Love is Boomerang

レヴィアスに付き添われて屋敷に戻ったアンジェリークは自室から
繋がっているバスルームに向かった。
ドレスを脱いでシャワーを浴びる。
そして視界に入った腕を見てぽつりと呟いた。
「アリオス…」
アリオスが撃たれた時の血がそこには残っていた。
そっと拭えばあっけないほどにそれは消えていく。
「…っ……〜〜〜…」
肌を伝い落ちるお湯と一緒に涙も流れ落ちてくる。
あんなに泣いたのに、また堪えきれずに嗚咽が零れる。
「…アリオス…」
ここならばレヴィアスにも使用人にも見られることはないから…
涙が止まるまで泣いていようと思った。



ようやく落ち着いたものの、とても眠れる気分ではなかったので
夜着には着替えなかった。
ワンピースに袖を通し、長い髪をひとつに結い上げる。
鏡の前で今にも泣きそうな自分の顔を見つめて小さく息を吐く。
(私は…)
心の中で呟きかけたアンジェリークの思考を中断するようにノックの音が聞こえた。
「はい?」
ドアの向こうから聞こえてくる声にアンジェリークは少し躊躇いながらも
自らドアを開ける。
「レヴィアス…」
それ以上言葉を続けられずに彼を見上げることしか出来ない。
「アリオスは無事に帰した」
手当ては本人に受ける気がなかったので施していないがな、と彼は付け加えた。
「そう…よかった」
安心したように瞳を伏せる少女をレヴィアスは見つめた。
その視線に気付いたのかアンジェリークも彼を見つめ返した。
「お前は…」
「レヴィアスは…」
ほぼ同時に口を開いて、2人とも言いかけたものの止まってしまう。
互いに小さく笑って…そしてレヴィアスが先を譲ることになった。
「なんだ?」
「レヴィアスはこれからどうするの?」
婚約者となるはずだったアンジェリークをアリオスに譲るのだろうか。
それとも…また今夜のように2人が対峙するようなことになるのだろうか。
都合が良い、と言われてもアンジェリークにとってどちらも大切な人である。
傷つけあうのは見たくなかった。
レヴィアスは不安そうな瞳で見つめてくるアンジェリークに苦笑で答える。
「レヴィアス…」
「お前とアリオス次第だな」
「私と…アリオス…?」
どうすればどうなると言うのだろうか?

首を傾げているアンジェリークにレヴィアスは苦笑しながら言った。
「…口も聞いてもらえないかと思った」
「え?」
突然変わった話題と珍しく弱気な彼の発言にアンジェリークが瞳を丸くする。
「お前に恨まれてもおかしくはなかったからな」
「レヴィアス…」
確かにあの時はレヴィアスがアリオスを撃ったというショックもあり
自分はたくさん彼にひどいことを言った。
だけど、とアンジェリークは首を横に振った。
「レヴィアスは悪くない」
彼の言うことを信じるならば、騙されそうになっていたアンジェリークを
止めようとしてくれたのだ。
「…アリオスも…悪くない、と思う…。
 そう、思いたい」
「アンジェ…」
困った表情でアンジェリークは微笑んだ。
「私こそ…レヴィアスに怒られても呆れられてもおかしくないんだよ」
ずっと側にいてくれたのに、愛してくれたのに、それに気付かず他の男に惹かれた。
あげくに家を捨てようとした。
レヴィアスや父親達を裏切ろうとしたのだ。
「私…ここにいる資格ないのに…
 どうしてそんなに優しいの…?」
「アンジェリーク…」
レヴィアスは俯いた少女の頬に触れ、顔を上げさせた。
頬に優しく触れる手とすぐ目の前にある真摯な表情に切なくなる。
「謝ってすむことじゃないけど…これしか言えない…。
 ごめんなさい、レヴィアス…。
 レヴィアスはとても大切な人だけど…アリオスが好きなの」
「今でもか?」
レヴィアスとアンジェリークの婚約を阻止するためにアリオスが
動いていたのだとしても?
そう問われてとっさには答えられなかった。
少しの間、考えてから頷いた。
「アリオスは違ったとしても、私は本気で好きだったから…。
 気持ちはすぐには変えられないよ…」
「そうか…」

