上馬キリスト教会

教会員の「救いの証し」

少年院の法務教官を経て導かれた牧師への道

私が信仰を呼び起こされるきっかけとなったのは、中学一年生の時に経験した近親者の死でした。祖父母、叔父、叔母が相次いで亡くなり、葬儀に参列するたびに、恐怖感と共に「人間は死んだらどうなるのか」という問いが生じました。また一方で、楽しい時間が過ぎ去った後に味わう虚無感から、心の中に空洞があることを感じていました。

そんな私が、山形県の地元で唯一の教会である日本ホーリネス教団小国教会に行くようになったのです。そして、中学三年生の時に自分の罪と十字架の意味がわかりました。牧師の導きに従って信仰告白を行い、それまで心を占めていた死の恐怖と虚無感から解放されました。「この水を飲む者は・・・・・わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:13〜14)とイエスさまが言われた泉が与えられました。そして、伝道の情熱が湧き起こってきたのです。

大学に入学すると、私は早速伝道を開始し、イエスさまを信じた仲間たちと聖書研究会を作りました。四年生になり、私は中学校の教師を志望して数県の教員選考試験を受験しましたが、全て不合格でした。しばらくして、ふと「人間は生きるために食べるのか。食べるために生きるのか」と根本的なことを考え始めました。すると「朽ちる食べ物のためではなく・・・・・、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(ヨハネ6:27)と神さまに呼ばれたのです。

その出来事を母教会の牧師に告げると、「あなたはおおざっぱで、人に対する配慮ができない。牧師としての資質がない」と反対され、教会献身は許されませんでした。落胆、失望の日々を過ごす中、元東京矯正管区長、多摩少年院院長だった大学職員から、法務教官の国家試験を勧められました。これも神さまの導きかもしれないと思い受験、多摩少年院から採用通知を受け取りました。少年院は矯正教育という一つの教育機関です。神さまは、別の形で教育者としての道を開いて下さったのです。

少年院の法務教官として赴任した私に少年達はとても素直であどけない表情を見せました。「普通の子どもたちと何が違うのだろう」という疑問さえ感じました。しかし、彼らはさまざまな発達段階の課題を残している少年たちでした。彼らは「先生、俺たちは家でも学校でも相手にしてもらったことがないよ。俺たちを相手にしてくれたのは○○組だけだよ」と話してくれました。本来、子どもたちにとって安らぎと癒しの場は家庭であるはずです。ありのままを受容される、そうした居場所こそ、自己の存在理由や存在価値を確立していく土台です。しかし、彼らは反社会的なグループの内にしか、居場所を見いだすことができなかったのです。彼らとの生活を通して、反社会的な行動に走らせた原因は、家庭環境を作っている夫婦関係だということがわかってきました。彼らは夫婦関係の問題の身代わりとなっていたのです。私は、この頃から家庭療法に感心を持つようになりました。

しかし、理性の営みにも限界はあります。彼らを根底から変えることができるのは、やはり十字架と復活の福音しかないと確信しました。すると、あのヨハネ6章27節の言葉が再び迫ってきたのです。私は「神さま、私は『牧師の資質がない』と言われました。だから無理です」と祈りました。すると「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」(ローマ11:29)という聖書の言葉が私に語りかけてくるのです。私は、「主よ。あなたにお従いします」と答えました。そして、もう一度牧師に告げた後、牧会献身し教会の承認を受けて、日本ホーリネス教団東京聖書学院に入学しました。

神学校卒業後、数年経過した頃、少年院で担当していた一人の少年が牧師をしていることをしりました。そして、不思議な神さまの導きによって彼と同労者として再会したのです。驚きと感動の瞬間でした。

また、私は牧会を行う中でさらに専門的な学びと訓練が必要であると感じ、祈りました。すると、アメリカのルーサーライス神学大学大学院神学修士課程で学ぶ道が開かれ、牧会学博士課程まで進むことが許されました。神さまは、牧会や学びを通して徹底的に自分の無力さと弱さを教えて下さいました。振り返ると、私に起こった全ての出来事が線としてつながります。神さまの愛と真実に感謝するだけです。

 日本キリスト教団出版局 「信徒の友」2011年3月号掲載 

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