Love is Boomerang
「アンジェ…もうすぐ着くぞ」 「…ん〜…も…ちょっと…」 レヴィアスに凭れてすっかり熟睡してしまったアンジェリークは軽く頬に触れられても 起きるどころか、さらに抱き枕のように彼の腕に抱きついて眠り込んでしまう。 その安心しきった寝顔が愛おしい反面、胸の痛みの原因にもなる。 「父上に小言をくらうぞ」 コレット家の淑女たるもの車内と言えど誰に見られるか分からない外で爆睡など…と。 それでも起きようとしないアンジェリークの肩を抱き直しながらレヴィアスは 苦笑を浮かべる。つくづくこの少女に自分は甘いと思いつつ。 「………裏にまわせ」 白い頬にかかる栗色の髪を梳き、運転手に命令した。 「はい。ですが…よろしいのですか?」 「仕方あるまい」 また甘やかして…と言外に言っている顔馴染みの運転手の笑みにレヴィアスは肩を竦める。 「目立たぬように屋敷に入る。 アンジェリークは我が運ぶ」 レヴィアスは勝手知ったる様子でアンジェリークの部屋へと入った。 「さすがにこれ以上は寝かせられんぞ…?」 「ん…」 おそらくそろそろアンジェリークの侍女がやってくる。 「…レヴィアス…」 自分の腕の中で小さくあくびをし、目をこする子供のような仕種にレヴィアスは笑った。 「起きたな?」 「うん。ありがと…」 「すぐに人が来るだろう。 ドレスが届いたと聞いた」 「本当?」 アンジェリークの眠そうな表情がぱっと明るくなる。 「ああ。だから我も届け物をしに来た。 生憎お前を抱えていて両手が塞がっていたから今ここにはないがな」 からかうように微笑む彼を見上げ、アンジェリークは頬を膨らませ… そして一瞬遅れて気付いたように訊ねた。 「あ、ドレスに合うアクセサリー見つけてくれたって言ってた…アレ?」 「そうだ」 「ありがと〜v さっそく合わせなきゃ。着替えたらすぐ見せに行くね」 「ああ」 「レヴィアスっ」 アンジェリークは自分の部屋からそう遠くないレヴィアスが待っている部屋を急いで訪ねた。 「どう?」 少女らしい春の花のような色のドレス。 アンジェリークは裾を僅かに持ち上げ正式な礼をしてみせる。 『天使』と謳われ、老若男女問わず愛されるその笑顔。 しかし、今は自分だけに向けられる微笑み。 ソファでくつろいでいたレヴィアスは瞳を優しげに細め頷いた。 「よく似合っている」 「ふふ。 背中の編み上げとか大きなリボンとか気に入ってるのv」 くるりと一回りしてアンジェリークは嬉しそうに笑う。 身体の線が出る背中の編み上げたデザインも、 その下からふわりと揺れる大きなリボンと広がるスカートも より少女の華奢さを強調している。 花をかたどったアクセントも胸元にしかないシンプルなものである。 彼女自身も目を見張るほどの美少女と言うわけではない。 それでもこの少女がこれを着ると人を惹きつける華やかさがある。 これがアンジェリークの持つ特殊な魅力だった。 「で、レヴィアスはどんなの選んでくれたの?」 今回は少女には珍しく背中も胸元もかなり開いている。 だからこそそれに合うアクセサリーを選ぶのに手間取ったのだが…。 期待いっぱいの表情をする少女にレヴィアスは苦笑しながら ベルベッドのケースを開けて差し出した。 最高級のピンクパールのネックレスとイヤリング。 「かわいい。きれい〜」 おしゃれ好きな年頃の少女らしく頬を染めるアンジェリークの反応が愛らしい。 「これにするか、白にするか少々迷ったが… お前とドレスに合わせるならこちらだと思った」 そっと頬にかかっていた栗色の髪を払い耳を出させ、彼自らイヤリングをつけてくれる。 「レヴィアス…」 そのまま少女の首の後ろに腕を回し、ネックレスもつける。 直接触れられているわけではないのに、彼の腕の中に閉じ込められているだけで なぜか心臓がドキドキした。 (あ、あれ…?) アンジェリークはそんな自分に戸惑いを覚えた。 (なんで…? こういうコト初めてじゃないんだし… あ、でもこんな風にしてもらうのは初めてだけど… でも…だって…レヴィアスだよ……?) この腕も広い胸も安心こそすれ緊張などしたことはなかった。 なのに今は顔が熱い。きっと赤くなっている。瞳さえも開けられない。 (どうして…) 「アンジェ?」 どうした?と問う瞳にアンジェリークは我に返って首を振る。 「な、なんでもないの。つけてくれてありがとう、レヴィアス」 「ああ」 そして動悸を悟られるのが心配で逃げるように姿見の前に移動する。 「うん。さすがレヴィアス。ぴったりだわ」 下手な衣装係や仕立て屋よりも彼の方がよほど目が利く。 ドレスだけでは可憐な少女だったが、レヴィアスの選んだ アクセサリーによって女性らしさも引き出されていた。 「姫君に気に入って頂けたなら光栄だ」 ふっと笑うレヴィアスにアンジェリークも緊張が解け、いつものようにふわりと笑う。 そこへアンジェリークの父親が訪れてきた。 「ほぉ、なかなか化けたな。 あいつに似てきた…」 すでに他界した、社交界の華として有名だったアンジェリークの母親。 照れくさいような嬉しいような気持ちにアンジェリークははにかんだ。 「お父様ったら…」 自慢の娘の正装姿に彼は満足そうに頷く。 「今回のパーティーは特別だからな。 それぐらいでないといかん」 「特別?」 何か特別な催し物があっただろうか、とアンジェリークは首を傾げた。 自分は何も聞いていない。 レヴィアスは少女の父親の言おうとしていることを察し、 制しようと口を開いたが、一瞬遅かった。 「お前とレヴィアスの婚約披露だ」 「え…」 「公…それはまだ待ってほしいと伝えたはずだが…」 「どうせ皆まだかまだかと待っているだけだ。 婚約披露くらいはそろそろかまわんだろう。 むしろ遅いくらいだ。 レヴィアスも異存はないと言っていたではないか」 「もちろん我に異存はない。 だが、アンジェリークには…」 おそらく自分達の会話は聞こえていないだろう、 呆然と立ち尽くしている少女を見つめ、レヴィアスは眉を顰める。 自分に懐いているとは言え、兄に対するそれだと分かっていた。 急に結婚などと言われてもレヴィアスに対して幼い少女は戸惑うに決まっている。 それが分かっていたから、公には待ってほしいと言っていたのだ。 少女の心の成長を待って、ちゃんとプロポーズするつもりだった。 「婚約…私と…レヴィアス…?」 3つの単語だけが頭の中をぐるぐると回る。 その意味を理解するまでに時間を要した。 「え…だって…そんな…」 「嫌なのか? お前もレヴィアスのことは気に入っていたと思ったが…」 意外そうな表情をする父親と苦しそうな表情のレヴィアスを交互に見て、 そして俯いてしまう。 父親が自分のことを考えてレヴィアスを選んでくれたのは分かる。 それに本人を前に嫌だなんて言えない。 ましてや相手は大好きなレヴィアスなのだ。 傷つけたくない。 でも自分が好きなのはアリオスで…。 「…っ…」 泣きそうな顔で口を開くが何も言えない。 「アンジェリーク…。 驚かせてすまない。今のは気にするな」 「レヴィアス…」 「着替えておいで」 レヴィアスのいつもの穏やかに見守る表情と優しい声にアンジェリークは とりあえずほっとして頷いた。 いつもなら楽しいはずのレヴィアスを交えての晩餐も今日は上の空だった。 味どころかメニューすら覚えていない。 父親ともレヴィアスともろくに目を合わすこともできず、 ただ一生懸命普段通りに振る舞うことに必死だった。 (婚約…) 以前からレイチェルや周囲から冗談交じりに言われていたこと。 