上馬キリスト教会

教会員の「救いの証し」 

人はパンだけで生きるのではない

私がイエス・キリストを信じるようになったのは、4年前にこの教会に来た時からでした。当時22歳で、大学4年生だった私は、いつも空しさを感じていました。何を勉強しても、どんな仕事をしても、結局は人間いつかは死んでしまう、何のために生きているんだろう、そんな疑問を抱えていました。

何もわからないまま大学を卒業し、就職してしまうことに強い抵抗があった私は、在学中興味のあった演劇をやろうと、就職せずに劇団の養成所に入りました。半年間、2回ほど公演があり、「好きなことを一生懸命やれば空しくないだろう」と思って努力しましたが、やはり自分のなかの空虚感は埋まることがありませんでした。

そんななか、劇団の演出家の先生に、「今度、キリスト教の芝居をやるからお前も出ないか?」と誘われました。その先生はクリスチャンで、キリストを伝えることを目的とした劇団を起こしていました。私はキリスト教は知りませんでしたし、聖書も読んだことがなければ、教会にも行ったことがありません。そもそもニュースなどで見る限り、宗教には懐疑的な思いのほうが強かったのです。しかし、ただ役者になりたかった私は、その芝居に参加することにしました。それは、遠藤周作さんの「沈黙」という小説の原作となった「黄金の国」という芝居で、江戸時代のクリスチャン弾圧を描いた舞台でした。その中で、私の役は、元クリスチャンでありながら、信者を弾圧する役人になった人物の役でした。

本当に演技をすることは、役の人間を理解することだと教わっていましたから、「元クリスチャンというならば、キリスト教とは何なのか、クリスチャンとは何なのか知らなければならない」と、劇団にクリスチャンの方が何人かいましたので、聖書の話を聞いたり、教会を教えてもらい、この上馬の教会に来たのです。

何度か教会に来て礼拝し、聖書を読むうちに、マタイの福音書4章4節の言葉にとても影響を受けました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてありますが、その言葉を見ていると、何か自分の今までの人生が思い起こされ、「自分は今までパンのように食べてはすぐ無くなり、飢えてしまうような空しいものばかり求めてきたんじゃないか?人がほんとうに生きるのは、神の言葉によると書いてある。
私がほんとうに生きるために、その言葉が欲しい」と、痛烈に思わされ、この本は何だ?イエス・キリストとはいったいどんな方なのか?と求道するようになったのです。

教会に初めて来てから、翌年の4月には洗礼を受けましたが、後から勉強したときに、「何故空しかったか」ということは、自分の人生に神様がいなかったから、ということだと知りました。

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