Love is Boomerang

「今日はどうした?」
「え…?」
アンジェリークはシャワーを浴びて濡れた髪を拭きながら首を傾げた。
無造作にシャツを羽織り、ベッドに腰掛けているアリオスを見つめる。
「時々上の空だったろ」
最中でもな、と皮肉げに笑われ、アンジェリークは頬を染める。
「そんなこと、ないよっ…」
「男としてはけっこう屈辱だぜ?
 抱いてる女が他のこと考えてんのは」
冗談だか本気だか分からない笑みをぼんやり眺めて…そして思い至ったように訊ね返した。
「…だから今日…ちょっといじわるだったの…?」
くっと喉で笑う彼にアンジェリークは頬を膨らませる。
「もぉ…」
そして儚げな笑みを浮かべる。いつもの無邪気な嬉しそうな笑顔とは違うもの。
いつか見た、悟ったような大人びた笑み。なのに迷子の子供のようにも見える。


「アンジェ…?」
「アリオス、好き。
 好きだからね」
隣に腰掛け、仔猫が擦り寄るように抱きつき、アリオスの胸に頬を寄せる。
「…何があった?」
「………」
アンジェリークは頑なに彼の胸に顔を埋め、目を合わせようともしない。
少女の様子がおかしいのは明白である。
「アンジェ」
宥めるように抱きしめると華奢な肩が僅かに震えていた。
「言えないのか?」
「言いたくない…」
その後にぽつりと付け足した。
「でも言わなくちゃいけないの…」
顔は上げられず、そのままの姿勢でアンジェリークは言った。

「今度うちで開かれるパーティー…。
 私とレヴィアスの婚約披露の場なんだって…」
「へぇ…。で?」
あまりに反応の薄いアリオスにアンジェリークは思わず顔を上げた。
「驚かないの?」
「別に…。お前ら見てりゃそうなるのは当然だろ。
 誰が聞いても驚かないぜ?」
それにアリオスはアンジェリーク自身がこの話を聞くよりずっと前に
ある筋からこの情報を仕入れていた。
……アンジェリークと出会う前から知っていた。
「そう……」
アンジェリークはそのまましばらく黙り込んでしまう。
離れるのを恐れるように彼の背に回した腕はそのままで。


「アリオスは……」
ようやく躊躇うように小さな声で何か言いかけたが、再び口を閉ざしてしまう。
怖くて訊けない。
「言いたいことがあるなら言えよ」
何も言ってくれないアリオスがやっと言ってくれたのはそれだけだった。
自分は言わないくせに相手には言わせようとするのだ。
ちょっとだけ腹立たしくて、だからこそアンジェリークはその勢いで
意を決して訊ねることができた。
それがアリオスの計算通りなのだということまでは気付かなかったが。
「アリオスは…どう思った?」
他の人がアンジェリークとレヴィアスの婚約を当然だと思うのは
アリオスの言うように仕方ないことかもしれない。
だけどアリオスは世界でただ一人、アンジェリークが誰を好きなのかを
知っている人間なのだ。
なのに涼しい顔をしてそんなことを言う。
不安になる。
お互いに自分の立場は分かっている。
だから…あっさりレヴィアスに譲られてしまうのだろうか。

途方に暮れたような瞳で見上げる少女を見つめ返し、アリオスは小さく息をついた。
面倒臭そうに長い前髪をかきあげる。
「お前は俺に何を期待してるんだ?」
「え…」
厳しい瞳をアンジェリークはただ呆然と見つめ返す。
「俺がお前をあいつから攫う、と言えばついてくるのか?
 お前の幸せのためだ。あいつと一緒になれ、と言えばあいつのところに行くのか?
 俺に決めさせるな。
 自分のことは自分で責任を持って決めろ」
「アリオス…」
正しく、真実だが厳しい言葉にアンジェリークは少なからずショックを受けた。
そしてあれこれと…本当に知恵熱が出そうなほどあれこれと悩んでいたのが馬鹿らしくなる。
気付けばぼろぼろと泣きながら叫んでいた。
「アリオスのばかっ!」

