とっておきのTeaTime


初めて店の内側に入り、小さな部屋に案内されて、ソファに座る。
事務所兼休憩室なのだろう。
それらしき書類やPCなどが揃っているし、デスクとは別にテーブルセットがある。
アンジェリークが座ったのはそちらの方だった。
「ごめんなさい…迷惑をかけて」
「お前が悪いわけじゃないだろ」
アンジェリークが一言謝ったその後、アリオスはすぐに出て行ったので
部屋は居心地が悪くなるほどしんと静まり返った。
「…っ…」
さっき掴まれた手首が痛んだ。
見れば少し赤くなっている。
アンジェリークはやるせない気持ちで小さく息を吐いた。
「…誰かが悪いわけじゃない…」
言い聞かせるように呟く。
「そうやって我慢してたのか?」
「アリオスさん…」
戻ってきたアリオスに聞かれたのだと気付いてアンジェリークは振り返った。
「ほら、とにかく手、出せよ」
言われるままに手を差し出すと、アリオスは隣に座って
アンジェリークの袖をまくり、濡れたタオルを当てた。
「あ、ありがとうございます。でも、冷やすほどじゃ…」
しかし、彼は有無を言わさず、まるで汚れを拭うように優しく包んだ。
それをアンジェリークはただぼうっと見ていた。
「あの…」
何かを言いかけようとするのだが、それ以上は言葉にならず
困った表情で自分の腕とアリオスの手を見つめている。
大きな手。長い指先。アンジェリークの腕を簡単に包んでしまう。
「言いたくなかったら話すな。
 話して気が楽になるなら聞いてやる」
アンジェリークにとってその声はとても心地良く、ようやく強張っていた気が緩んだ。
「………。
 聞いてほしい、です…」

散々躊躇った後にそう言ったものの、先程のショックが尾を引いているのか
アンジェリークはうまく説明の言葉を組み立てられない。
どう話すべきか考えている少女にアリオスが声をかけた。
「さっきのやつはまさかお前の『彼氏』じゃねぇよな?」
静かな声にアンジェリークは弾かれたように反応した。
「違います! 絶対そんなんじゃない。
 私が好きなのは…っ」
もう言わない。自らに禁じたし、彼にも宣言した。
だからそれ以上は言えずに口篭った。
アリオスはただ頷いてくれた。
「そうだな…」
それがきっかけだったように思える。
アンジェリークはぽつぽつと話し始めた。
「ずいぶん前にあの人に付き合ってほしい、と言われて…。
 でも断ったんです」
もうその時にはアリオスが好きで、他の人が入り込む余地などなかった。
「だけど…」
はっきり断ったけれど…諦めてもらえない。
「他の男の子と話してたりすると怒るし。
 なぜか今でもそういう干渉してきて…」
「ったく、引き際悪い野郎だな」
忌々しそうに呟くアリオスにアンジェリークは苦笑した。
「悪気はないと思うんです…」
確かに迷惑だと思うし、はっきりと告げているのだが
根本にあるのは自分への想いだからあまりひどく責められない。
叶わなくても諦められない気持ちは痛いほど分かる。
言うべきことは言った。
彼にも自分にもこれ以上できることがないように思えた。
時間が解決してくれるのを待つつもりだった。
「でも、まさかここまで来るとは思わなかった…」
今までは学校内だけだったのに。
「ごめんなさい…」
悔しいのか悲しいのか、我慢しきれなくなった涙が零れてきた。
「迷惑だけは、かけたくなかったのに…」
「…なるほどな」
「え?」
包むように抱き寄せられ、アンジェリークはアリオスの腕の中に閉じ込められた。
宥めるように背中を軽く叩かれる。
まるで子供にするような仕種だったが、とても安心した。
「お前があっさりすぎるほどあっさりしていたワケがわかった」
アリオスに告白する時もその後も。
告白される立場を知っていたからこそ、気を回しすぎるくらいに回していたのだ。
優しすぎる少女の性格なら頷けた。
「お前、あいつよりよっぽど男前だ」
「…アリオスさん、それ褒めてるんだか分からないです…」
アリオスは喉で笑いながら、アンジェリークを抱きしめていた。
「今日脅しておいたから、多分もう大丈夫だろ」
「だと良いですね。
 あ、そうだ」
アンジェリークはアリオスの腕の中から抜け出し、彼を見つめた。
「さっきはありがとうございました。
 その場凌ぎの嘘でも…助かりました」
本当に嬉しかった。
あんな風に言ってもらえて、本物の彼女のように守ってもらえて。
「タオル、ありがとうございました。
 すぐに消えると思うし、大丈夫ですよ」
抱きしめられた拍子に落ちたタオルを拾い、テーブルの上に置いた。
安心させるように腕を見せて、笑顔を浮かべる。
アリオスは確かめるようにアンジェリークの手首を引き寄せた。
「ア、アリオスさんっ?」
まだ痛々しいほど赤い手首に口接けられアンジェリークは声を上げた。
冷えた腕にはアリオスの唇が、吐息がとても熱く感じる。
「っ…」
その熱が全身に伝わるようだった。
ぞくりとする感覚にきゅっと目を瞑った。
「…アリオスさん?」
声をかけてもアリオスは答えてくれない。
アンジェリークの腕に何度も口接けているだけ。
さらさらの銀髪が時折、腕をくすぐる。
抵抗することも忘れて綺麗な横顔に見惚れてしまう。
伏せた瞳を見つめ、思ってたよりもまつげが長いなぁと気付いたり、
すごくドキドキしてるのはバレているだろうなぁとどこかでのん気に思った。
口接けている場所が場所だけに脈拍が分かりやすいだろう。
しばらくしてからアリオスは解放してくれた。
離れた熱が少しだけ寂しい。
「あの…?」
わけが分からずアンジェリークは戸惑いの表情でアリオスを見上げた。
「ここに残ってんのはあいつの掴んだ跡じゃない。
 俺がつけた痕だからな」
「あ…」
アリオスが何をしていたか、自分の腕を見てアンジェリークはやっと理解した。
そして、瞬時に真っ赤になった。