でもそんなことはずっと遠い先のような気がして他人事のように思っていた。 突然突きつけられた現実にアンジェリークは何も考えられない。 (レヴィアスのこと、好きだけど…) それは自信を持って言えるけれど…。 (…アリオスが好きなの) 選んだのは彼。 でも言えない。 大切にしてくれるレヴィアスを傷つけるのも怖いし、 幼い頃からの教育により自分やアリオスの立場もきちんと分かっている。 最初から許されぬ恋だと分かっていて踏み出した。 2人で過ごす平和で甘い時間が楽しくて忘れたフリをしていただけ。 その幸せに浸る時間が思っていたよりも短かっただけ。 頭では分かっている。 (どうしよう…) それでも心は揺れていた。 なんとかデザートと食後のコーヒーを終え、アンジェリークは席を立った。 そんな少女の様子を見守っていたレヴィアスが小さく息を吐いて声をかけた。 これだけ動揺させてしまっては「気にするな」と言ったところで無駄である。 はっきり話をした方が良い。 「アンジェ…。話がある」 「…うん」 アンジェリークは頷き、レヴィアスと共に自分の部屋へ向かった。 「あの…お茶、か…お酒は…?」 アンジェリークの部屋には自分用にお茶の道具はもちろん、 レヴィアス用のアルコールも何種類か揃えられている。 「いい。さっき飲んだばかりだしな」 「あ、そうだよね…」 「座らないのか?」 「ん、座る」 そして一瞬だけ迷う。 彼の座っている大きな…2人がけのソファに座るか、向かいのソファに座るか。 いつものアンジェリークなら迷わず前者を選んだ。 「そんなに緊張するな…と言っても無駄か…?」 結局いつものようにレヴィアスの隣に座るアンジェリークに 彼は苦笑しながら言った。 「予定が狂ったな…。 こんな風に話すつもりもお前を驚かせるつもりもなかった」 「レヴィアス…」 自嘲気味に笑う彼をアンジェリークはただ見つめ返す。 「本当はお前が気付くまで待つつもりだったのだが…」 髪に触れる指先にびくりと身体を竦ませる。 そんな少女にレヴィアスは切なげに笑った。 「愛している。…ずっと昔から愛していた」 「レヴィアス…」 嬉しいのか悲しいのか分からないけれど、涙が溢れてきた。 「周囲には十分威嚇してきたからな。 手を出す者などいないと思っていた。 …油断していたよ」 「え…?」 「お前が他の男を愛するとはな…」 「っ!」 アンジェリークははっと涙が零れる目を見開く。 (アリオスのこと、ばれてた…?) しかし、尾行には十分すぎるほど気をつけていた。 レイチェルほどの運動神経はないが、それでもレヴィアス仕込みの 心得により簡単に尾行を許すようなことはなかったはずだった…。 アンジェリークの警戒心を読んだようにレヴィアスは首を横に振った。 さらりと闇色の髪が揺れる。 「お前を見ていれば分かる。それだけだ」 「…っ…」 それはもっと切なくて苦しい。 アンジェリークはたまらずに泣きじゃくった。 「お前を泣かせたいわけではない…」 そっと頭を抱き寄せられ、アンジェリークは大人しく彼の胸で泣いた。 「…レヴィ、アス…ごめ…なさ…。 私…レヴィアス、のこと…好き。 本当に…好き、だけど…」 嗚咽が言葉を遮ってしまう。 「アンジェ…」 あやすように髪を、背中を撫でられて、アンジェリークは徐々に落ち着いてきた。 いつもみたいに羽根のようなキスを額に贈られる。 「…レヴィアス」 瞼に、涙の零れ落ちる頬に、降らされる優しいキスにアンジェリークは抵抗を忘れる。 本当は今…これを許してはいけないと分かっているのに。 徐々に降りてきた彼の唇がアンジェリークの唇と重なっても逃げなかった。 時折しゃくりあげるのを宥めるように触れる優しい口接けのせいだったかもしれない。 何度も何度も触れ合って、アンジェリークの緊張が解けた頃…。 