えられ アンジェリークはそのテーブルへと案内してもらった。 「アナタも息抜き?」 「私達も息抜きしようとして来たら鉢合わせたんだよ」 どうせ揃うなら前もって連絡して待ち合わせればよかったね、と三人で笑った。 「よぉ」 「こんにちは、アリオスさん」 いつものようにオーダーを取りに来てくれたアリオスにアンジェリークは微笑んだ。 いつもと変わらない彼を見て安堵した。 たぶん、自分もいつもと同じ笑顔にできたと思う。 「今日はなんにする?」 「ん〜…ココアかなぁ。 寒くなると飲みたくなりますよね」 「OK。すぐに用意してやる」 「はい」 「ケーキは今はモンブランとフルーツタルトが切れてたな。 それ以外はあったと思うぜ」 「ふふ、まだケーキも頼むなんて言ってないのに」 「お前が息抜きに来る時は必ず食ってるだろ。 それともいらなかったか?」 なら頼んでも持ってこないぜ、と意地悪くアリオスが笑う。 「やぁ〜…いるっ、いります! ミルフィーユもお願いします〜」 そんな二人のやりとりを見ていたエンジュが楽しそうに笑った。 「やっぱりアリオスさんとアンジェって仲良いよね〜」 「だよネ。絶対贔屓されてる、って思うもん」 「そうかなぁ」 アンジェリークは二人に曖昧に微笑んだ。 来て良かったと思った。 本当に今まで通り接してくれている。 まだちょっと切ないけれど、やっぱり会えると嬉しい。 また通っても大丈夫なのだと分かったので、 アンジェリークは安心して今までと同じように店を訊ねた。 「最近は勉強道具を広げていることが多いですね、レディ…」 「あ、フランシスさん」 「真面目に勉強に取り組む姿も良いのですが… やはり私は貴女の可愛らしい笑顔が見られず 小鳥のような声が聞けないのは寂しいです」 「もう…」 相変わらずの物言いにアンジェリークはくすくすと笑う。 この人との会話はアリオスとは違う意味で面白い。 傍から見ればからかっているのかと思われそうだが 本人は至極真面目に本気で言っている。 「もうすぐ受験ですからねぇ…。 その前に期末試験もあるし、模試も何度かあるし…がんばらないと」 「レディ…無理はしないでくださいね」 「ありがとうございます」 それでもフランシスは憂いを帯びた瞳でアンジェリークを見つめている。 「悩みがあれば…いつでも相談に乗りますよ」 「え…?」 「このフランシス、大切なレディの変化に…気付かないわけがありません」 見透かすような瞳をアンジェリークは呆然と見つめ返す。 「フランシスさん…」 流れるような仕種で差し出された指先がそっと頬に触れた。 「アリオスに相談できなければ私が聞きますよ」 「っ…」 本当にこの人は気付いているのかもしれない。 「第三者の意見が聞きたくなったら…いつでも声をかけてくださいね」 でも何も言わずに見守る姿勢でいてくれる。 アンジェリークの手を取り、彼は微笑んだ。 「プライベートな時間でも喜んでレディのために捧げますよ」 「てめぇは…仕事中に口説いてんじゃねぇよ」 そこには不機嫌な表情をしたアリオスが立っていた。 「あぁ…口説くなんて人聞きの悪い…ねぇ、レディ?」 「え…あ、はい。 大丈夫ですよ、アリオスさん。 フランシスさんはちょっと…心配してくれてただけなんです」 急に話を振られて戸惑ったが、なんとか笑って頷いた。 アリオスのことを話してたなどとは言わない方が良いだろう。 「だったらいいがな。むやみに触るな」 アリオスはまだ憮然としたまま、後半のセリフはフランシスに投げた。 彼は困ったように微笑んだまま肩を竦めた。 「私はレディを泣かせるようなことはしませんよ」 「………」 深くも取れる言葉を残して立ち去る彼をアリオスは鋭い瞳で見ていた。 「アリオスさん、どうかしました?」 「いや…なんでもない」 思いを振り切るように首を振ると、長い前髪がさらりと揺れた。 隠れがちな金色の瞳が一瞬だけ覗く。 そこにあるのは真剣な眼差し。 「う〜ん…なんでもないってカオじゃないみたいだけど…。 でもきっとアリオスさんなら、なんでもなくしちゃうんでしょうね」 「アンジェリーク…?」 「アリオスさんならどんな大変なことでも、どうにかしちゃいそうだもの」 たとえそれがどんなに苦労を伴っていても、 表面上はいつもの不敵な笑みで乗り越えてしまいそうだ。 