上馬キリスト教会

教会Q&A 

初めての方のQ&A 礼拝についてのQ&A 生活についてのQ&A 教会学校についてのQ&A 洗礼についてのQ&A 牧師が答えるQ&A
Q1 . 教会はいつ行けばいいのですか?
Q2 . いきなり教会に行っても大丈夫でしょうか?
Q3 . 礼拝とは何ですか?
Q4 . 教会では礼拝以外にどんなことが行われているのですか?
Q5 . 教会に行くとその後しつこく勧誘されたりしませんか?
Q6 . 教会に行くとマインドコントロールされませんか?
Q7 . 悩みがあるのですが聞いてもらえますか?
Q8 . クリスマスには特別な行事がありますか?
Q9 . 結婚式や葬儀を教会で行いたいのですが、できますか?
Q10.礼拝堂を集会場や講演場として借りることはできますか?
Q11.聖書について勉強してみたいのですが。
Q12.聖書を読んでみたいのですが、どこからどのように読んだら良いのでしょう?
Q13.聖書はどこに行けば手に入りますか?
Q14.教会とは何ですか?
Q15.教会に行くと、何かご利益がありますか?
Q16.神様は本当にいるのですか?
Q17.進化論を否定しているのですか?
Q18.天動説を支持しているのですか?

教会はいつ行けばいいのですか?

毎週必ず日曜日には10時45分から礼拝がありますので、基本的にはそこに出席していただくことになりますが、日曜日の他にも水曜日の祈祷会や、不定期のセミナーや勉強会もあります。

いきなり教会に行っても大丈夫でしょうか?

日曜日の礼拝時には誰かが必ずいますが、その他の時には来ていただいても誰もいない場合があります。事前にご連絡をいただけますと幸いです。

礼拝とは何ですか?

私たちの造り主であり、救い主である主を讃え、感謝を表現する場です。また、説教を通して、主から慰めや励まし、様々な人生の指針をいただく場でもあります。 クリスチャンの生活の中心であり、礼拝の場は「行く」というよりは「帰ってくる」場所です。

教会では礼拝以外にどんなことが行われているのですか?

教会学校や愛餐会(昼食会)に加え、各種勉強会やセミナー、祈祷会、子どものためのお楽しみ会やキャンプ、バザー、コンサートなど、様々な催しが行われます。詳しくは教会カレンダーを参照して下さい。

教会に行くと、その後しつこく勧誘されたりしませんか?

教会では初めていらっしゃった方に「新来者カード」というものをお渡しし、お名前や連絡先を書いていただきますが、これは空欄でもまったく構いませんし、住所などを記入いただいた場合でも勧誘の郵便物を送ったり、電話をかけたりといったことは一切致しません。希望される方にのみ、イベントや集会のお知らせをすることはあります。

教会に行くとマインドコントロールされませんか?

神様は一人一人の人間の自由意志を最大限に尊重なさるお方です。従って、その「身体」である正統な教会も自由意志を最大限に尊重します。信仰について問われれば丁寧にお話いたしますが、こちらから信仰を押しつけたりすることは決してありません。神様は強制や洗脳による「信仰」を喜ぶ方ではなく、自由意志による信仰を待ち望む方だからです。

悩みがあるのですが、聴いてもらえますか?

教会は悩める者のための場ですから、出来る限り真摯に対応いたします。スケジュールの都合上、十分な時間を取れない場合もございますので、牧師と個人的にお話をなさりたい場合には事前にお問い合わせを下さると幸いです。プライバシーにも十分配慮いたします。

クリスマスには特別な行事がありますか?

クリスマス直前の日曜日にはクリスマス礼拝と祝会があり、その前の日曜日には子供クリスマス会が催されます。クリスマスイブの晩にはキャンドルサービスがあり、毎年たくさんの人たちが訪れます。

結婚式や葬儀を教会で行いたいのですが、できますか?

可能です。条件は場合によって異なりますので、お問い合わせ下さい。

礼拝堂を集会場や講演場として借りることはできますか?

申し訳ございませんが、原則として会堂の貸出は行っておりません。

聖書について勉強してみたいのですが。

聖書について理解を深めたいのであれば、少しずつでも礼拝に参加していただくのが一番です。聖書は単なる書物ではなく、神の言です。そして神の言は礼拝の説教を通して解き明かされるものです。礼拝の他にも勉強会やセミナーなど、聖書を学ぶ機会が教会には沢山ありますので、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

聖書を読んでみたいのですが、どこからどのように読んだら良いのでしょうか?