少女の肩がびくりと震え、レヴィアスに縋る手にきゅっと力が入った。 「…んっ…は、ぁ…」 レヴィアスの息さえ出来ないほどの口接けは初めてで…。 アンジェリークは戸惑った。 「レヴィ…も…くる、し…」 息も切れ切れに降参してようやく解放してもらえた。 「あ…私…」 離れても互いの口元を繋ぐ透明な糸のリアルさと 間近で見つめる金と翡翠の瞳にアンジェリークは視線を逸らす。 「すまない。また驚かせてしまったな…」 自嘲気味に微笑み、レヴィアスはアンジェリークの髪をくしゃりとかき混ぜた。 「………」 口元を覆って呆然とする少女の隣から立ち上がる。 「これ以上ここにいては危険だからな」 「…レヴィアス……」 途方に暮れたように見上げる少女の頬に触れ、彼は笑った。 「アンジェ…。お前が欲しいよ」 「っ…レヴィアス……」 囁かれたその声とストレートな言葉にアンジェリークは頬を染める。 「お前を傷つけずに抱ける時が来たら…その時は覚悟しておくんだな」 部屋を出て行くレヴィアスの背中を呆然と見送り、 1人きりになってもアンジェリークは動けずにいた。 『また驚かせてしまったな…』 レヴィアスの微笑を思い出して首を振る。 驚いた。 レヴィアスのキスにも驚いたけれども本当に驚いたのはもっと別のことだった。 ああいうキスはアリオスとしかしないと思っていた。 してはいけないと分かっていた。 なのに自分は拒むどころかレヴィアスを受け入れていた。 彼の唇も舌も吐息もリアルに思い出せる。 「ダメ、なのに…」 ぎゅっと自分の身体を支えるように抱きしめる。 あのままレヴィアスが先へ進もうとしたらきっと流されていた。 自分を気遣って彼が引いてくれたのは助かった、と思う。 「…こわいよ。…アリオス…レヴィアス…」 自分の気持ちが一番分からなくて怖い。 コレット家にあるレヴィアスの部屋。 頭を冷やそうとレヴィアスはシャワーを浴びていた。 頭上からの水流に打たれて心を落ち着かせようとする。 (やはり…) 少女は驚いてはいたが、それは一瞬だけ。 自分がそういうキスを仕掛けたことに驚いただけのようだった。 行為自体には慣れてはいないが、経験はあるといった反応。 少女やそれを教えた相手を責める気はない。 むしろ自分という存在があるにも関わらず少女を奪おうという度胸の持ち主を 誉めてやりたいくらいだ。 あるとしたらいつまでも見守っていただけの自分に非がある。 だが…。 開いた瞳には冷たく鋭い光。 「…大人しくアンジェリークを奪われるつもりはない」 それはアンジェリークに見せる表情ではなく、周囲から恐れられる アルヴィース家若き当主の冷酷なものだった。 「そういや今日は会わなかったな…」 窓際で街の灯りを見下ろしながら紫煙を吐き、アリオスは呟いた。 ほぼ毎日会っていると会わない日の方が調子が狂う気がする。 今日は学校行事の一環でお茶会があるから会えないだろう、とは聞いていた。 明日はこの部屋に来ることになっている。 少し前の自分ならば吐き気がするほどの甘ったるい時間。 我ながら信じられないことにあの少女とならば歓迎できる。 らしくない、と苦笑しつつ再び紫煙を吐き出す。 上へと昇り消えていくそれらを眺めていた瞳が鋭く細められる。 「さて…いつまで続くかな…」 図らずも同時刻、2人の表情は自分の半身と同じものだった。 〜 to be continued 〜 |
早く完結させようという意気込みとは裏腹にちっとも進まず…。 予告していたレヴィアスお兄ちゃん大活躍編! ほぼ最初から最後まで登場です。 これを書いたはいいもののレヴィアスファンに喜ばれるのか 恨まれるのか、本気でドキドキしております(笑) ちょっとずつですがお話は進んでおります。 もう私は皆様が見捨てず お付き合いくださることを祈るのみです…(笑) |