とっておきのTeaTime
アルヴィース財閥の総帥に釣り合う女性になる。 認めさせてみせる。 そんな気合いと共に彼との生活を始めて一週間。 覚えたことと言えば、料理や掃除、洗濯。 つまりは生活するのに必要なスキル。 あとは…と考え、アンジェリークは今もベッドの中で抱きしめてくれている アリオスを見つめて頬を染めた。 あと覚えたことは…キスと彼のベッドで眠ること。 それら以外はまだ特に何も習得していない。 「ねぇ…アリオス?」 今夜も肌を重ねて愛し合い、まどろみの中でアンジェリークは訊ねた。 「ん?」 まだ足りないのか、アリオスは答えるついでにキスを奪う。 「私…何も覚えてないんだけど…大丈夫なの?」 「イロイロ覚えただろ」 アリオスは意味ありげに笑うと、再び絹のような肌に触れていく。 「…っ…やん…アリ、オス…」 イタズラな指先と唇に煽られて身体が熱くなる。 甘い吐息を零しつつ、アンジェリークは身を捩った。 「もぉ…真面目に、話してるのに…」 拗ねたように頬を膨らませるとアリオスは少女の身体を組み敷いて 面白くなさそうに答えた。 「今更、花や茶だとか…そういう稽古事をやらせるつもりはねぇよ」 「え?」 「ガキの頃から叩き込まれてるやつらに付け焼刃で敵うもんでもないだろ」 「…そうだけど」 「パーティーや会食には時々連れ出すことになるから テーブルマナーとか行儀作法は少しばかり覚えてもらうがな」 「うん」 そして思い出したようにアリオスが言った。 「ああ、そうだ。今度パーティーがあるから後で作法を教えてやる。 お前のお披露目パーティーだ」 「ええ〜」 そんなことまでするのか、とアンジェリークは不安そうな表情を見せる。 パーティーへの参加はいつかは来るだろうと覚悟していたが、 いきなり自分がメインのパーティーになるとは思わなかった。 「お披露目パーティーっつっても 表向きは誰かが適当な口実作って開くパーティーだけどな」 主役として皆の前で挨拶をする必要などはないが 注目される覚悟はしておけ、とアリオスは言う。 「俺が側にいるし、立食パーティーだから気楽にかまえてていいぜ」 「……うん」 アンジェリークは釈然としないものを感じながら頷いた。 じっとアリオスを見上げる。 薄暗い部屋の中、優しい金と碧の瞳が自分を映している。 僅かな明かりを受けて銀色の髪が艶やかに光を弾いている。 抱きしめてくれる腕がどんなに優しくて、激しいか知っている。 ここで教えられた。 誰よりも近くにいられるのは嬉しいけれど…。 「どうした?」 栗色の髪を梳く指先が優しくて気持ち良い。 「ん…思ってたより覚えることなくて…。 なのにどうしてここに住むことになったんだろう…って思ってた」 実家にいながらでも習得できそうな感じである。 「…帰りたいか?」 静かな問いにアンジェリークは慌てて首を振った。 「そんなことないよっ。 大好きなアリオスと暮らせて、こうして一緒にいられてすごく嬉しい。 ずっとこうしていたいって思ってる」 「だったらそれでいいじゃねぇか」 「そうなんだけど…大変だと思って覚悟してきたのに、 幸せすぎて本当にこれでいいのかなぁ」 拍子抜けしちゃう。 アリオスの腕に擦り寄ってぽつりと零すと上から苦笑が降ってきた。 「実際必要なのは他のやつらからつけられる難癖を受け流したり、 返したりする度胸や根性くらいだ。 誰に何を言われても俺に愛されてる自信と 誰よりも俺を愛してる自信を持ってればそれでいい」 掠めるように口接けて…アリオスは口の端を上げた。 「深く考えんなって。 俺がお前と一緒にいたいから連れ込んだだけだ」 「え…?」 本業の合間を縫って、カフェにいる間しかアンジェリークとは会えない。 アンジェリークも実家暮らしだから、すぐに帰宅してしまう。 一緒にいる時間が欲しかっただけだ、と白状した。 