必ずしも創世記から順を追って読む必要はありません。もちろん通読も一つの深い読み方ではありますが、最初は興味の持てそうなところ、読みやすそうなところから一部分だけを読んでも良いと思います。実際にクリスチャンになった方でも、「ヨナ書」から読み始めた方、「伝道の書」から読み始めた方、「山上の垂訓」から読み始めた方、中には最後の「ヨハネの黙示録」から読み始めたという方もいます。金太郎飴はどこを切っても金太郎が出てきますが、聖書はどこを切っても主の愛と恵みが出てきます。肩の力を抜いて、気負わずにまずは開いてみることが良いと思います。

聖書はどこに行けば手に入りますか?

一般の書店でも売っていますし、キリスト教専門店に行けば種類もたくさんあると思います。訳には「新共同訳」「新改訳」「口語訳」「文語訳」などがありますが、私たちの教会で用いているのは「新改訳」です。教会を通して買うこともできます。

教会とは何ですか?

教会とは主イエスを救い主として受け入れた人々(=クリスチャン)による共同体であり、神に与えられた秩序を以て行動する「キリストの身体」です。ですから場所はどこでも構いません。アパートの一室や普通の一軒家でも、そこにその共同体があればそれは教会です。反対にどんなに立派なチャペルがあっても、そこにその共同体がなければ、それは教会ではありません。教会は神に祈り、神に感謝を捧げると共に、神の福音を世の中に宣べ伝える機能を持っています。教会員達は、ある者は手に、ある者は足に、鼻に、口にというように、それぞれが欠くことのできない器官となり、一つの共同体を構成しています。

教会に行くと、何かご利益がありますか?

「お金が儲かる」「病気が治る」「恋愛が成就する」「受験に合格する」などなど、そういった、いわゆる「ご利益」という考え方は教会にはありません。しかし、神の恵みに与ることで病気や貧しさ、その他の様々な世の苦しみに対する慰めが与えられ、そういった不幸に捕らわれない、自由な生き方ができるようになります。

神様は本当にいるのですか?

います。ヨハネの福音書の冒頭に、「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と述べられている通りです。また創世記の最初に「はじめに神が天と地を創造した」と書かれている通りです。これ以上の言葉による説明は、意味のないことです。神は論理によって証明されうる方ではなく、実際に出会って初めてその臨在を知ることができる方だからです。論理は人間に与えられた有限な道具に過ぎず、有限な道具で無限な神を証明することは不可能です。論理は非常に有用な道具ではありますが万能ではありません。論理が時に自己矛盾を起こすことは哲学者エマニュエル=カントの「実践理性批判」と「純粋理性批判」によっても「証明」されています。クリスチャンは皆、実際に主の臨在に触れた者達です。ですから神の存在を疑うことなく信じています。否、むしろ「知って」いるのです。その事実を伝えるために教会は建てられ、私たちはここにいます。

進化論を否定しているのですか?

非常に難しい問題ですが、結論から申し上げれば私たちは進化論を支持しません。聖書の記述との矛盾があるというのも一つの理由ですが、科学的に見ても進化論にはまだ沢山の矛盾点や、未解明な点があることもまた大きな理由です。生命や種の起源については科学的にもまだ「謎」と言うべきものでしょう。その「謎」に対して、あたかも真理であるかのように進化論が回答として与えられることには大きな疑問を抱きます。

天動説を支持しているのですか?

よくある誤解ですが、聖書には天動説を支持する文言はどこにもありません。「日が昇り、沈む」という表現はありますが、むろん、これは天文学的な真理を示したものではなく、一日が始まり終わったことを示す慣用的表現でしかありません。ローマカトリック教会によるガリレオ裁判が有名になり、このような誤解が生まれましたが、当時のローマカトリック教会は様々な哲学や諸科学と融合して、思想的に迷走をしていましたし、また当時はまだ科学が発展しておらず、様々な民間宗教などにおいても天動説を示唆する神話などがあったことから、キリスト教会に限らず世の中のいわば常識として天動説が流布していました。そうした背景において、そこに一石を投じたガリレオの説は人々の好奇や非難の対象となったのでしょう。「聖書のみ」を信仰の基準とする正統なプロテスタント教会では初めから天動説を支持することはしていませんし、ローマカトリック教会でも現在では天動説を支持することはありません。