アリオスははっきりと言い切る少女を見つめ、そしてふっと笑った。 「当たり前だろ」 「ったく、わざわざアリオスの前でアンジェリークに手を出しやがって」 レオナードは戻ってきたフランシスを睨みながら出来上がった皿を出した。 「なんのことです?」 フランシスは素知らぬ顔でそれをテーブルに運ぶ。 「まァ…はっきりしないアリオスも悪いがな」 来店した客を案内するアリオスと再び参考書に取り組むアンジェリークを 眺めてレオナードは小さく息を吐いた。 アンジェリークとアリオスは変わらずに距離を保っていた。 店で会っては世間話をして笑い合って。 親しいけれども、ただそれだけの客と店員の関係。 季節だけが移り変わっていく。 夏に出逢って、秋に失恋して、もうすぐ冬になる。 「ワタシ、この前のアリオスの誕生日に告白するものかと思ってたヨ」 ささやかながら店の仲間とアンジェリーク達で彼の誕生日を祝った。 アンジェリークも皆と同じようにプレゼントを渡した。 どうやらレイチェルはその時に告白すると踏んでいたらしい。 というかそう仕向けるべく、企画したのかもしれない。 もうすでに振られたとは言えないアンジェリークは苦笑した。 「そんなつもりはないよ」 お祝いができればそれでかまわない。 軽い気持ちでプレゼントを渡して、受け取ってもらえればそれでいい。 気持ちはあの頃から変わらないけれど…それを表立って引きずる気はなかった。 「私にはエルンストがいるし、エンジュにも彼氏ができたし…。 アンジェにも幸せになってほしいよ」 「ん〜…そうだねぇ。 でも受験が終わって一段落するまではねぇ…」 「アンジェはアリオスが好きなんじゃないの?」 どうもこの手の話題になると彼女は上の空というか…意図的に話をはぐらかす。 親友だからそんなことくらいとっくに気付いていた。 「好き、と言えば好きだけど。 でもフランシスさんもレオナードさんもオスカーさんも… お店の人全員に言える類の『好き』よ」 いつか話してもらえるだろうと思っているけれど、それはまだのようである。 レイチェルは溜め息混じりに呟いた。 「…そうなんだ」 ずっと変わらないだろうと思っていた二人の関係に変化が訪れたのは突然だった。 最近ではカフェで参考書を開くことも多くなっていた。 そんなアンジェリークにココアを運んできたアリオスが不思議そうに訊ねる。 「そんなに必死でやるもんか? ここのところ、いつもだな」 「必死に見えるかなぁ。 別に深夜まで勉強したり徹夜したりはないけれど…」 アンジェリークはペンを置いて、首を傾げながらアリオスからカップを受け取った。 「俺はお前ほどやった記憶はねぇけど?」 「アリオスさんは要領よさそうですもんね」 アンジェリークはくすくすと笑った。 「ちょっと勉強して、すぐにコツ掴んじゃいそう。 私は…ベストは尽くそうっていう感じで、ね。つい」 無理はしないけれど、できるだけのことはする。 「優等生タイプだな。成績も良いんだろ」 「えへへ〜。 アリオスさんは頭の良い問題児だったでしょう?」 お返しとばかりにアンジェリークが言った言葉は図星だったらしい。 「…悪いかよ」 少し言葉を探す素振りを見せた後、開き直ったかのようにアリオスが頷いた。 「やっぱり〜」 「あーもー、遅くならねぇうちに帰れよ?」 「はぁい」 楽しそうな笑顔でアンジェリークはアリオスの背中を見送る。 好き。 この気持ちはきっと前より強く深くなっている。 出逢った頃より色々な彼の一面を知った。 諦めるどころか惹かれていくばかりである。 いつか諦められる時が来るのだろうか、と不安に思うことがある。 今は楽しさと一緒に切ない苦しさが少しだけ混じっているけれど…。 そのうち消えるだろうか。 会わなければ忘れられる、とは思えない。 第一、変わらずに親友達がここを訪れる中 自分だけここを避けるのは不自然に思われてしまう。 ふと人の気配を感じてアンジェリークは思考を中断して顔を上げた。 アリオスか他の店員が来たのかと思った。 しかし、目の前にいたのはその誰でもなかった。 同じ学校の制服。 この店は生徒にはあまり知られていないようでアンジェリーク達以外で 制服姿を見かけるのは珍しい。 しかし、それ以上に珍しいことに、ここの客は店員の性質上 ほとんどが女性だというのにそこにいたのは男子生徒だったのである。 