どん、と彼の胸を叩く。アリオスにしてみれば痛くも痒くもない衝撃だったが。
それよりは少女の涙の方が胸に痛い。
「私が訊いたのはアリオスがどう思ったか、ってことだもん。
 私の人生を決めろなんて言ってないもん!
 ただ…アリオスが…私とレヴィアスが婚約しても平気なのか…
 こんな状況でもまだ私のこと……好きでいてくれるのか…
 それだけ教えてほしかっただけだもん!」
欲を言えば、迷わず自分を奪うと言って欲しかった。
アリオスに見透かされていたと言ってもあながち間違いではない。
それでも聞きたかったのは純粋にアリオスの気持ちだけだった。
「アンジェ…」
ぽかぽかと叩く小さな拳を捕まえながらも、アリオスは意表を突かれていた。
アンジェリークは泣きながら掠れる声で続けた。

「怖いの…。
 レヴィアスの婚約者になったら私はアリオスにとってお荷物でしかないんだよ?
 レヴィアスはアリオスを絶対許さない」
優しい彼の自分に対する想いが本気であることを知ってしまった。
普段は冷酷で切れ者なアルヴィース家の当主である彼も知っている。
十数年以上も昔に彼との争いを避けるためにアリオスは家まで出たのに…。
自分が原因で彼らの決断を台無しにしてしまう。
「私を攫ってもアリオスには良いことなんて何一つないの…。
 私なんにもアリオスにあげられないの。
 迷惑しかかけられない」
何でも持っているお嬢様には似つかわしくない言葉。
だけどアリオスの前で泣いているのは自信などかけらも持たない少女。
「なのに…アリオスが好きなの…」
「…アンジェ…」

「もし…もし…アリオスがこんな状況になっても私のこと…
 離さないでいてくれるなら…。
 わがままなのは分かってる。
 甘えてるのは分かってるんだけど…今だけは…優しくして…。
 …不安にさせないで」
アンジェリークの涙がアリオスのシャツを濡らし、肌蹴た胸にも落ちて伝っていく。
「レヴィアスは優しい。私を愛してくれる。
 私を絶対幸せにしてくれる。
 大人しくレヴィアスと婚約すれば全て丸く収まる。
 私、レヴィアスも好きなの。お兄ちゃんとしてだったけど。
 でも…」
困ったように微笑んだ。
これで呆れられて、捨てられるなら仕方がない。
何も持たない自分が今できることは正直に話すことだけ。
「でも、アリオスみたいなキスされて拒めなかった…」
「………」
「アリオスが好きなのに、レヴィアスに流されそうで怖い。
 もともとレヴィアスのことは…意味は違っても好きだったんだもの…」
自嘲気味にアンジェリークは微笑んだ。
「自分でも最低だと思うよ…。
 もっとしっかりしてなきゃいけないのに…。
 でも…今アリオスに冷たくされて、レヴィアスに優しくされたらどうなるか分からな…っ」

分からないから愛されてる確信が欲しい、と言うつもりだった。
しかし、最後まで言わせてもらえなかった。
唇を塞がれ、そのまま座っていたベッドに押し倒された。
「…っ…んっ…アリ、オス…?」
「あいつの本気のキスはどうだった?」
「…アリオス…?」
吐息が唇に触れる程の距離で低く問われる。
燃えるような光を宿す金と翡翠の瞳に動けなくなる。
「あいつにどんなカオ見せた?」
男の人にしては綺麗な指先がアンジェリークの頬をなぞる。
「なっ…」
「忘れろよ。俺のだけ覚えてろ」

アリオスが言うように他の事など何も考えられなくなるようなキスを何度も
重ねて、奪われて、意識が朦朧とする頃ようやく解放された。
「アリオス…」
「言っとくがな…」
潤んだ瞳で見上げるアンジェリークの乱れた髪を直してやりながらアリオスは言った。
「俺は婚約話のことはお前と会う前から知ってたんだよ」
レヴィアスとコレット家の令嬢の婚約はかなり早い段階から知っていた。
そのコレット家の令嬢が目の前の少女だと知ったのはアンジェリーク本人に
声をかけられたあの日だったが。
「え…?」
「最初から腹括ってお前を愛したんだ。
 つまらねぇことで悩むな。俺の心配なんかするな。
 お前がどうしたいかだけ考えろ」
「アリオス…」
「お前が自分で決めたならいくらでも協力するぜ?」
あいつのところに行くって言って素直に俺が協力できるかどうかはあやしいがな、と
呟くアリオスをアンジェリークは信じられない気持ちで見つめる。
「レヴィアスに…ぐらついてるのに、許してくれるの?」
「まぁ、それは…仕方ねぇだろって思う部分もあるし、
 俺の監督不行届きっつうか教育不足もあるしな」
苦笑するアリオスをアンジェリークはきょとんと見上げる。
「その分、お仕置きはするぜ?」
「なっ…」
かぁっと頬を染めるアンジェリークの腫れた瞼に口接け、アリオスは笑みを浮かべた。
「で?
 お前はどうしたい?」
「アリオスと一緒にいたい」
「OK」
真っ直ぐに見つめ返す海色の瞳を満足げに眺め、アリオスは微笑んだ。