目を丸くする少女にアリオスは忌々しげに眉を顰めた。 「この俺が珍しく自分の気持ちを抑えてたってのに… レオナードやフランシス、お前の親友にも好き勝手言われるわ、 どこぞの勘違いしたバカが勝手にお前に手を出すわで…」 「…?」 「もう知るか、って思った。 俺は俺のやりたいようにやる」 そこにあるのはアリオスらしい表情。不敵な笑み。 「誰が何と言おうと俺はお前しか欲しくない」 自分の目の届かないところで彼女が巻き込まれるのは御免だから。 いつでも自分の手の届くところに彼女にはいてほしいから。 ただそれだけのわがままだ、と告げる。 「アリオス…」 その言い分に呆気に取られ…しかし、彼らしくて笑ってしまった。 「大好き」 アンジェリークは花が開くように微笑んで囁いた。 どうしようもなく好きだと。 「お前は普段通りでかまわない。 俺達の仲をやつらに見せつけてくれればそれでいい」 「うん…わかった」 「…と言うわけで今度お披露目パーティーに行くことになってるんだよね。 今はアリオスと行儀作法の練習してるの」 緊張しちゃう、と呟いたアンジェリークにレイチェルとエンジュは 気楽に励ましの言葉を贈った。 どうせアリオスがいるのだから大丈夫だろう、と。 「おまけにお披露目パーティー終わるまではこのお店以外は あまり一人でうろつくな、って言うし…。 アリオスやレイチェル達と一緒ならかまわないんだけど…」 「エ〜、それって束縛しすぎじゃない?」 レイチェルが不満げに呟くと、ちょうど店を訪れ一緒にお茶を飲んでいた チャーリーがフォローをいれた。 「まぁ、お披露目パーティーで正式に紹介されるまでは用心するに 越したことないで。 一応アリオスが牽制したから妙な手出しするやつはおらんはずやけど…」 「牽制ですか?」 エンジュの問いに彼は大真面目に頷いた。 「アンジェちゃんおらん方が都合が良い連中ってけっこう多いからなぁ…。 邪魔するやつもおるんよ」 「へぇ〜、そうなんですか」 「前の会議でちらっとアンジェちゃんの話が出たんやけどな。 あの時のアリオス、すごい迫力だったで」 「アンジェリークに手ぇ出したら殺す、って空気だったよなァ。 役員連中を怯えさせてたぜ」 彼には総帥よりもよっぽど似合う職業がある、とレオナードが笑う。 「しゃーないやろ。 一度アンジェちゃんに忠告しに来たやつもおるんやし」 レイチェルは以前にアリオスが言ったことを思い出した。 『この俺をけしかけたこと、後悔すんなよ?』 彼はこれを危惧して動けなかったのか、と。 そんな問題を抱えてる相手だとは思っていなかったが…。 親友の恋人としては少々不安材料があるのだが…。 今のアンジェリークを見ていると後悔はしていないとレイチェルは言い切れる。 どんなに前途多難でもこの少女はマイペースにがんばるだろうし、 アリオスがついていれば大丈夫という気がする。 のんびりお気に入りケーキを食べているアンジェリークと 視線が合ったレイチェルはにっこり笑って頷いた。 「アナタ達なら大丈夫ダヨ」 パーティー当日。 アルヴィース家の屋敷のひとつでアンジェリークは支度をしていた。 アリオスと一緒に買いに行ったワンピースやアクセサリーをつけて、 髪やメイクもきちんと整える。 「用意できたか?」 「うん」 アリオスは緊張に僅かに震える少女の手を取って薬指に口接けた。 そこにはアリオスから贈られた指輪。 言葉などなくても十分に気持ちは伝わった。 励まされた。 「大丈夫よ」 自分に言い聞かせるようにアンジェリークは微笑んだ。 純粋にパーティーに参加できるというだけなら喜べたのだろうが 周囲は敵だらけ、と思うと緊張を隠せない。 それでもアリオスと一緒なら怖くない。 「一緒に戦うって言ったもんね」 アンジェリークの強がりにアリオスはふっと笑った。 