「送ってきたぜ」
アンジェリークは近所なのだから大丈夫だと遠慮したのだが、
皆に反対され強制的にアリオスに自宅まで送り届けられた。
戻ってきたアリオスにフランシスが声をかける。
「レディのご様子は…?」
「ああ、あいつは見た目より強いぜ。
 落ち着いてたから大丈夫だろう」
どちらかと言えば落ち着いた少女を動揺させたのはアリオスである。
「それにしてもお前らいつの間にデキてたんだ?
 良い雰囲気なのにいつまで経ってもくっつかねぇから
 周りの方が焦れてたってのによォ」
「ああ言った方が手っ取り早そうだったから言っただけだ」
「では、レディとは…?」
「別になんでもねぇよ」
涼しい顔で否定するアリオスに二人は驚きの表情を見せた。
「あいつもその場凌ぎの嘘だって認識してたしな」
「しかし、レディの…本当の気持ちは…」
言いかけて…自分が言うべきではないと止めたフランシスの言葉を
アリオスはあっさりと継いだ。
「知ってる」
「だったらどうしてさっさと自分のものにしねェんだ?
 お前がアンジェリークを気に入ってんのは分かりきってることだろ」
「ああ、気に入ってる。だが、それだけだ」
もうこれ以上話すことはない、とばかりにその場を去ろうとするアリオスの肩を
レオナードが掴んで止めた。
「お前、自分の言ってる事とやってる事矛盾してんの気付いてねェのか?」
「…何が言いたい?」
アリオスの瞳が険しく細められた。
人を怯えさせるには十分の迫力。
しかし、レオナードはかまわず続けた。
「夏の短期間だけここにいる予定だったお前が
 無理してでもまだいる理由はアンジェリークだろうが」
「…読み違いだ」
アリオスは硬い声で言い捨てた。