パーティー当日。
朝から屋敷は今夜の準備で賑やかだった。
アンジェリークは自室の中で今夜の為に用意されたドレスなどをぼんやりと見ている。
パーティーには出る。
主催者の娘、しかもまだ誰にも知らされていないが今夜の主役のうちの一人である
アンジェリークがずっと顔を出さなければ不審に思われる。
最初だけ顔を出して、そして途中で目立たないように宴を抜け出す。
あの日から今日まで、アリオスの部屋に行く時は必要そうな自分の持ち物を
通学鞄の中に入れられる範囲で少しずつ持ち運んでいた。
着々とこの家から、大好きなレヴィアスから、逃げ出そうとしている自分に
罪悪感を覚えながら…。

アンジェリークはドレスに着替えながらアリオスの立てた計画を思い出していた。
出て行く時に持ち出す最後の荷物はすでに庭の茂みに隠してある。
アリオスがそれを拾ってアンジェリークを待っていてくれる。
その後は…ここを出たらもう戻れない。
「や、やだ…なんで…」
涙が滲んできてアンジェリークは苦笑した。
「自分で決めたことなのに…」
アリオスと一緒にいたい。
そのために家を出るしかないのならば止むを得ない。
アリオスに躊躇うなら来るな、と何度も念を押された。
中途半端な気持ちで動くと後悔する、と。
「お前の気持ちが決まってからでいい。
 いつでも攫ってやる」
それでも今日決行すると決めた。
世間に婚約が知らされた後では圧倒的にアリオスに分が悪い。
ただでさえ有利とは言いがたい状況なのだ。

手伝いに来てくれた使用人とは何も知らない顔で明るく話をしながら、
気にかけているのは大好きな2人のこと。
(アリオス…本当に大丈夫かな)
今日は人の出入りが多いから紛れられる、と言っていたが
その分、警備も厳重である。
(レヴィアス…)
最後の仕上げにアクセサリーの類をつけると、あの優しい人を思い出す。
彼が選んでくれて、つけてくれたもの。
「レヴィアス…」
「ああ、レヴィアス様ならまだお見えになってないんですよ。
 珍しいですね」
「え?」
うっかり漏らしてしまった名前を聞いていたらしく、彼女は笑って教えてくれた。
「どうしたんだろう…?
 いつもは早めに来る人なのに」
アンジェリークのエスコートをするということで、律儀に早めに来ては
少女の私室でくつろいでから一緒にパーティー会場に行ったものだった。
もうそろそろ気の早い出席者は集まる時刻である。


アンジェリークは時計を確かめると立ち上がった。
「いってくるわ」
結局、レヴィアスはこの部屋には迎えに来なかった。
この前のことがあったから、自粛して今日は会場近くで待っているのかもしれない。
アンジェリークは緊張しながらパーティー会場のある棟へと向かった。


                                     〜 to be continued 〜



今回はアリオスが頑張っています。
前回レヴィアスにかなり持っていかれたので巻き返さなければ!(笑)
次こそ、プロモシーンです。
(正確に言えばミュージッククリップですが…)

この創作書いてて一番の不安。
「アリオスがかっこよく書けてない〜」と嘆かれること。
「レヴィアスにこんな役回りさせるなんて〜」と恨まれること。
それらよりも「どっちつかずのアンジェが許せない〜」と
お叱りを受けないかと言うことです(苦笑)

いや、でもねぇ…。
アリオス・レヴィアスを同一人物として好きな人は
「どっちを選ぶ?」と訊かれても困るでしょう…。
きっぱり別人、と認識したうえで
「アリオスが好き」「レヴィアスが好き」と
決めてる方には読んでてはっきりしなくて嫌かなぁ…と。

彼女もものすごく悩んであんなに泣いてるし。
もう少し見守っていただければ幸いです(苦笑)



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