「まだ不安そうならもうひとつ励ましてやろうかと思ったんだがな」 「もうひとつ?」 アリオスの指先がアンジェリークの唇をなぞる。 「必要ないか?」 察したアンジェリークは頬を染めてくすりと笑った。 「私にはもう必要ないけど…アリオスを励ましてあげるよ」 いたずら好きな子猫のような瞳でアリオスを見上げる。 「くっ…。 じゃあ、してもらおうか」 苦笑を零したアリオスが背を屈めた。 アンジェリークも背伸びをして、彼の首に腕をまわして引き寄せた。 触れるだけの一瞬のキス。 「はい、終わり」 身体を離そうとしたが、アリオスがしっかり抱きしめているので動けない。 「アリオス?」 「俺を励ますんだったらあれくらいじゃな…」 どうやら今のキスではお気に召さなかったらしい。 アンジェリークは余裕の笑みを浮かべたままやり直しを催促する彼を 真っ赤になって睨んだ。 「もぉ…調子に乗らないの。 口紅落ちちゃう」 「責任持って直してやるよ」 「ヘンなの…」 アンジェリークはアリオスの腕の中で心底不思議そうに呟いた。 「すごく落ち着いてる」 「効果があったみたいで良いじゃねぇか」 「それはそうなんだけどね…」 ちょっと前まで震えるくらい緊張していた。 アリオスとキスしている時は心臓が壊れそうなくらいドキドキしていた。 なのにいつの間にかとても落ち着いている。 「アリオスのキスは不思議ね」 「俺からすればお前の方がよっぽど不思議だけどな」 「?」 彼女の一挙一動がどれだけアリオスを振り回すか。 その影響力を彼女本人は知らないだろうが、アリオス自身でさえ 戸惑いを覚えるほどである。 今まで他人に気持ちを左右されることなどなかったのに。 彼女が笑っていれば嬉しいし、 泣かれたりしたら内心とても慌ててしまう。 大切すぎて、手に入れることを躊躇った。 だが、その迷いを振り切るきっかけをくれたのも彼女だった。 『アリオスさんならどんな大変なことでも、どうにかしちゃいそうだもの』 確信を持って言う少女の一言が背中を押してくれた。 どんなことがあっても、自分がどうにかすれば良い。 アリオスも確信できた。 アンジェリークとなら大丈夫。 アンジェリークでないと駄目だ。 「アリオス?」 「愛してるぜ?」 囁いて頬に口接ければ、一瞬だけ驚いた表情を見せ、 そして微笑んでお返しとばかりに頬にキスをくれた。 「私もよ」 屋敷の中でも最も大きな広間にはすでに大勢の人が集まっていた。 明るい陽の光が壁一面のガラスを通して、広間に溢れている。 雰囲気的には和やかな午後のお茶会。 しかしアリオスと共にそこへ足を踏み入れた途端、視線が集まるのを感じた。 視線って刺さるものなんだなぁ…とどこかのん気に思う一方、 その圧力に立ちすくみそうになる。 エスコートしてくれているアリオスの腕がとても頼もしかった。 どこに視線を向けたら良いのか困って、俯きたくなる気持ちと戦っていると アリオスが耳元で囁いた。 アンジェリークがアリオスを見上げ、苦笑に近いやわらかい笑顔を向ける。 それだけで二人の親密さは伝わるようだった。 少なくとも…実は想いを伝え合ってまだ日が浅いなどと思う者はこの場にいなかった。 疲れたら壁際のソファか、テラスの席に移ろうと事前に話をしていたが 一ヶ所に落ち着いてしまったら抜け出すのが困難になるので、 できるだけ歩き回れる位置に二人はいた。 案の定、代わる代わる二人に話しかけてくる人数は相当なものだった。 アンジェリークはアリオスと共に無難に挨拶と会話をこなしていく。 アリオスが側にいるおかげか、覚悟していたような 冷たい態度や敵意を向けてくるような人はいなかった。 今話している人はおそらくアリオスの言う婚約者候補の女性なのだろう。 アンジェリークよりもいくらか年上のお嬢様然とした女性とその母親。 