「ったく頑固なやつだぜ」
平行線を辿るだけの会話が終わった後、レオナードが眉を顰めた。
「彼には彼なりの理由があるのでしょうが…」
「惚れた女をものにするのに躊躇う理由がどこにある?
 ましてや想い合ってんのが分かってるってのに」
心底不思議そうにレオナードが言えば、フランシスはこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「あなたのように即座に口説くのも問題だと思いますけれどね…」
「な・ん・だ・とォ?」
フランシスは芝居がかった仕種で首を振った。
「熟考の余地を与えず、相手の承諾を得るなど…まるで詐欺です。
 ああ、レディがお気の毒…」
「てめぇ…」
散々な言われようにレオナードはこめかみをひくつかせる。
「確かに速攻口説いたが、今のエンジュ見てどこが『お気の毒』なんだよ。
 俺はあいつを大事にしてやってるぜ?
 あァ?」
誕生日パーティー当日、アンジェリークが連れてきたエンジュを見初めて
その日のうちに口説き落としたのは真実だが…聞き捨てならない。
「あの能天気なお元気娘のどこに『お気の毒』な陰があるんだ、コラ」
「能天気で悪かったわね…」
フランシスに詰め寄っていたレオナードがぎくりと振り返る。
彼曰く、『能天気なお元気娘』にあたる少女が後ろで腕を組んで立っていた。
「なによ、そろそろ上がる時間だから、一緒に帰ろうかなぁ…って
 せっかく寄ってあげたのに!」
タイミング悪く最後の部分だけを聞いたらしいエンジュが頬を膨らませて睨んでいる。
「そーんなこと言われてるなんてね。
 もう、いい。帰る」
「おい、コラ。エンジュ」
エンジュはぷいと拗ねた表情で踵を返した。
「てめぇ、どうせ聞くなら最初っから聞いとけよ。
 …じゃなくてだなぁ…とにかく待てって」
本当に帰ろうとするエンジュを抱きとめて拘束する。
じたばた逃げようとする腕の中の元気の良い仔兎の頭の上で彼は小さく息を吐いた。
「お前のお気に入りケーキと俺様特製コーヒーで手を打たねェか?」
「…また食べ物で釣ろうとする」
そうは言うものの少女が大人しくなったあたり効果はあったようである。
「不服なら大サービスで俺様のキスもつけてやろう」
「え?」
間髪入れずに顎を持ち上げられ、唇を奪われたエンジュは目を見張る。
「ば、ばかっ、こんなところで!」
幸い周囲に客はいないが、すぐ側にフランシスがいる。
頬を染め文句を言うだけならば、可愛らしいだけだが…。
この少女はレオナードと渡り合えるだけあって手も早い。油断ならない。
持っていた鞄ごと殴りかけた手を捕まえて、彼は余裕の笑みを浮かべる。
「舌は入れてねェだろ」
「そういう問題じゃない〜!」
再び始まる痴話げんかにフランシスは溜め息を吐いた。
「やはり…レディがお気の毒です…。
 こんなケダモノに…」
ひっそりと漏らした言葉は仲の良いケンカを繰り広げている
二人の耳には入らなかったようである。






「あれから一度もこねぇなァ、アンジェちゃんはよ」
「忙しいんだろ」
二週間ほど経つが、彼女は姿を見せなかった。
前回のことを気にして来ないのか、
それともアリオスが言う通り忙しいだけなのか…。
「ちっ…気にいらねェ」
グラスを磨きながらアリオスは皮肉げに言った。
「何を苛立ってんだよ?」
「お前にだよ。このひねくれもの」
アリオスが少女のことを大事に想っているのは目に見えている。
それなのに抗うその態度がアリオスらしくなくて
レオナードには納得いかなかった。
「またか…」
うんざりしたようにアリオスは肩を竦めた。
「放っておけっつっただろ」
彼は仲間だと認めた相手のことは気にかけてしまう性格なのだ。
言っても無駄なのは分かっていたがアリオスは繰り返した。
「口出し無用だ」
「お前だって本当は気にしてるくせに」
「………」
アリオスが黙り込んで会話を打ち切ってしまったその時、
賑やかな少女が勢いよく店に入ってきた。
「チョット!
 あのバカがここに来たってホント!?」
「…どのバカだ?」
「おい、そこでどうして俺様を見るんだよ」
アリオスの視線を嫌そうに受け止めてレオナードが呟いた。
「アンジェに付きまとってるあのバカよ!」
レイチェルはヒステリー気味にカウンターに飛び乗った。
「ワタシ、昨日エンジュに聞いたんだけど…
 あ、エンジュはアナタから聞いたらしいネ」
レイチェルはレオナードを見て確認した。
「ああ、その話か。
 まァ…一応もう大丈夫だとは思うが気をつけて
 アンジェリークの側にいてやってくれ、て言ったな」
「もう、アンジェったらワタシ達に心配かけたくなかったんだろうけど…。
 何も言ってくれないんだもん」
悔しそうにレイチェルが呟いた。
「で、それを確認しに来たわけか?」
いつものように冷静なアリオスにレイチェルは不機嫌な表情で頷いた。
「半分アタリで半分ハズレ」
「もう半分は?」
「アナタに言いたいことがあってネ」
「俺に?」
「そ。アナタ、アンジェのことどう想ってる?」
ストレートな問いにアリオスは呆れたように返した。
「親友と言えど、でしゃばりすぎじゃねぇか?」
「そうかも、とは思うケド?
 それに関しては後で反省するなり、後悔するなりするわよ」
見事な開き直りにレオナードは思わず吹き出した。
それを一睨みして、レイチェルは話しだした。
「あのねー、私達って今年で卒業じゃない?」
「「?」」
「これから盛り上がる冬のイベントあるし、もうちょっとしたら受験でばたばたするし。
 これが最後のチャンス!とばかりに告白するコ達多いんだよね」
レイチェルは眉を顰めて、髪をかきあげた。
「アンジェはあの通り、見た目も中身もすっごく!可愛いから
 やたら告られるワケ」
親友の贔屓目もあるのだろうが、それでも二人ともなんとなく納得はできた。
たとえ断られるにしても、ひどい振られ方はしないだろうという
雰囲気が彼女にはある。
ダメ元で言ってみる者がいても不思議でもなんでもない。
「たいていはあっさり引き下がってくれるんだけど…
 中には困ったヤツもいるし?
 そうでなくても、断る度アンジェの方が罪悪感ですっごく落ち込むし」
「だろうな…」
あの少女は他人に優しすぎて、結果的に自分の首を絞めている。
せめて告白する時くらい、自分のことだけ考えれば良いのに…。
アリオスはアンジェリークのことを思いながら頷いた。
「ワタシは彼氏いるの知られてたからそういうの無縁だったし。
 エンジュもモテてたけど、ここで彼氏出来てからは落ち着いたし」
「なに?
 あいつに手を出そうとしたやつがいるのかよ?」
「たくさんね」
面白くなさそうな声をさらりと受け流してレイチェルが言った。
「だからアンジェにも虫除けが必要だなぁ、ってつくづく思うんだよね」
「虫除けかよ」
人をなんだと思ってやがる…そんな意味を込めて呟いたら
にっこりと強気な笑顔で返された。
「そ。アナタならとっても優秀な虫除けになりそう。
 ていうかアナタ以外はアンジェが受け入れないと思うもの」
すぐに笑顔は消え、深刻な表情に戻ったが。
「でもなぜか無理してでもアンジェはアナタを諦めようとしてる」
「………本当に何も言ってねぇんだな」
どうやらアリオスがアンジェリークを振ったことは伝わっていないようだった。
「え?」
「いや、なんでもない。
 この俺をけしかけたこと、後悔すんなよ?」