何事か考え込んでいる様子のレヴィアスにアンジェリークは訊ねる。
「レヴィアスはさっき、なんて言おうとしたの?」
「ああ、お前と似たようなものだ。
 お前はこれからどうしたいのかと思ってな」
「………」
聞かれても困ってしまう。
アンジェリーク自身、自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、
分からなくなっていたのだ。
「レヴィアスとアリオスが傷つけあうのだけは見たくない」
ただひとつ言えるのはこれだけだった。
「考慮はしておいてやろう。
 だがお前を攫わせるつもりはないぞ」
「………」
「今夜のことはまだ誰も知らない。お前の父上でさえな。
 お前はお前の思うように動けばいい。
 我もやりたいようにやる」
「レヴィアス…?」
「より運と実力の勝る者が望む未来を引き寄せるだろう」
預言者めいた言葉を紡ぐ彼の横顔をアンジェリークは見つめていた。




「私の思うように…か」
ソファの上でアンジェリークは膝を抱えて呟いた。
父親や使用人が見たなら、行儀が悪いと窘められただろうが
今この部屋にいるのはアンジェリーク1人である。
レヴィアスの言葉を思い出しながら、考え込んでいた。
自分が望むのは…。
アリオスとの未来なのか。
レヴィアスとの未来なのか。
それとも…。
抱えた膝に額を当ててうずくまる。
「アリオス…」
会いたい。
会って話がしたい。
信じたい。
信じさせてほしい。


ふいに小さな物音が聞こえた気がしてアンジェリークは顔を上げた。
ポニーテールの毛先が揺れる。
アンジェリークは信じられないものを見たように固まってしまった。
やがてはっと我に返って窓際へと駆け寄る。
「アリオス!」
内側から窓を開けて、会いたいと祈っていた人の名を呼ぶ。
「よぉ…攫いに来たぜ」
「だって…明日来るって…」
アリオスはいつも通りの不敵な笑みを浮かべ、視線で時計を指した。
「もう明日になった」
「あ…」
つられて時計を見れば0時を数分過ぎたところだった。
「連中も明日の晩だと思ってんだろうな。
 まだそれほど厳重な警戒態勢じゃなかった」
ついさっき騒ぎを起こしたばかりでまたすぐに仕掛けてくるなど思わないのだろう。
窓から部屋の中に侵入してきた彼をアンジェリークは見つめる。
「ケガは…?」
「たいしたことない。すぐに治りそうな傷だった。
 言ったろ? 掠っただけだって」
「そう…」
しばらく互いに見つめ合ったまま、それ以上の言葉が出てこなかった。


「アンジェ…」
沈黙を破ったのはアリオスだった。
「今ここで説明している暇はない。
 それでも来るか?」
「うん」
聞きたいことも言いたいこともたくさんある。
だけど彼の真っ直ぐな眼差しに即座に頷いていた。
その広い胸に抱きついていた。
さっきまで色々考えていたけれど…。
危険を承知で彼はここまでやってきた。
彼の顔を見られただけで自分はこんなに嬉しくなる。
それでいい、と思った。
「本気かよ?」
どこか呆れたような、満足そうな声が頭上から聞こえる。
あいにく彼に強く抱きしめられていたおかげでその表情は見えなかった。
だから彼がどれだけ優しい表情をしていたか、アンジェリークには分からなかった。
「うん」
重ねてアンジェリークは頷いた。
「後でいっぱい追求するけどね」
苦笑するアリオスにアンジェリークは言った。
「多分アリオスは…嘘はついてないけど…。
 隠していることがあった。
 そういうことじゃないかな、って思ったの」
彼に騙すつもりがあるなら、いつも通り涼しい顔をしてアンジェリークの
名に懸けて誓ってしまえば良かったのである。
あの時、躊躇った彼だから信じられると思った。
レヴィアスや他の者に嘘はついても、アンジェリークには誠実な人なのだと。
そう、信じたいと思った。
「だから私の気持ちは変わらない」
この抱きしめてくれる腕を信じる。
アリオスは言い切った少女の華奢な身体を一瞬だけ、さらに強く抱きすくめ、
そして彼女を解放した。
「行くぞ」
「うん」