アリオスの警戒振りからして、敵意に満ちた言葉がくるかと 身構えていたが普通の世間話が繰り広げられていた。 「そういえば、すでにお二人は一緒に暮らしているんですって?」 「ええ」 ふいに話題が変わったな、と思いながらもアンジェリークは頷いた。 「一秒でも一緒にいたいってのが恋人達の心理だろ」 アリオスがアンジェリークの肩を抱きながら臆面もなく言う。 「やっぱりお料理とかは得意なのかしら? この子の得意料理は…」 彼女の母親がアンジェリークに訊ねる。 それと同時に自分の娘の自慢を長々と述べている。 その瞳はどこかアンジェリークを値踏みするような挑戦的なものだった。 それに気付いていないのか、アンジェリークは苦笑しておっとりと答えた。 正直言って相手の得意とする料理は、出てくる単語の感じからして 洗練されたフランス料理なのかなぁ、というくらいしか分からない。 「今まであんまり料理する機会がなくて…まだ得意とは言えないんですよね。 そんなすごい料理は私にはまだまだで…。 アリオスの方がよっぽど上手なので、今はアリオスに教わってます」 「まぁ…」 驚きと非難の混じった反応。 それでもアンジェリークは気にしなかった。 まだ始めたばかりなのだから、これから上手になっていけば良い。 「私がもうちょっと上手になって、機会があれば教えてくださいね」 「え、ええ…」 のんびりとした笑顔に相手も毒気が抜かれたのか曖昧に頷くしかなかった。 「素質はありそうだからその時はよろしく頼むぜ?」 彼女の対応にアリオスは笑いながら会話に加わった。 「まだ学生なんだし、家には専業主婦の母親がいたから 機会がなかったのは分かるがなぁ…。 卵を割れば、カラのかけらまで一緒に入ってたよな。 包丁の扱いも見てて不安になるくらい危なっかしいし」 「アリオスってば、こんなとこでバラさないでよ〜」 くっくと喉で笑い、過去の失敗を暴露するアリオスをアンジェリークが睨んだ。 「マジで先が思いやられると思ったが…。 それでも日が経つにつれ、目に見えて上達してるからな」 アリオスのアンジェリークを見つめる瞳が優しかったのと、 フォローするセリフとに相手は何も言えなかった。 「なにより、俺好みの味を覚えてくれるあたりが可愛いだろ」 「ア、アリオスっ…」 「「………」」 「平気そうじゃねェか」 「遠慮なくのろけてくれちゃって…」 「まァ、二人の仲を見せつけるのが今日の趣旨だから間違っちゃいねェな」 何かあったらフォローできるように、とちょっとしたコネでこっそりもぐりこんでいた レオナードとエンジュは二人を見守りながら頷き合った。 「やっぱりレイチェルが言った通り、私達の出る幕はないかもね」 このまま無事にパーティーが終わることを望みながら アンジェリークを見つめていたエンジュの目が険しくなる。 「レオナード…」 アンジェリークにドリンクを渡そうとした少女が手を滑らせてしまったようである。 グラスを落とすことはなかったが、中身が少しアンジェリークの手を濡らした。 「ごめんなさい!」 「いえ、大丈夫です。 ちょっと濡れただけだし、服にも少ししかかかってないし」 数滴跳ねただけなので気にしないで、と笑ったが 彼女は申し訳なさそうに、しかし拒絶を許さない強引さで謝っていた。 「手も洗わなきゃいけないし、 ワンピースも染みにならないように処置しておかないと…」 どうかこちらへ、と勧める相手についていこうかどうしようか迷った。 何か企みがあるのは、明白だが…。 アリオスが口を挟もうとする前にアンジェリークは彼を見上げた。 視線と笑顔で必要ないと意思表示する。 「そうね…。 アリオス、ちょっと行ってくるわ」 「………。 あんまり俺を待たせるなよ?」 周囲への、そしてアンジェリークを連れていく少女への威嚇代わりに アリオスは恋人の唇に軽くキスをした。 〜 to be continued 〜 |