更衣室で着替えた後、一服しているアリオスにレオナードが声をかけた。
「とうとう年貢の納め時か?」
「さぁな」
ラフなスタイルのレオナードに対して、アリオスはきりっとしたスーツである。
ソファに背を預け、天井を睨みながら紫煙を吐き出した。
「小娘にはっぱかけられたくらいで動けるか。
 …なんのために一度振ったと思ってやがる」
「はァ?」
「…でかい声出すなよ」
思い切り大きな疑問の声にアリオスは眉を顰めた。
「振った…って、アンジェリークを?」
嘘だろ…と目を丸くしている彼に憮然とした表情で頷く。
「なんでだよ?」
「あいつはダメだ」
タバコを揉み消し、自分に言い聞かせるように答えた。
「あいつだけはダメだ」
「アリオス…お前…」
「アリオス! 大変や!」
二人の会話を邪魔する形で事務所のドアが勢いよく開いた。
現れたのはこの店のオーナーであるチャーリー。
やたら慌てて来たようで、息を切らしている。
「どうした?」
「は〜…あんた携帯の電源切ったままやろ…」
「そうだったかもな」
それがどうした、と言わんばかりのアリオスにチャーリーは
いつものおどけた様子はなく、真面目な顔で告げた。
「ちょっとした筋から仕入れた情報なんやけど、アンジェちゃんのこと
 じーさんばーさん連中にバレたやろ?」
「なんだと…?」
話の見えないレオナードは訝しげな表情をし、
アリオスは剣呑な表情になった。
「少し前にアンジェちゃん自身に接触あったとみて間違いないで」
「だからそりゃいったいなんの話だよ?」
「あ〜レオナード、いたんか…」
「ずっとここにいただろうが。で、どういうことだよ?」
よっぽど慌てていたのだろう。
チャーリーは今更気付いたように視線を泳がせた。
「…それはまぁ…海より深〜く、水溜りより浅〜い理由がなぁ…」
レオナードの追求にチャーリーが言葉を濁す。
「ワケわかんねェよ。
 ちゃんと説明しやがれ」
押し問答に発展しかねない二人を止めたのはアリオスだった。
アリオスにはそのつもりはなかったのだが、結果的にそうなった。
「ったく、人が珍しく我慢してれば…
 どいつもこいつも好き勝手やりやがって!!」
がん、と遠慮なく拳が壁に叩きつけられ、かかっていた額がその衝撃に揺れた。

「………マジご立腹だなァ」
「………しばらく近付かん方がええで」
怒りの形相のまま出ていくアリオスを首を竦めて見送った二人は口々に呟いた。



                                〜 to be continued 〜







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