まずはアリオスが身軽に窓枠に立った。
狭い足場に臆することなく長身の身体を反転させて、
アンジェリークに手を差し出す。
アンジェリークは躊躇うことなく、その手に自分の手を重ねた。
力強い手がアンジェリークの身体を引き上げる。
彼と同じように窓枠に立って、2階の高さから下を見下ろしてたじろぐ。
「大丈夫だ」
アリオスは安心させるようにアンジェリークの肩を一度叩いた。
「俺が先に下りて受け止めてやる」
言うが早いか、アリオスはアンジェリークに笑いかけたまま
まるで猫科の獣のように見事に地面に降り立つ。
重さなど感じさせない動きで着地すると、アンジェリークに向けて腕を広げた。
「来いよ。
 重くても落としゃしないさ」
「もう、一言余計よ」
この高さから飛び降りるのは怖いはずなのに、アンジェリークは笑った。
「言われなくても信じてるよ」
次の瞬間には飛んでいた。
一瞬だけの落下時特有の浮遊感。
その直後に感じる小さな衝撃と優しくて力強い腕。
彼の温もり。
(アリオス…)
きゅっと一度だけ強く彼の首に抱きつき、すぐに手を離した。
「行こう」
「ああ」
思っていた以上にしっかりとした彼女の声にアリオスは感心しながら頷いた。

「車で行くの?」
「いや、今はバイクで来た」
アンジェリークは軽々と抱き上げられて、タンデムシートに乗せられる。
「しっかりつかまってろよ?」
「うん」
アンジェリークがアリオスにしがみつく腕に力を込めると、彼はエンジンをかけた。
静かな夜にやけにその音が響くように感じる。
「どこから出るの?」
「ここから一番近い門」
「…って正面突破!?」
アリオスが指し示すのはコレット家の正門である。
呆れたような声で聞き返すとアリオスは苦笑した。
「どうせこの音でバレるだろ。
 さっさと敷地内から出た方が良い」
出口までバイク転がしていくのもマヌケだし、見つかりやすいしな、と。
「まぁ、そうだけど…」
見慣れた敷地内をバイクで走るのは初めてだった。
庭の花壇や噴水があっという間に視界から消えていく。
やはり油断していたのか庭にはまばらに警備の人間がいるだけである。
いきなりバイクで走り抜ける侵入者に度肝を抜かれたのか
銃を持った手はそのままに二人を見送ってしまう。
そしてアリオス達が走り抜けてしまってから、思い出したように銃を撃ちだす。
「!」
銃弾の雨の中、アンジェリークはアリオスに強くしがみついた。
アリオスはスピードを落とすことなく、門を抜ける。
テールランプが弧を描いて残像を残す。
すぐにバイクと2人の姿は見えなくなった。

「もういい。
 アンジェリークに当たったらどうする?」
確かな腕を持つ彼らがアンジェリークに当てることはまずないだろうと
思われるが、絶対とは言い切れない。
静かな声でレヴィアスは彼らの銃撃を止めさせた。
「『明日』、か…」
アンジェリークを連れ去られたにしては余裕の表情で呟く。
「上手いことを言う。
 確かに日は変わったな」
胸元から自分の銃を取り出し、口元に冷たい笑みを浮かべる。
「さて、アリオス…これからどうする?
 そう簡単に逃げ切れると思うか?」
レヴィアスは信頼できる部下の名を呼んだ。
即座に音もなく現れた彼に命じる。
「追え」
「お任せを」


                                  〜 to be continued 〜



というわけでようやくプロモにもあった
アリオスがアンジェを攫うシーンです。
次回あたりでアリオスには色々
白状してもらいましょう。



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