「あ…」 しかもアンジェリークには覚えのある人物だった。 「今の男が君が好きだと言っていたやつ?」 「あなたには…関係ない…」 アリオスに迷惑をかけるかもしれないと思うと頷くことも出来ず、 だからといって否定するのは心が嫌がった。 硬い表情と声でアンジェリークは答える。 「全然関係ないとも言えないと思うけど。 まぁ、君の顔を見れば分かったよ」 あれほど華やいだ笑顔を見れば分かる。 ましてや自分の好きになった少女の表情だ。 「やめておけって、あんなやつ。 遊ばれてるだけだ!」 いかにも遊び慣れていそうな外見、女性客の扱い。 そこから彼は判断したらしい。 しかしアンジェリークははっきりと否定した。 「そんなことない…あの人は違う」 それは誰よりアンジェリークが知っている。 遊べるような人なら自分が告白した時に断ったりしなかった。 あんなに真面目に謝らなかった。 一時でも夢が見られるなら…いっそのこと遊ばれても良かったのに。 だがアリオスは決してそうはしなかった。 「それか君が客だからイイ顔してるだけだろ」 そうかもしれない、と心が揺れる。 だけど確かに他の客より気にかけてもらっているという自覚もある。 だから静かに首を横に振った。 しかし、彼はアンジェリークが完全にアリオスに夢中になっていて、 ただ頑なに否定しているのだと思ったらしい。 苛立った様子で声を荒げた。 「とにかくこんな店は出るんだ!」 「やめてっ…他のお客さんにもお店にも迷惑よ」 何事かとこちらをちらちら見ている他の客達。 心配そうにこちらへやってくるレオナードやフランシスの姿が見える。 「こんな店、君が来るべきじゃない」 「そんなこと、あなたに決められたくない」 今まで困ったように返事をするだけだったアンジェリークが この時初めて強い意思表示をみせた。 「この…」 強い拒絶が彼の怒りを煽ったようだった。 アンジェリークの手首を捕まえ力尽くで席から立たせようとする。 「っ…」 アンジェリークは痛みに眉を顰めたが、次の瞬間には目を丸くしていた。 「何してんだ」 呆れと、そしてそれ以上の怒りを含んだ眼差しでアンジェリークの手を掴んだ 少年の手を掴んでいるのはアリオスだった。 「痛っ…そっちこそ、これが客に対する態度か?」 相当の力が加わっているのだろう。 すぐにアンジェリークの手を離した少年の表情は苦痛を表していたが、 相手がアリオスだと分かると敵意のこもった瞳で睨み返した。 しかしアリオスは涼しい顔をして手を開き、彼を突き放した。 「ああ、確かに客に対する店員の態度としてはまずいよな」 不利となりそうな現実を認めながらも不敵な笑みは消えない。 「だが、自分の女にちょっかいだされた男としては大人しすぎると思わないか?」 「アリ…」 言いかけたアンジェリークを背中から抱きしめ、 切れそうなほど鋭い瞳は少年を捕らえる。 「ここが店の中じゃなかったら、蹴りか拳の一発はくれてやったぜ」 低い声。 脅しではなく紛れもない事実だろうと思える冷たい表情。 そしてきっとその一発とやらは一撃必殺のものだろう。 「っ」 殺気すらこもるその様子にただの高校生が太刀打ちできるわけがない。 「こいつは俺のだ。 ガキが手を出すんじゃねぇよ」 アンジェリークはアリオスの言葉を呆然としながら聞いていた。 ただ守るように抱きしめる腕がこれは現実だと教えてくれる。 「そういうこった。 馬に蹴られる前に退散した方が良いぜェ?」 「レディへの礼儀がなっていませんね…。 まずは自分を磨いてから出直してください」 軽い口調で何か言いながらレオナードが少年を入り口へと連れて行った。 「ああ…レディ達…。 楽しい一時をお騒がせして申し訳ありませんでした。 このフランシスが代わりにお詫びいたします」 そして言葉通り各テーブルへ行って、話をしている。 女性客達は頬を染めながらうっとりと微笑んだり、相槌を打っていた。 「あいつが適当に場を和ますだろ。行くぞ」 「え? あ、あの…どこへ?」 まだ肩を抱かれたままアンジェリークはアリオスを見上げた。 「とりあえず場所を移した方が良さそうだ。 それともお前、ここに居続ける度胸あるか?」 からかうような瞳にアンジェリークは勢いよく首を横に振った。 アリオスはその様子に喉で笑い、アンジェリークを連れ出した。 〜 to be continued 〜 |